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デバッグ(テストプレイ)軽視の危険性を語る

ネットを巡回していたら、こんな記事を見かけました。

CESA主催の記者懇談会でメーカートップがざっくばらんに語った 

これ自体は普通のニュースなのですが、その中にこんな一文が。

 

 また、オンラインへの常時接続によって、ソフトのアップデートが可能になることを取り上げ、「ゲームメーカーはこれまで、ソフトの開発時に膨大なコストをかけてデバッグ(バグを発見し、取り除く作業)をやってきたが、このコストが軽減されるのではないか」(和田氏)とも語っていた。発売まえに、通常ではあり得ないような状況を想定してバグを見つける必要性は薄れるからだ。

 

おそらくこれをひと目見た開発者…でなくても、ちょっとゲームやPCに詳しい人ならば「えっ…」と思ったでしょう。この文だと、「アップデートをするから、開発前のデバッグはコストを軽減してもいい」、極論「デバッグ(テストプレイ)はプレイヤーがやって、それを後からフォローすればいい」と読めてしまうからです。

 

私は5年くらい前、あるメーカーでデバッガー(テストプレイヤー)のバイトをしていました。それが結局ゲーム開発をする入り口になったのですが。まあ、ディレクター自らデバッグをしているような零細でしたけども。
それだからかやはりデバッグ作業の重要性は知っているわけで、ちょっとこれにはもの申したいのであって、以下に長々と書いてしまいました。
さて、このコメントのそれの何が悪いのか。ちょっと思いついたところを書いていきます。

 

アップデートは万能ではない

発売後に配布される修正データ、いわゆるパッチは万能ではありません。あくまで根本プログラムの上に乗せられる形で実装されたもの(素材、スクリプト)を修正するのみで、そのゲームの根本(カーネル、って言ってもいいかな?)を修正するのは、ゲーム全取っ替えしか手段はないという場合も多々あります。
たとえばWindowsでも、あれだけパッチをリリースされてもXPの最初から直っていないバグが存在する(らしい)のですから。

一度でも出たら致命的なデータを見逃す可能性

あと、やっかいなのが権利関係のものです。
一度出てしまったものというのは、見せなくすることはできても事実上消すことが出来ません。存在する以上、解析は可能となります。
それで、もしとんでもないデータ(例・有明の方のネズミとか)を製品に混入させてしまった場合、大問題になることがあります。
たとえば開発中に入れていたダミーデータがとある他社の権利ものだったりした場合、それで売り上げがパーになることだってあり得ます。
そこまで行かなくても、キャラの台詞でうっかり他人に権利がある歌詞を入れてしまった場合、問題になることもあるでしょうし。
デバッグとは、そういったチェックも含んでいるのです。

 

ハード所有者全員がネットにつながっているわけではない

日本では意外とネットにつながらない環境というのは多いのですよ。ネットをやっているとそんなことないように思えますが、通信手段は携帯電話だけ、という人はけっこういます。
次世代のPS3やWiiにもこの問題はかかっていて、どこまでネットを利用を必須にするかは難しいところではないでしょうか。
まあ、和田社長のコメントは未来を指しているので、数年後にしっかりインフラ整備がされていればその心配はないのですが、それのためには何世代のハードチェンジを重ねなければならないのかは疑問です。
他にも、「1回でも起こしてはいけない問題を内蔵してしまう」(例・セーブデータ全消し、ハードクラッシュ)等いろいろなことが考えられます。
□デバッグ軽視の危険性

ゲームにかかわらずソフト開発、システム開発をしたことのある方ならば、「バグ収束曲線」というものをご存じだと思います。これはテストプレイにおいて、デバッグの時間とバグの出現量が反比例していれば正しいデバッグが出来ている、というものです。

これではデバッグをし始めた時点では絶対にバグが出ないと逆におかしいとされています。これは人間である以上、どんな優秀なプログラマでも数万行のコード中にミスは絶対にあり得るからです。それをデバッグをすることによって収束させていくのですが、その時間が短い、もしくは量的に不足するとバグが残る危険性が高いです。つまりここでコストを削減してしまうと、たいへん危険なのです。
デバッグというのは「限りなく0に近い状態」にすることを求められますが、あらゆるパターンがあるので0にすることは不可能です。だから、想定できないバグに費用を費やしたくない気持ちは経営的に理解できなくもないですが、だからといってそこのコストを浮かしてアップデート対処にしようというのは上記の理由もあり、非常に危険なのです。
製品販売後のアップデートは、出来るだけ最小に押さえるべきでだと思います。これはたとえいくらネット環境が発展しても同じことだと考えます。

数年前のみずほ銀行や、みずほ証券誤発注も、事前テストがしっかり行われていて問題を検出できていれば、あそこまでの損害にはならなかったでしょう。(まあその手の本を読むと、デバッグ以前にシステム開発の方も時間的、コスト的にいろいろあったみたいですが)
さて、なんか途中でちょっと話がずれ込んでしまった感もありますが、この和田社長のコメントで、なんとなくゲーム開発においての「売る人」と「作る人」の感覚の違いみたいなものが如実に表れてしまったよう気がしました。
そうはいってもこれからゲームも分業化が進み、このようなところを意識しない人も増えてくるでしょう(私も最近はその手のところに触れてないし)。
だけどそういう人も、ゲームはそんな末端の力まであってはじめて成り立つことをできれば念頭に置いてください。

まあこれだけ書いておいて何ですが、もしかしたら記事のほうが和田社長の発言を間違った方向に解釈してしまう書き方をしてしまった可能性もあります。
たとえば、コメントの意味が「(バグが発覚しても、製品を回収する必要がないため)コストが軽減~」というふうな意味ならば、別にデバッグ軽視というわけではないのでまあ納得できるものです。というか、そうであってほしいのですが。じゃないと開発の人が哀れなので。

あと、和田社長はゲームとかシステム開発現場出身ではないみたいですからその辺心配で。ちなみにプログラマー出身の任天堂社長岩田社長のこういったあたりへの意見も聞きたいところです。

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