ちょっと前になりますが、非常に興味深い対談記事がありました。
■【電撃ゲームス】松野泰己/宮部みゆき/米澤穂信が語る『オウガ』 – 電撃オンライン
『タクティクスオウガ』などの制作者松野氏と、作家の宮部みゆきさん&米澤穂信さんの対談。オウガシリーズに関してかなり踏み込んだ内容まで話されていて、ファン必見のものとなっています。
さて、この中で、オリジナルのスーパーファミコン版の後に出たサターンの移植版の話が出てきました。
宮部 移植版って、オリジナル版と何か違う部分があったんですか?
米澤 ボイスが収録されてたんですよ。それはそれでよかったんですが、じつは当時セガサターン版のディスクをパソコンに入れると、スタッフさんのメッセージが見られるような仕様になっていたんです。プレイし終えてパソコンに入れてみると、そこにすごく気になることが書かれていました。
松野 すごく気になること……?
米澤 メッセージには「ボイスを収録した関係上、スーパーファミコン版とはストーリーが1カ所変わっている部分がある。スーパーファミコン版もぜひやってみてください」というようなことが書いてありました。そんなの、絶対に気になるじゃないですか(笑)。急いでスーパーファミコン版をひっぱり出してきてやり直しましたね。
宮部 ちなみに、変わっていた部分というのはそんなに大違いだったんですか?
米澤 すごく大事な場面が変わっていて驚きました。あるイベントでヴァイスが窮地に追い込まれて、助けを求めるシーンがありますよね? オリジナル版ではそこで「助けてくれッ!」のあと、ヴァイスが「デニムッ!」と叫ぶんです。セリフとしてしっかりデニムの名を呼ぶシナリオです。ところがセガサターン版では、フルボイスかつ主人公に自由に名前をつけられるシステムの性質上、大事な「デニムッ!」の部分が取られているんです。
宮部 それは……言葉の重みが全然違ってしまう変更ですね。
実はこれ、私も当時全く同じことを思っていました。
『タクティクスオウガ』は主人公の名前が「デニム」以外にも変更できる仕様です。スーパーファミコン版ではボイスがなかったので、たとえ本編のどこで名前を呼ぶことになっても、最初に決めた名前を呼び出すようにすればOKです。しかしそれにボイスがついた場合、それが出来ません。何故ならやろうとすると、設定できる名前分(ほぼ無限)のボイスを用意しないといけなくなるためです。故にボイス付で名前変更可能なものだと、事実上名前を呼ぶことが出来なくなります。
さて、最近のゲームでは多くのゲームでボイスがつくのが当たり前のようになってきています。しかしながら、ボイスを足すというのはただ単純にボイスのないゲームに音を足すことで、演出を付け足すというものではないのです。ボイスをゲームにつけるということは、ただ声のありなしだけではなく、先述の『タクティクスオウガ』移植版の変更のように、ゲームの他の部分に大きな変更を及ぼす可能性もあるのです。
というわけで、先程の例も含め、ゲームにボイスをつけることで、どのような影響があるのか、というのを思いつく範囲で書いてゆくことにします。
プレイヤー名の名前変更への制限
これはさっきの『タクティクスオウガ』移植版で現れていたものですね。つまりボイスをつけてしまうと、事実上プレイヤー名の変更が不可能になります。まあ、『ときめきメモリアル2』のように、思いつく限りの呼び名をセットするという方法もあるにはありますが、かなり労力がかかる上に漏れがどうしても生じてしまいます。
ボイス付でそれを回避するためには、ひとつは名前を固定にしてしまうという方法があります。つまり名前の変更を不可にして、キャラクター名を固定にするものですね。最近多いパターンだと思われます。ただ、こうするとプレイヤー名を変更したい人にとっては感情移入度が減少してしまう危険性があります。
もう一つの方法は、本編の台詞で名前を呼ばせないこと。実はこれ、不可能ではありません。というのはいろいろ技があるから。例えば呼ぶ人が全員名前を呼ばず、共通の愛称や職業名(たとえば「勇者」)とか立場や関係性を示す言葉(たとえば「お兄ちゃん」とか)など、固定できるもので呼ばせればよいので。ついでに「アンタ」とか「お前」などで通すことも出来ます。
ただ、これはテキストを作るのに制約を受ける上、親しい関係の人でも名前を呼べない不自然さが残ります(昔のギャルゲーとかでは、名前を呼ぶところだけボイスが再生されないで口パク的になるものとかありましたけどね)。
プレイヤーの持つキャライメージを制限してしまう
ゲームに限らず小説やマンガなどキャラの音声がボイスで再生されなくても、実際にそれをプレイして(読んで)いる人にはそのキャラクターがどんな声をしているか、頭の中でイメージが出来ている場合というのは非常によくあります。しかしボイスをつけてしまうと、そのイメージを固定してしまいます。それにより、自分のイメージと違う場合は違和感を生じることになってしまいます。
あと、声がなければそのキャラに対して抱ける想像が狭まってしまう、という危険性もあります。
文字を読む再生スピードを固定してしまう
私はテキストを読むのが早い上、ゲームをいち早く進めたいことが多いので、テキスト速度を最高速にしています。しかし喋るスピードまで加速するわけにはいきません。故に完全に声を聞きながらプレイするとなると、文字を読むスピードをボイス再生のそれとあわせないといけないのです。しかしそれが出来ない場合は(私みたいに)声をスキップしながら読む、という感じになってしまうのです。そうすると演出が制作者の意図と外れてしまう可能性も出て来ると思われます。
ボイス収録における制作工程の変化
さて、次はゲーム制作工程的な話でいきます。
ただ台詞をテキスト表示すればよいだけなら文字列を打つだけでよいのですが、ボイスを入れるとなると、それに声を入れるための作業が必要になります。具体的にはテキストの作成→台本の作成→収録→音を調整してゲームに組み込む、といった感じ。つまりこの分の工数が増えてしまうわけです。
さらに、一度収録してしまうと、再び声優さんを呼ばないといけなくなるので、あとでボイスの変更が事実上出来なくなります(超緊急時には録り直しもあるみたいですが、当然費用と時間がその分かかる)。故に収録前に綿密なミスチェックが必要となり、テキスト作成の時間もその分絞られてしまうのです。
コストの問題
ボイス付というのは、当然のことながらそれを喋るための人、すなわち声優さんが必要となります。しかし当然そこにはギャラが発生します。
たまに費用の安い人を使えばいいという意見が出ますが、これは危険です。というのはあまり下手な人を使うとゲームの雰囲気自体を壊してしまい、これならボイスがない方がまし、ということもあり得てしまうからです。安くて技術のある人ならそれに越したことはないですが、そういう人はすぐ引く手あまたになると思います。
ゲームなどの声優さんはわりと定番になってきている感じがありますが、これはその声優さん目当てで買う人の売り上げを見込んでいるのと同時に、下手な人がやるくらいならボイスがないほうがいい、ということになりかねないために、安全な線を狙っているという側面もあるのかと(あまり声優さんに詳しくないので断言は出来ませんが)。
こう書くと、ボイスが入ることがかえってマイナスになるようにも見えてきますが、そうは言えません。ボイスを入れることで声の存在による華やかさ以外にもプラスになる点はもちろんあるからです。それをいくつか。
セールスポイントになる
声があるということは、今でもやはりセールスポイントのひとつになると思われます。それは声優さんのファンがというだけではなく、ゲームとして演出要素が増え、直感的な要素が増えるため。
メガドラやCD-ROM2の時代はこれが衝撃的でした。今では山のようにボイス入りのソフトが増えたため、当時に比べればポイントとしてはだいぶ低くなりましたが、今もそれなりの注目点はあると思われます。
しかし、それより大きいのが以下のもの。
文字だけでは表せない表現を演出できる
文字というのはたくさんの表現が出来ます。しかしながら、実際声に出して聞くものの情報量というものは、同じ文字数のものよりはるかに上回ると思います。
一番顕著な例は、「えっ」「あっ」などの短い感嘆表現。同じ「あっ」でも、その状況により嬉しい場合も驚きの場合も悲しい場合もあります。しかし文字では同じようにしか表せません(まあそこは当然前後の文字でそのイメージを湧かすのですが)。しかしボイスを再生すると、それを聞いただけで、その「あっ」がどのような感情を持っているかというのを感じることが出来ます。
ちなみに個人的な見解ですが、うまい声優さんというのは「えっ」とか「あっ」みたいな感嘆符を的確に言える人だと思っています。過去、収録に何度か立ち会ったことがありますが、プロの声優さんはそのあたりを指定しなくても、前後の流れをふまえてほぼ的確にその感嘆表現を最適な形で言い表してくるのですね。声優という職業はそういった台本を読む力も重要なのだなと(俳優がそうなので当たり前なのでしょうが)。
このように、キャラクターにボイスがつく、つかないは一概にどっちがいいといういのではなく、長短があるのです。故にそれぞれのゲームを一番引き立てる形で使用方法が決められるのがよいのではないでしょうか。だからドラクエやタクティクスオウガのようにボイスがなかろうが、FFのようにボイスがあろうがそれは両方とも間違ってはいないと感じます。大事なのはそれがどう生かされるかなのですし。
ただ最近、RPGはともかく、アドベンチャーゲームではボイスなしで、その範囲で表現をされるものが減ってきたので、昔のビジュアルのベルのようにそういったものが出て来ると面白いかなとも思いますね。