『携帯機の強みは「どこでも出来る」より「どんな姿勢でも出来る」だと思った話』というエントリーを書きました。
その時に、はてブで以下のようなコメントを頂きました。
id:lastline 漫画もそうかなーと。後、最近のはスリープ昨日がありがたすぎる。 据え置きは高画質もさることながら、Wiiがより進化してマジでヴァーチャルボーイとかそっち方面もありかもしれないと思っている。
これが非常に興味深かったので、いろいろ考えてみました。
前回のエントリー(『現代の据置機が電源をつけっぱなしにさせたい理由 』)の最後にもちょっと書きましたが、据置機はファミコンの時代から現在までひとつの大きな枷がつきまとっているのですよね。それが「テレビの呪縛」。
つまり据置機はテレビに繋げてはじめてゲームが出来る、テレビがなくてはゲームが出来ないという制約があるのです。ファミコン以前の時代には、画面と一体になった非携帯型(まあ当時の携帯型はゲーム&ウォッチみたいなのだけど)というのも存在しました。たとえば今ではすっかりプレミアハードになっている『光速船』というものがありますが、あれはモニターつきでしたね。しかし、それだと画質に限界がある上、高コストになってしまいます。故にファミコンなど、テレビ画面に接続するものが家庭用据置ゲーム機の標準になったのでしょう。
それから20年以上経った現在、逆にそれが足かせになっているとも考えられます。前にも書きましたが、ファミコン時代の家庭ならば、ある程度テレビの型が同じであり、且つファミコン自体あまり精巧な映像ではなくても十分プレイできるものでした。しかしハードの技術が進んだ上にテレビもどんどん進化してくると、出せる映像の限界値はどんどん上がってゆきます。そして現代では、画質的には20年前とは比べものにならないくらいのものが出せるようになっています。
しかし、これは逆に「映像の格差」をも生み出すことになっています。つまり昔のように多くの家庭が14型~21型のブラウン管テレビというのではなく、現在ではそれこそ超ハイスペックなテレビを持っている人もいれば、14型のままの人も存在するようになってしまったのです。こうなると、据置機のゲーム制作においては、どこを標準にしてよいかというのが問題となってくるでしょう。結果、下のスペックの人のことを考えた挙句、そんなには画質に凝れないゲームになったり(もっとも画質を上げればそれだけコストもかかるせいもありますが)、逆に下を切り捨てて、ロースペックな人のテレビでは文字も見えづらいなどゲームの進行に支障をきたす場合もあるでしょう(特に画面端が切れるのはキツイ)。
■参考
このように、昔はコスト削減のために使っていた据置機は、今となっては足かせになっている面もあるのではないでようか。
しかし、携帯機では画面が付属しているためにみんなが共通であり、その違いを考慮する必要は原則ありません。ただ携帯の画面に合わせてゲームを作ればいいのですから。携帯の普及要因のひとつには、この画面格差がないというのもあると思います。
となると、これから先は携帯機の方が有利、とまでは言えないと思います。というのは、やはり現行の携帯機では限界があります。たしかにPSPなどは映画などもわりと綺麗な画面でみることができますが、あくまでそれは「携帯機としては」なんですよね。つまり据置機として、もっとしっかりとしたものでゲームをみたりその他コンテンツを楽しみたいという需要はあるでしょう。だから据置機はなくならないと思うのです。
しかし、もしかしたらここで現行の携帯ゲーム機、据置ゲーム機とは違う、「第3の選択肢」があるように思うのです。それがバーチャルボーイ的なもの、すなわち携帯機とも据置機とも定義しにくいような、画面が一体となったゲーム機。
現在、ミニノートPCが続々誕生し、最初の頃に「5万円PC」と呼ばれていたのよりさらに値段が下がり、店によっては3万円台のものも出始めています。
見ての通り、これはそこそこのスペックながら、画面もついていますし、一応のノートPCとしての働きはします(まあ用途によっては使いづらい面も多いでしょうが)。
で、これがこのまま型落ちなどしつつ値段が下がり続けていくとしたら……もしかしたら、ゲーム機に応用されることって考えられませんか? そう、据置機よりスペックは下がるけど携帯機よりはよく、且つ画面が大きいもの。たしかに携帯機よりは持ち運びには大きいけど、鞄に入れるには支障がないもの。何より携帯機のように、家のどこででも出来そうなもの(これは設計次第だと思いますが)。
つまり数年後、このあたりの部品価格が下がってきた時に、任天堂あたりが「枯れた技術の水平思考」でゲームに応用して、画面の大きい据置機と携帯機の中間みたいな存在のものを作り出す可能性は、あり得るのではないかと。それはバーチャルボーイの発想の延長線上にあるものとして。
こう考えると、横井軍平さんの発想は時代の遙か先を行っていたのかもしれません。で、あまりにも先を行きすぎて、商業的には失敗してしまったと。
でも、今の技術で前述のような画面と本体が一体となり、携帯機と据置機の長所をとったものを作れるとしたら、現行の据置機、そして携帯機の欠点を解消した、第3の選択肢(携帯電話も合わせると第4のかな?)となり得る可能性はあるのではないでしょうか。
まあ、作り方次第では帯に短したすきに長しになる可能性もありますが、うまく作ればそれこそ打算の選択肢が生まれるかもしれません。