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ゲーム攻略サイトはゲームの面白さを損なうのか

とあるゲームメーカーに掲載された文章が、ちょっと話題になっています。

■「攻略サイトは即刻削除を」ゲームメーカー要請で波紋

 (リンク切れ)

ちなみに現在は文面を改めているようです

自分からから見たところでは「言いたいことは分かるけど、文章ミスったなあ」ってなこと。リンク先にあるように、削除要請そのものよりも「掲載を認めておりません」「即刻削除」という言葉に(たとえサイト管理人ではなくても)カチンと来た人が多かったのではないでしょうか。これが「攻略サイトがありますが、見ない方がゲームを何倍も楽しく遊べるので、できるだけ見ないで自力で進めることをおすすめします」くらいだったらまあ普通の反応だったのではないかと思います。

ただ、ここであえて踏み込んで、メーカーの視点も考慮して考えてみましょう。

たしかに、最近の有名ゲームではほぼ例外なく攻略サイトが発売間もなく、いや、発売前から開設されています。しかしながら、そこでは攻略のためのほとんど全ての情報が載るわけで、そうなるとゲームにおける重要ファクターの「謎を解く」というものがそれによって大きく解明されてしまいます。アクションとかなら多少は自分の腕が要求されるので、文字だけでは完全に攻略にならないところはありますが、RPGや今回のレイトン教授にとっては操作にテクニックなどがほとんど必要ない分、ゲーム要素の大部分を持って行かれてしまう可能性があるのです。

作り手としては、せっかく作ったゲームを最大限遊んで欲しいので、そういった要素を排除したい、という気持が働いても無理はありません。特に、レイトン教授の場合、ゲームの性質上自力で解けるというギリギリのバランスを保ってチューニングされたと思うので、その思いが強かったのかと。 故に文面が適切かどうかは疑問が残りますが、あのような告知を出したのでしょう。まあそれでも各攻略サイトにメールして「削除しろ」と言ったわけではないので(そうなると大炎上だったろうなあ……)、「メーカーはこう思っているんだな」くらいに受け止める程度にしておくのが吉かと。

 

しかし、ここで問題になってくるのは、こういった攻略サイトとゲームの関係。たしかに攻略本のようにタイムラグが無く、メーカー規制も行き届かないサイトでは、そのゲームに対してほぼ全部の情報が掲載されます。たしかに上のように「謎解き」をメインとするゲームにとっては、その大部分がそれをみることで失われると考える人もいるでしょう。

でも、ユーザーとしては強制的に見せられるわけではなくて、「見ない」という選択権があるわけですよね。ならまあ別にいいのではないかと個人的には思います。どのみち攻略本も出るわけですし(今日のは攻略本による利益とかその辺は考えないことにします)。

攻略を知ることによって、また新たな遊び方も出来るわけですから。RPGにしても、ゲーム的な楽しみ方をするか、それとも小説的な楽しみ方(ストーリーやゲームの仕掛けとかを読むように楽しむ)も出来るわけですし。楽しみ方なんてその人次第だと思うので。

ただ、これはあくまで自分だけのものであって「他人に迷惑をかける行為」、例えば掲示板で目に付くようにネタバレするとか、遊んでいる途中の人に教える改造データで大会に出る&交換するとかだと、それはだめじゃないかと(当然違法行為はそれ以前の問題として)。

 

まあ最初のプレイくらいは、何の手助けもなしに、本当に困ったときだけ何かに頼るようなプレイの方が、買った費用の代償としての楽しい時間をもらうことが出来ると思うので、1回目は何も見ずに(攻略本も含む)、困ったときだけ何かに頼るようにしてますけどね。

『スーパーマリオギャラクシー』で頼ったのは、砂漠のパープルコインでのドッスンの上への乗り方と、2回目のゴミ捨て場の攻略法の2つでした(後者は時間をかければ自力で出来たかもしれませんが)。まあ、バランスが取れているゲームならばちゃんとこう自力でクリアできるのだなと。でもまあ中にはとても自力でクリアできないようなバランスのゲームもありますからね。

 

ちなみに、『ドラゴンクエスト』の生みの親、堀井雄二さんはファミ通に連載されていたマンガ『おとなのしくみ』のインタビューで、ネットの攻略情報についてこんなことを言っておられました。

鈴木みそ『おとなのしくみ』4巻

エンターブレイン・鈴木みそ『おとなのしくみ』4巻 P37より引用

 「ネットはしょうがないよね」
「あれはほら 自分で調べに行って見つけるワケじゃない?」
「それもひとつのクエストゲームだと思えばいい」

とのこと。

この考え方は個人的に好きです。堀井氏はインターネット黎明期からホームページを持っていたくらいですので、ネットにはわりと寛大なのもあるのかも。

まあ当時は『ドラゴンクエストVII』、PS時代(2000年)の話なので、今とは状況が違いまして、検索エンジンとかでクエストがやけに簡単になっているとは思いますが。

 

でも、また別の面から見ると、「絶対に自力でやるしかない」的な状況ってのは、現代ではもう手に入れられないんですよね。そうなると失ったものへの郷愁というか、そういう状況が懐かしく思えてきます。『ドルアーガの塔』の攻略を人から聞いて、もしくはうまい人のプレイにはりついて必死に求めた時代、『ドラゴンクエストII』のラゴスの居場所をクラスのヤツから必死で聞き出した時代、友達の家に集まって、『スーパーマリオブラザーズ』の潜れる土管を探して盛り上がった時代……そういうのがもう得られないのもちょっと寂しい気もします。それでも強制されるよりは、遊び方は自由であったほうがいいです。

 

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