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日本ゲーム大賞における「フューチャー賞」の存在意義は何なのか

先日、東京ゲームショウが行われました。私は仕事で行けませんでしたが、ネットで見る限りアイマス2の発表とかいろいろあったようですね。ただ、個人的に一番のニュースは、X360において、あのサターンの名作『レイディアントシルバーガン』が配信されることが発表されたことです。

さて、東京ゲームショウの開催時には、いつも同時に「日本ゲーム大賞」というものが行われます。前身のCESA大賞から数えると、今年で14回目になるみたいですね。

で、この日本ゲーム大賞ですが、以前からその受賞作や存在についていろいろ言われることがあります。代表的なのは、その年にもっと出来のよいソフトがあるのに、それが選ばれないで評判はともかく売れた大メーカーのソフトが選ばれるという感じで。あと、DSの最盛期にはその年の売り上げ、知名度ともにダントツだった任天堂のソフトが選ばれていないという批判もありましたね(近年はそうでもありませんが)。ちなみに過去の受賞作は以下の通り。

■日本ゲーム大賞2010 > 過去のゲーム大賞 (リンク切れ)

このようにいろいろな指摘はありますし、私もいろいろ思うところはありますが、賞というものは万人が納得するものではないと思いますので、これはこれでひとつの形なのだろうと考えることが出来るかもしれません(ぶっちゃけどんな分野における賞でも全く公正なものなんてなく、何かしらの力学が働くものだと思うし)。

ただ、日本ゲーム大賞の中で、どうしても納得できない部門がひとつあります。それは「フューチャー部門」というもの。

 

この「フューチャー部門」というものは2002年から始まっており、プラットフォームは問いませんが、東京ゲームショウにて、発表、展示された未発売作品に与えられるというもの。投票は一般ユーザーの投票により行われることになっています。

■日本ゲーム大賞2010 > フューチャー部門 > 来場者等票要項 (リンク切れ)

ただ、私的にはこの賞の存在意義には非常に疑問を持っています。

 

まず、この賞が一般投票を謳っているもの、それだけでは決められていないこと。以下は今年の選考要項より。

2010年9月16日~19日に開催される「東京ゲームショウ2010」会場内において対象作品基準を満たす作品に対する来場者投票を実施。
その後、選考委員による審査会を経て、今後が期待される作品として高い評価を得た作品を「授賞作品」として選出します。

つまり、投票は行われるものの、選考委員による審査会を経るわけですから、結局は選考委員の意思が強く働くわけなのですよね。一般投票にしても来場者投票で振り分けられる数も公表されていないため、極論目当ての作品が入るギリギリまでその数を増やし、そこから受賞を選ぶことも出来てしまいます。

この点は、すでにN-Styleさんが3年前に指摘されています。

日本ゲーム大賞の「フューチャー部門」の選考過程が気持ち悪い | N-Styles

 

ただ、これだけならまあゲーム大賞と同じようなものですし、それに対しての異議もゲーム大賞本編を超えるものではないでしょう。

しかし、私が思う問題は全く別のところにあります。それは、「東京ゲームショウにて、発表、展示された未発売作品に与えられる」というもの。

 

まず、ゲームはプレイして楽しむものです。が、ここでは展示されたもの、つまり未完成のものやビデオのみのもの、そして発表のみのものも含まれるのですよね。つまり、プレイしていないものも含まれるわけです。

さらに東京ゲームショウで実際に出展されているものをプレイしようにも、かなり混雑しており、試遊台のプレイ制限時間もあるために、出来るゲームは限られてきます(そもそも試遊台の数によってプレイされる人数も差が出ますな)。余談ですが、大昔PSやSS時代はショー的要素はなく、試遊台だけストイックに並んでいるイベントがありましたが(入場料無料)、ああいうほうがある意味ゲームをプレイさせるという意味では向いていると思います。

 

前述の通りこの賞は一般ユーザーから選ばれるわけですが、このような状況でどのようなものが選ばれるか。実際にプレイできる環境が少ない以上、どうしても以前からの注目度が高いものが受賞しやすいのではないかと。それはつまり前に遊んで楽しかったものの続編とか、前から知名度が高いものや、大々的な広報展開がされているものといったところ。まあ前述の通り、その一般ユーザーの投票もどれくらい反映されるかは不透明なわけですが。

ただ、それ以前に、ゲームというのはプレイをして初めて楽しさの本質がわかるものだと思っています。見るだけならテレビや映画で十分だし。つまり、発表だけ、もしくは見るだけでそのおもしろさを判断するのはいけないのではないでしょうか。見た目面白くても、または前評判がよくてもプレイしてみるとおもしろくなかったというものは、今までいくつもあります。

つまり、フューチャー賞はプレイしないで、少ない情報の中でユーザーに選ばせる賞となっているわけで、これははたしてゲームの賞としてよいのか、という疑問が浮かぶのですよね。まあ「前評判賞」ともいえるかもしれませんが、前評判に与えるものを賞としていいのか自体疑問です。

 

あと、東京ゲームショウに出展されたものという制約があり、していないものはそもそも対象になっていないという問題もありますので、自社出展をしていない任天堂や小ソフトハウスはそもそも受賞対象になっていないという面もあります。

さらに付け加えると、最近、ゲームのプレイ動画が動画サイトであがっていることがあります。しかしそれによりプレイ動画だけでゲームに満足してしまっている人もいると聞きます。それも(著作権上の問題がなければ)ゲームを楽しむための一手段ではあると思います。しかしゲームは本質的にはあくまでプレイすることによって楽しさがわかるものだと考えます。しかし、こういった見た目や前評判だけでプレイをしないまま評価する仕組みを業界が自ら行ってしまうと、ある意味プレイをしないことを肯定してしまうことにつながらないでしょうか。

ちなみに、過去の受賞作はさっきのN-Styleさんのエントリーに書いてありますが、この中には期待通りのものだったものも多くありますが(2003年の塊魂やモンハン第一作が選ばれたああたり)、反面発売後はユーザーの評価が芳しくなかったものも含まれています。

 

このようなことを考えると、フューチャー賞にははなはだ疑問を持たざるを得ません。

そして、これが日本ゲーム大賞の一部だとしたら、(どれだけあるかはともかくとして)本賞の権威にも影響するでしょう。故に、このようなプレイしないでゲームを評価する賞ってのはなくしたほうがよいと思われます。

正直売れているソフトとか知名度のあるソフトは放っておいても安定しているので、むしろおもしろいのに売り上げがそれに追いついていないようなものに賞を与える仕組みのほうが必要と思われるのですけどね。

 

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