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コンシューマソフトにおけるデータセーブ装置の歴史

すみません。更新滞っています。で、現在もまだ進行形なのですが。この間にやっていたゲームは気分転換にDSの『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』を1日5分×3回くらいかな。

さて、こういった細かなプレイが出来るのは、今では当たり前となったデータを保存する機能、すなわち「セーブ」があってのものですが、考えてみれば私がゲームを始めた当初は、これは全然当たり前ではなかったのですよね。

というわけで、今日はコンシューマハードにおけるこのデータ保存の歴史を簡単に振り返ってみようと思います。

 

ファミコン初期まで~データ保存の概念がなかった時代

ファミコンの登場が1983年ですが、これまでのゲームはそもそも「データを取っておく」という概念自体がほとんど存在しませんでした。その技術がなかったのももちろんですが、この時代のゲームの多くはアーケードから派生したアクションやシューティングといったものであり、且つそれほど面数も多くないか、もしくはリピート型であったというのもあって、データを保存する必要があまりなかったのですよね。

ちなみに当時のゲーム雑誌からハイスコア争いみたいなページがありましたが、申請方法はビデオでもセーブデータでもなく、写真撮影(当然フィルムの)だったように記憶しています。

ファミコン中期~パスワードによる保存

ファミコンが普及し、家庭用ゲームが独自の立場を築いてくると、そのうち「データを保存する」ということが必要になってきます。そこで登場したのがパスワード。おそらく簡単なものはそれ以前からあったかもしれませんが、本格活用されはじめたのはここらへんからかなと。有名なのは『ドラゴンクエスト』の「ふっかつのじゅもん」ですね。私の場合ファミコンの『キャプテン翼』でもよくメモっていた記憶があります。

アーケードでも『イシターの復活』がパスワードを採用していました(アーケードのパスワード特許もこの『イシターの復活』が持っています)。

■参考:特許・実用新案権を受けたゲームの技術いろいろ | ゲームミュージックなブログ GMDISC.com

ファミコン後期~ディスクシステム、そしてバッテリーバックアップの登場

しかしゲームの容量がどんどん増えてくると、それと比例して保存する必要のあるデータも増えてゆきます。で、パスワードもこのへんになると限界が来て、『ドラゴンクエストII』ではとうとう52文字にまでなってしまいました。で、その中の1文字を間違えて泣く子ども続出となってしまいます。

そんな中登場したのが、ファミコンの付属機『ディスクシステム』。これは書き換えが可能な他、ディスク媒体の採用でデータのセーブが簡単に行えるというのがひとつの売りでした。ただ、この時代のディスクはまだ技術的に未熟で、容量はそんなにない上に読み込み時間が非常に長いという欠点が、普及を踏みとどまらせました。

ここで登場したのが、ファミコンのバッテリーバックアップ。文字通りファミコンのROMカセットにそれを内蔵することで、セーブを可能にしました。一番最初は先日消滅したセタの『森田将棋』ということ。

ただ、ファミコンは基本的にバッテリーバックアップを想定していなかったらしく、ハードとの干渉でデータ消失を防ぐために特殊な操作が必要となりました。それが「リセットを押しながら電源を切る」というもの。しかしこれでもデータは消えやすく、『ドラゴンクエストIII』ではこれに泣かされた人が何人いたことやら。

ちなみにファイナルファンタージーの初代にも同じくバッテリーバックアップが搭載されていましたが、ドラクエIIIのほうが有名なのはあの消えやすさ、トラウマメッセージと呪いの効果音のインパクトが強かったためでしょうね。

■参考:バッテリーバックアップ – Wikipedia

ちなみにこのバッテリーバックアップが普及したため、ディスクシステムの存在意義はさらになくなって、(他の要因も多分にありますが)やがてスーファミ登場のかなり前に終わってしまいました。

PCエンジンのバックアップ~『天の声』

ファミコン後期には対立するハードとしてPCエンジンが登場します。これはソフトにHuカードを使っていたのですが、これ自体にはセーブ機能はありません。そこで使われたのは外部記憶装置。有名なのは『天の声』ですね。

ただ、これは後のメモリーカードのように、持ち運びを前提としたものではありませんでした。あと、記憶装置に別途値段をかけるということに、このあたりではまだ抵抗があった人もいると思われます。つか、全体的にこの頃はまだメモリ値段が高かったのですよね。何せパソコンでも1メガにも満たないメモリ(というかHDDもか)が数万円という時代でしたし。

スーパーファミコン時代~バッテリーバックアップ全盛期

そして時代はスーファミやメガドラの時代に移ります。ファミコン時代では想定されていなかったセーブも、この時代のハードでは最初からそれがあるのが当たり前になっていました。そしてそれらのハードにははじめからソフトにバッテリーバックアップがあるものとして設計されています。ここにおいて、セーブ技術に対する需要は一通り解決したように思われます。

ただ、このバッテリーバックアップの寿命は約10年。今ではスーファミ内部の電池が切れてしまったというユーザーも多くいるのではないでしょうか。確かに当時から10年先はもう十分な年月と思われるでしょうが、今になってみると、それがネックとなってせっかくのこの時代の名作が出来ないということにもなっています。

PS,SS時代~CD媒体ソフトの隆盛

1990年代中盤、時代はPS,SSといった光学媒体のハードが盛り上がってきます。さて、これら光学媒体はROMなので、それ自体に記憶することは出来ません。故に先述の『天の声』のように外部記憶装置が必要となります。そしてサターンそれまでのメガCDの流れからハードに電池付きの記憶装置と周辺機器としてカードリッジのバックアップメモリがありましたが(よくバグって変なデータが入るので有名)、対してPSは小型のメモリーカードを採用しました。

このPSのメモリーカードは「データを他人と共有する」「データを交換する」というのが可能になり、ゲームの幅を広めた面があるでしょう(まあメモリーカードを複数買わせるというビジネスモデルもあったでしょうが)。

携帯機のセーブ機能~フラッシュメモリの登場

SS、PSと同じ時代、唯一据置機ではROMのままだったN64ですが、ここではメモリの価格が下がってきたことから、バッテリーバックアップではなくフラッシュメモリへと移行してゆきました。

それはこの時代の携帯機でも同じように行われました。ゲームボーイでもゲームボーイアドバンスでもセーブ機能は最初から備わっていましたが、それは電池式のバッテリーバックアップ。しかしここらへんでフラッシュメモリへと移行してゆきます。

これの利点は、バッテリーバックアップのような電池切れによるデータ消失がなく、長期間データが保証されること。そして軽いこと。故に現在でもDSでこれが使われています。

PS2の隆盛とXBOXの登場~ハードディスクの登場

PS2も中期まではメモリーカードでしたが、ここであるものが登場します。それがハードディスク。ただ、メモリーカードに取って代わったというわけではなく、あくまでHDDやメモリーカードの利点両方を生かすために併用するという感じかなと。

はじめての標準記憶装置~SDカードとメモリースティック

一方、Wii、それにPSPでは、そのゲーム機では、そのハードのためだけではない記憶媒体、すなわちSDカードとメモリースティックが使われています。ここでやっと記憶媒体はゲームハードから解放されたとも言えますね。

■参考:ゲーム史上においてプレイに必要なものの価格下落が激しいのは現在だったりする | ゲームミュージックなブログ GMDISC.com

 

そして現在は、携帯機ではフラッシュメモリとメモリースティック、据置機ではメモリーカードにSDカード、それにメモリースティックにハードディスクも使われたりと、様々な技術が使われていますね。ま、それぞれに向いている者が使われていると。

 

これから先はどう変わってゆくのでしょうか。

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