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「映画的」という言葉に隠されたゲーム業界の問題点

テレビを見ていたらPS3のソフトの宣伝が。それ自体は珍しくないのですが、コピーに「映画」というものがまた使われていました。おそらく「映画そのもの」とかそんな感じだったかと。

昔からこのゲームでよく使われる「映画」もしくは「映画的」という言葉は、ゲームの宣伝コピーとして使われていますよね。ただ、それによる広告としての効果というのは、現在ではどれくらいあるか微妙なところです。少なくとも私の場合、ゲームが映画らしくても昔ならともかく今は欲しいとは思わないし、普通の人も「それなら映画見に行くよ」って人が多いのではないかと。まあ「映画的」という言葉がただハードに頼って綺麗なだけ、実写に近い映像なだけで使われているものが多いのでインフレを起こしてしまったせいもあるかもしれません。

でも、それでもまだこの「映画的」って表現を使い続ける当たり、そんなにゲームの作り手は映画が好きなのか?と感じることが多いのではないでしょうか。だけど、必ずしもそうではないんじゃないかと思えます。

 

ならば何故、これほどまでに「映画的」という表現が使われるのかというと、そのゲームの特徴を伝える言葉で、ユーザーにインパクトを与えられるものが「映画」とか「映画的」が一番簡単だからではないかと。

すなわち、そのゲームの特徴は何?と聴かれたときに、映像が綺麗ならば見た目ですぐわかります。しかしシステムが凝っているとかバランスがいいとかストーリーがいいとかいうのは、かなり説明に骨が折れます。というかものによってはゲームをしてみないとわからないでしょう。ですので、視覚的に短時間で実証できる、つまりCMや写真でわかる映像の良さが「映画的」と使われているのではないかと。

これは別に対ユーザーではなく、開発者が対上役に、もしくは会社が対店(店舗)用に使っている可能性もあります。据置ハード、特にPS3ではそれ以外に説明しようとすると、例えば高度な処理能力を使って同時に様々なタスクをこなす等の面白さを出すにしても、それを一言で言える言葉がないのですよね。で、結局通すためにだれにでもわかりやすい視覚的なもの、すなわち「映画」を出すしかないというわけで。

 

でも、ある意味無理はないのですよね。会社の偉い人だって売れさせなければいけませんし、店だって同様。そして自分が例えそのおもしろさを分かっていても、店の人やユーザーに伝わるとは限りません。故にそういったわかりやすい記号を前面に押し出さざるを得ないのではないかと。

例えば『スーパーマリオギャラクシー』の面白さは、徹底的に調整された難易度もよくブログなどでは挙げられていますが、それを他の人に伝えるのは非常に難しいです。また仮にそれが通ったとしても、例えば問屋の人、店舗の人、そしてユーザーに伝えるのは言葉だけでは非常に困難でしょう。結局のところ実際に遊んでもらわないとわからないわけですが、それが出来る段階になるにはかなりの過程を経なければなりませんし。特にそのソフトに興味のない人には。完成したソフトでこれですので、開発段階ではその難しさはいかほどのものか。

かつて、『スーパーマリオブラザーズ』の面白さがみんな分からなかったときに、当時の山内社長が「これは売れる」と言い切ったという逸話がありますが、見る目、立場、度胸含めこれはかなりレアだと思います。

となると結局作り手は通すためにそういったわかりやすい記号を出さざるを得ない、上役は売るために、そして店もまた売るためにそういった記号を出さざるを得ない、だけどユーザーはさほど望んでいないという、矛盾的状況が生まれているのかもしれません

 

このパターン、別に今に始まったわけではなくて、PS時代には「(綺麗な)ムービー」、そしてそれ以前からは「(人気ゲーム)のような」というものがよく使われますね。マリオの大ヒットのあとにアクションが増えたり、右も左もRPGだったり、対戦格闘だった時代があるように。ちなみに今だったら映画の他には「脳トレ」ですね。

しかしこれは、あまりよい現象とは思えません。たしかに、「映画」とか「映画的」といった既存の成功しているものに照らし合わせた言葉というのは、説得力があるように見えるのですよね。ゲームでの成功例もしかり(まあそっちは同社でない限り堂々と使うことは出来ないので、他から特徴を引っ張ってくるのでしょうが)。しかしこれは、出来たものがそうならいいのですが、多くの場合は逆で、そのコピーに合わせるためにゲームもそうするといった現象になりかねません。すなわち「映画的」ならば映像を面白さと関係ない点で無駄に良くするとか。ムービーはまさしくそんな感じでしたね。そしてそれは、ゲームが金と時間をかけるべきところの面白さを削ぐことにならないかと。

そして、だいたい映画的といっても、実写に近いって点だけなのが多いのですよね。小島秀夫さんの作品、『スナッチャー』『ポリスノーツ』からの流れのように、細部でのこだわりまで映画の手法を使っているのならばいいのですが、全部がそうとはならないようで。
ただ、少なくとも私には「映画的」って言葉には効果がないと思っているのに、どこかでは「でもライトユーザーには説得力があるかも」という思考がよぎるのですよね。おそらく会社の偉い人も、そういった思考、悪く言えば固定観念に捉えられている可能性もあります。こればっかりはデータがないと本当に効果があるかないかわからないのですが、少なくとも8000円のゲーム買うよりは、映画館に行くよなあと。

昔からアニメやゲームで人気が出たものの実写化というのがありますが(ゲーム『卒業』、映画『ときメモ』、最近だと『ネギま!』かな)、それもどこか「実写化は一般層に受ける」という本当かどうか証明しようのないある意味宗教的思考が支配しているのかもしれません。まあもし上のような作品が1作でも受けていればそれは別に迷信ではなかったと思うのですが、過去に例が思いつかないので。

 

こうなるのは結局のところ、どんな面白いゲームを作ってもそれを伝える手段が乏しいのが今までの問題だったのだと思います。

ですが、今、やっとWiiでもPS3でもその情報を伝える手段が出てきましたし、体験版も配信されるようになってきました。そして先日の「みんなのニンテンドーチャンネル」のように、面白さを評価して、面白いソフトが注目を浴びられる仕組みも出来てきています

結局のところ、こうやって実際に遊んでもらってのアピールが出来て、見た目だけではなく本当に面白いソフトが売れ、そして作り手も無駄なものはいらずに本当にやって面白いゲームが作れるようになればいいかなと。

告はたしかに必要なものですが、あくまで広告に引きずられすぎる現象は好ましくないので、そのへんの調整が出来てくればなあと思います。

 

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