最近は、ゲームでもそれに携わったスタッフの名前が出てくることは当たり前のようになっています。ただ、現在でもそのスタッフ名をあまりおおっぴらにしないところはあります(スタッフロールにはもちろん載りますが、ここで言うのは雑誌とかでのアピールという感じかな)。ただ、これは引き抜き防止とかだけではないと思われます。
以前、このようなものを書きました。
ここで「会社の方針」というところで、『ゲームは1人の功績ではない、という社風もあるように気がします』と書いたのですが、ちょとそれを掘り下げて見たいと思います。
まず、現代のゲーム制作はほとんどチーム作業、つまりは複数人で担当します。そして現代はその開発人数が増え、仕事が分散化してきました。そうなると誰が何をやったのか、というのが明確に出せなくなってしまうのではないかと。たとえばここのマップは誰だけど、ここのキャラは誰と。
そうなると出せるのは1人でやる性質のものや、何をしたかがわかりやすいもの、すなわちシナリオや音楽、キャラデザ、そしてディレクターとプロデューサー。しかし、ゲームは共同作業で、ほかにも塗る人、3Dを造る人、プログラムを打つ人などもいなければゲームになりません。しかし片方が目立って片方が目立たないと公平ではなくなる可能性があります。それはある意味好評価だけではなく、悪評も。さらに、スタッフロールに名前さえでないところで頑張っている人もいます(営業や外注など)。
また、表に見える仕事でも、必ずしもその通りではないこともあるのですよね。極論、シナリオで何らかの事情があり、全然別の人が書いていることや、表に出ている人が何もしていなかったなんてのも聞いたことがあります。
しかしユーザーは公表された役目だけで見るので、好評価も悪評価も実際とは見当違いのところに行く危険性があります。
■参考:
つまり、「スタッフ間の公平性を保つため」と「間違った評価を背負わせないため」にあまりおおっぴらにしていないという理由があるのかもしれません。で すべてにおいて「統括する」という責任を負っているディレクターやプロデューサーのみが表に出てくると。
ファンとして個人を評価してあげたい気持ちはよくわかります(私も好きな作曲家さんいますしね)。ただ、仕事がはっきりと明示されていない限り(まあそれもウソがないとは言えないですが)、必ずしも的を射ていない可能性もあると念頭に置いておいたほうがよいかもしれません。ゲーム制作は、あくまで共同作業なのですから。