前回(『同人ゲームが発展してきた3つの要因』)の終わりに、「同人ゲームが、今後大きくコンシューマやその他ゲームの制作に与える影響があるのではないか」ということを書いて終わりました
今日はそれについて書いてゆこうと思います。
最近はフリーソフト、もしくは安価な同人ソフトで良いものが散見されるようになってきましたが、それでもゲーム的にはコンシューマなど先に出来たものの後追いの感は否めないと思います。それのどこがコンシューマ市場において影響を与えるのか。それは「開発人員」という点において。
ゲーム製作は、昔は一人で行うということ自体珍しくありませんでした。つまりプログラムの出来る人間が、ゲームのデザインからグラフィック(といってもドットですが)、そして効果音まですべてを製作してしまうというパターンですね。ちなみに当時はゲーム音楽という存在自体も認められていなかった頃です。つまりゼビウス以前でしょうか。
しかしそのうちそれぞれの技術において専門的な要素が増えるに従い、またゲーム自体の規模が大きくなるに従って、分業が必要になります。そしてそれまでゲーム開発にはいなかった「ゲームデザイナー」や「グラフィッカー」が存在するようになります。さらに進化するに当たって、「ミュージックコンポーザー」が生まれ、そこからさらにSEを担当する人が別になったり、キャラクターデザイン専門の人がそんざいするようになったりと、開発の人数はどんどんと増加してゆきます。それこそFFクラスではのべ数百人クラスと言われていますね(まあここでは多くはCG担当でしょうが)。
しかし、それだけ人が要るようになったということは、同時にその開発における人件費もかかるようになったということです。ゲーム開発費の高騰は開発環境を揃える費用の他に、この「人件費」がかなり影響しているのではないでしょうか(ここでの人件費は、外注に製作を依頼したときの費用も含むことにします)。
さて、そこで同人ゲームですが、別に同人ゲームの内容自体が大きく影響を与えているとは思いません(まあ、市場的に興味のある人はいあると思いますけど)。
ただ、ごく一部のゲーム(東方、ひぐらし等)ではありますが、それなりの興味を集めて、制作者が一人、もしくは少数で数万本単位で売れるゲームを作りだしてしまったというところが重要です。つまり、現在でも、少人数、低予算で人気の出るゲームが作れてしまったという点が重要なのです。
現在、開発費の高騰がメーカーを苦しめているというニュースはPS3関連の話題などでもよく出てきます。前述のようにそれは人件費に占める割合が大きいのですが、このように少人数で製作してもそれなりに売れるソフトが出てしまうと、メーカーとしてはそっちのほうに注目してしまうのではないでしょうか。つまり、ハイリスクよりもローリスクを選ぶという感じですね。いずれの場合もハイリスクだからといってハイリターンとは限りませんし、逆も同じく。
実際、その動きはコンシューマでも生じているような気がします。ただしこれは専ら同人ゲームからの影響ではなくて、「脳トレ」などの知育ゲームが非常に売れたことによるもの。だけど、知育以外でもこういうことが出来るということが同人ソフトでも証明されてしまった今、もの(そのゲームジャンル等)によっては、開発人員の少人数化が始まるのではないか、と思ったのです。それはソフトハウスだけではなくて、今まで大人数で作っていたようなメーカーも。
そう言うと、なんだか安っぽくて軽いソフトばかりが作られるようになるとも聞こえますが、そんなことはないと思います。それこそ同人ソフトにおいて十分満足させてくれる面白いものがあるように。
あと、大人数だとどうしても連係が取りにくくなるところを少人数だとその連係がとりやすいというのもあるでしょうね。まあ大人数でもいい点はたくさんありますけどね。
ただ、すべてがこういうふうな個人、もしくは少人数で作られる体制になるかというとそんなことはないでしょう。おそらくは大人数開発と少人数開発の二極化になる思います。どっちが欠けても物足りなくなると思うので、それでいいのではないかと思います。まあ、流れとしてはPSのシンプル1500シリーズの頃からあったと言えますので、それがシンプルシリーズや知育ソフトのような特殊事例だけではなくて、全体に広がってゆくのかなと。
だけど問題は、無理に人数を減らされただけ、というものだと、逆にソフトの質と売り上げを落とすだけのものになると思うので、それは逆に警戒しなければいけない気がします。
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■追記
どこかの会社が「ゲームやろうぜ」みたいにフリーソフトや同人に着目して、そういったことの出来る人材に開発機材を提供するなんて現象が出てくる可能性があるかな?
それにX-BOX360とかなら、そのままパソコン上でフリーソフトを配信してしまうという可能性さえあります。実際今でも(一部ですが)そういう試みがあるようですから。