当たり前の話ですが、家庭用ハードを持っていない人は、そのソフトを遊ぶことは出来ません。それは今でこそ多くの家庭でハードが買えるようになりましたが、昔は必ずしもそうではありませんでした。うちもファミコンだけで、ディスクシステムやその他ハードは買ってもらえませんでしたが、まだそれはましなほうで、教育上の都合、及び家計上の都合でそれも持っていない子もいました(ちなみに当時ファミコンが14,800円くらいだったけど、1980年代のそれって現在の価格にしていくらくらいだろ?)。
だけどそのへんは工夫して、友達の家に行って遊ぶとかしていました。余談ですが、ソフトの交換をしあうことをうちの近辺では「貸しっこ」と言っていましたが、全国でこの行為の名称を調べると、おもしろい分布になりそうな。
しかし、RPGなどはそうそう居座るわけにもいきません。それに友達の都合が悪いときもあります。そういう時、とあるおもちゃ屋(駄菓子屋)にいく子どももいました(試遊台は当時あまりなかったし、あっても混んでた)。そこに貼ってあったのは「30分100円」という紙。そう、つまりはそこにはファミコンとテレビが置いてあり、有料で遊ばせるというものだったのですね。ソフトが備え付けてある場合も多かったです。これ、似たようなのはあちこちで見られたと思いますが、おそらくは今だと(当時から?)法に引っかかるのではないかと。
他にも、まだ不良の溜まり場的な雰囲気が抜けないゲーセンで、『スーパーマリオ』や『ドラゴンクエスト』が100円で一定時間プレイ可能というものもありました(当然アーケード基板ではなく、家庭用にタイマーをつけたというもの)。おそらくはテトリスブームの時代くらいまでは置いてあったような気がします。
そういえば、ソフトのレンタルなんてものもありましたし、この時代はまだそういうところが整備されていなかったのですよね。ですがやはりやっている人もいましたので、ハードを持っていない人間への需要はあったということでしょうか。
ちなみに今、そのハードを持っていない人を救済する役目を担っているのはマンガ喫茶かもしれません(子どもはさすがに無理だけど)。ただ、置いてあるソフトは多くのところで認可を受けているようですが。そういえば、新卒の会社を辞めて次のとこに入るまでの間、マンガ喫茶でFF9をクリアしたなあ(遠い目)。
ま、ゲーム業界の発展の歴史の中ではアレな話もたまに聞きますが、子ども達の世界にも後で考えればこういった少しアンダーグラウンド的なものもあったということで。まあ、ほとんど壊滅的になったいまだから言えますけど、そういった雰囲気もそれはそれで楽しかったですね。