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私と町ゲーセンの思い出(その4・ゲーセン大氷河期から現在まで)

今まで3回分書いてきたこの題材も、今回がラストです。いやあ、こんな書くつもりはなかったんだけど、歴史語ってると延びるわ延びるわ。

というわけで、昭和から語ってきた町ゲーセンの思い出についても、今回の2000年代半ばから現在に至るまででラストとなります。

前回までのは以下。

私と町ゲーセンの思い出(その1・昭和の時代~平成初期)
ゲームセンターというと、最近ではメーカー直営の店が目立ちますね。セガ系バンナム系、それにラウンドワンやアドアーズのようなチェーン店も多いです。しかしその一方、それら大企業の経営ではない、地元の小さな会社や個人が経営しているような、「町ゲーセ...
私と町ゲーセンの思い出(その2・2D格ゲーブーム~3D格ゲーブーム)
個人的な経験からの町ゲーセンの歴史を書いた前回の続きです。未読の方は以下からお読み下さい。 前回は平成初期までを書きましたが、そこで最後に名前を挙げたゲームが『テトリス』(1989年稼働開始)と『ストリートファイターII』(1991年稼働開...
私と町ゲーセンの思い出(その3・音ゲーブーム~2000年の大氷河期時代)
前回からの続きになります。前回、及び前々回を読んでいらっしゃらない方は、そちらから読まれるのをおすすめ致します。 前回は2D、3D格闘ゲームの大ブームで、ゲーセンが対戦台で埋め尽くされたところまで書きましたが、今回はその後、格ゲーブームの収...

 

 

アーケードゲーム超氷河期と通信対戦ゲームの登場


Game Center [Insa-dong / Seoul] / d’n’c

前回は格ゲーブームやプリクラブームが落ち着き、町ゲーセンが超氷河期に入ったところまで書きました。時期にして2000年くらいでしょうか。それまでは2D格ゲーのあとは3D格ゲー、そして音ゲーというように、何かの人気が収束しそうになる頃にちょうど次のブームが来たのですが、2000年になって継ぐものはありませんでした(少なくとも今までのような大きな存在としては)。

さらに家庭用ではアーケードビデオゲームの性能を凌駕するPS2も発売され、ゲーセンに行ってビデオゲームをやるメリットは薄れてしまいます。もっとも1998年のドリームキャスト発売からこの傾向は始まっていましたが、当時はまだ格ゲー人気が残っていましたからバーチャ3なりソウルキャリバーなりを家で練習して、ゲーセンで対戦するプレイヤーもけっこういたのですけどね。

しかし、ここで冬に突入したのは何も町ゲーセンだけではありません。同じく大手のゲーセンも集客につなげるものがなく、非常に苦戦していました。結果、メーカー系列として超大手だったセガの店舗数が整理されたり、同じく大手チェーンのシグマがアルゼに買収されたり、コナミがゲーセン運営事業から撤退などなど(まあこれらは企業の様々な事情もあるので一概にゲーセン不況のせいだけとは言えませんが)。
そして、この時期はメーカー系でもゲームの数が減り、昔ゲームフロアだったところがUFOキャッチャーなどのプライスフロアやプリクラ及びその類似製品フロアになったりしたところもあります(そして今も尚、そのままのところもあったりします)。

こんな状況が続きますが、2003年~2004年頃に大手が打ち出したもののひとつが、大型筐体の導入。前述の通りビデオゲームは家庭用が追いついてゲーセンでやるメリットが失われてゆきましたが、大型筐体は家庭用では出来ない、独自の楽しみをゲーセンで与えてくれます。たしかにこの頃は周辺機器が増大し、『電車でGO!』のマスコン、『ドラムマニア』の専用コントローラなど、アーケードの操作性を模すためにかなり独自色の強いものが出ていましたが、それでもゲーセンの大型筐体によるものは家庭用のそれでは追いつけないものがありました。
特に人気が出てきたのが、この頃IT革命を経てかなり普及したインターネット通信を使ったもの。『三國志対戦』などのカードゲーム系、それに『MJ』などの麻雀などでしょうか。『クイズマジックアカデミー』が登場したり、音ゲーに通信によるランキングが反映されるようになったのも同時期でしょうか(『機動戦士ガンダム 戦場の絆』はもう少し後ですな)。

 

時が止まった町ゲーセン


ゲームセンター / sabamiso

しかし、これら通信を伴う大型筐体は、殆どの場合大手のゲーセンのみの導入に限られ、町ゲーセンに回ってくることはごくわずかでした。

理由は以前も書きましたが、導入コスト。大型筐体はそれ一台だけで100万単位の金がかかってしまいます。サーバとサテライトが分かれている場合などはさらに。よって、個人経営に近いような町ゲーセンではそれらを導入する資金がなかったのですね。それでも絶対当たるようなゲームならバーチャの時のように導入されたのでしょうが、人の流れの多い都市部はともかく、一度人の離れてしまった町ゲーセンとしては、導入するにはかなりリスキーなものとなっていました。

さらにコストよりも深刻な問題が、「置く場所がない」ということ。メーカー系の多くの店舗はけっこう広いスペースを持っていて、大型筐体でもそこそこ置けるところがあるでしょう。でも町ゲーセンの場合はそれこそ個人商店くらいのスペースしかないところが多く存在し、そういう店ではそれを置いたらおしまい、場合によっては入り口から入らないなんてところもあったでしょう。

それ以前に2005年くらいといえば、まだインターネット回線でさえ入れてないゲーセンがあったとしても全く不思議じゃなかった時代ですので、通信環境の問題として仕入れられなかったケースもあるでしょう。

こんな感じで、1990年代にはそこまで大きな差がなかった町ゲーセンと大手ゲーセンは、2005年頃にはすっかり差がついてゆくことになります。

この頃、ちょうど会社を辞めたばかりで暇だったのもあり、いくつか町ゲーセンを回ってみたのですが、感想は殆どの場合で同じでした。それは「時が止まっている」というもの。つまりは新台の入れ換えがない。もしくはあってもわからないという感じ(KOFシリーズとかごく少数の入れ換えはあったみたいですが気づかなかった)。

特に昔遊んだ町ゲーセンにおいては、発売から10年を経て尚「レイブレーサー」が置いてあり、他のゲームも一昔前に出たビデオゲームばかりで殆ど基板の入れ換えもありません。それも無理はなく、この頃は格闘ゲームのリリースも大手のナンバリング以外は殆ど行われず(その上ストIIシリーズはストップ状態)、それを近所の学生が50円で遊んでいる感じでした。なんというか、ゲーセン全部がレトロゲーコーナーとなっていた感じです。まあそれはそれで自分は楽しめるので、それからたまに行って処理落ちしない『ダライアス外伝』とかこの時代になるとちょとポリポリが目立つ『レイブレーサー』を音楽目当てにやってましたけど、ゲーセンの空気としてはやはり消沈気味でしたね。

そして悲しいことに、このあたりで急激に町ゲーセンの数が減少してゆきます。前回の終わりにうちの近所における町ゲーセンの減少っぷりを書きましたが、残っているだけまだましで(もともと多かった地域だしね)壊滅した地域も多くあると聞きます。

 

町ゲーセンに普及し始めた通信対戦麻雀ゲーム

格闘倶楽部
格闘倶楽部 / Koji Horaguchi

このまま大手以外はなくなっちゃうのかと思わせられもしたゲーセンですが、2008年頃になるとちょっとした変化が見えます。それは、町ゲーセンにもビデオゲーム以外のとあるものが置かれはじめたこと。具体的には『麻雀格闘倶楽部』や『MJ』といった麻雀の通信対戦ゲーですね。

この頃になるとインターネットが普及し、またこれら通信対戦麻雀も広まってきました。そこで町ゲーセンの多くが勝負に出たのかこれらを導入。すると町ゲーセンでもこれらをプレイする人が多くなりました。

ちなみにプレイヤーは格ゲーのような若いユーザーよりは、年配の人やサラリーマンなどを多く見かけます。テトリス時代を彷彿とさせますね。ゲーセン経営者ではないのでインカムの詳細はよくわかりませんが、これらの麻雀ゲームにはほぼ常時誰かが座っていて、中には長時間座りっぱなしな人もいるので、インカム的にはかなり大きな存在になっていると思われます。何より麻雀はほぼ廃りがありませんからね。

これに伴うマイナスをあえていえば脱衣麻雀はほぼ壊滅状態になったことくらいでしょうか(ネットにおけるアダルトコンテンツの普及もあるでしょうが)。

そして麻雀ゲーム以外でも、町ゲーセンで通信が対戦にかかわってくるゲームがいろいろと入荷されてくることになります。前述の『クイズマジックアカデミー』や音ゲー、それにこの頃対戦ゲーム(2D、3D対戦格闘の他モビルスーツ対戦ゲームのようなものも含む)にも通信による戦績保存などの仕組みが導入され、超大型の筐体はなくてもそれらの通信対戦ゲームが出来るようになってゆきます。さらにははNESiCAxLiveのような通信で色々なゲームを遊べるような仕組みも導入されてゆきます。

これら通信を利用した様々なゲームの導入により、数年前までの閉塞感からはある程度抜け出た感じがあります。もっともここまでに多くの町ゲーセンが残念ながら営業終了されてしまったのですが。

 

独自色を打ち出す町ゲーセン


ゲーセン見学なう。 / bm.iphone

しかし、ここで町ゲーセンは昔のように戻ったというと、自分としては違う印象を受けます
昔はその時期での人気ゲームに合わせたラインナップで、レストゲームなどで個性を出しつつも、わりと画一的だった町ゲーセンが(格ゲーブーム以降は特に)、最近は町ゲーセン毎に多種多様になってきたなという感じがするのです。

たとえば、若い学生が多いところではウイニングイレブンやガンダムが多かったり、対戦格闘が盛んだったりしますが、サラリーマンが多い地域では通信対戦麻雀やパチンコ、パチスロのメダルゲームがわりと多かったり。また、音ゲーや格ゲーなどに特化しているところもありますし、レトロゲーはレトロゲーでこだわって特化しているところもありますね。なんとなくですが、今生き残っている町ゲーセンはそういった方向性を持っている感じが強いのです。
そういえば、以前こんな報道がありました。

■asahi.com(朝日新聞社):「ゲーセン」いまや常連はお年寄り シニアサービス充実 – 社会(リンク切れ)

このニュース、決して嘘ではないと思われます。多様化の結果、このように高齢者の多い地域ではそのように最適化しているところもあっても不思議ではないでしょう。
たぶんこれからもその時々の様態にあわせて変わってゆくのでしょう。

 

これからの町ゲーセン、ひいてはゲーセン全体の問題


CLUB SEGA 秋葉原 新館 たまゆら ~hitotose~ 大人気展開中 / fukapon

ただし、これで町ゲーセン始めゲーセン全体にとっての問題が全て解決されたわけではありません。

一番はやはりコストとインカムの関係。これは大手ゲーセンにも言えることですが、現在でも原則1プレイは100円というイメージがついてしまっています、それを崩すための取り組み(たとえば120円にするなど)が何度も行われているものの、効果を上げているというニュースは聞きません。

そのため、最近では対策の一環として、コナミのpaceriなど電子マネーを導入し、基本ワンプレイ料金を値上げ、もしくは細分化したり、アイテム課金するなど、ワンコインのプレー料金以外での収入方法を探っています。

しかしここでも問題があり、電子マネーを導入するということは、ゲーセンはその手数料を胴元に払わなくてはいけないわけで、そのぶん収入が減ることになります。

更に最近はワンプレイ毎にそのプレイ料金の何割か(もしくは固定金額)をサーバ利用料という名目で開発元に払うようなゲームも出て来ています(まあその分筐体の料金は安くなっていることもありますが)。そうなると町ゲーセンの利益は余計圧迫される危険性があるわけで、そこの採算性が問題となる可能性は高いでしょう。

また、例によってこれらの仕組み時代も、かつて2Dや3D格闘が飽きられて衰退に向かった時みたいに、また下降線を辿る可能性は高く、常に目新しいものがないといけませんが、そこあたりもメーカーがから店舗まで、業界全体が大変なことになるでしょう。

ただ、ゲームの歴史を振り返ると既に衰退してしまったものも数多くあり(20年やら30年続いてるファミコンやゲームボーイ、プレステといった据置機、携帯機系統が例外的にすごいのだよね)、盛り上がって今後の筆頭唯我独尊的存在みたいに喧伝されていたソーシャルゲームもなんだか微妙な風が吹いている昨今、なんだかんだでインベーダーから数えて30年以上続いているこの業界、粘ると思うし、そうであってほしいと思います。

 

 

まとめ

さて、駆け足気味で町ゲーセンの歴史を書いてきましたが、そこそこ客観的に書くように努めたつもりではありますがこれは私から見た一面であり、育った場所に置いてまた別の町ゲーセン増を持っておられる方もたくさんおられることでしょう。故に、個人毎に違う町ゲーセンの思い出、ひいてはゲーム全体の思い出を多くの人にちょこっとずつでも語って頂くと、今まで見えてこない買ったゲーム史が発見出来るのではないかと思ったりしました。

ともあれ、子供の頃から存在し、今も尚筐体が稼働しているゲーセンに、その魅力を感じる限り私は行き続けたいと思います。ゲーセンでしか得られない楽しみって絶対あると思いますしね。とりあえず自分は最近は音ゲー、それにダライアスバーストですね。家庭用も悪くないけど身体(耳)で感じる場所の雰囲気とボタンの落ち心地は別物感はあるかなと。


ちょっと寄り道してゲーセンへ。あ、あった!!凄まじい存在感!なにこの魚拓欲しいwww / Yuichiro Haga

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