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私と町ゲーセンの思い出(その1・昭和の時代~平成初期)

ゲームセンターというと、最近ではメーカー直営の店が目立ちますね。セガ系バンナム系、それにラウンドワンやアドアーズのようなチェーン店も多いです。しかしその一方、それら大企業の経営ではない、地元の小さな会社や個人が経営しているような、「町ゲーセン」と言える感じのゲーセンもあります。

しかし、ここ10年くらいはゲームセンター自体が減少傾向にあります。全体の問題としては、アーケードゲームがコンシューマなどのゲームに押されゲーセンに行く必要性が薄くなっていったとか、格闘ゲーやプリクラレベルのヒット作がないなんてこともよく言われますが、町ゲーセンの場合、メーカー系などより小規模な資金で運営されているため、値上がりする基板や筐体の代金の採算が取れないなどという問題もあります。よってメーカー直営店でも整理統合が行われ数が減っていますが、町ゲーセンはそれを上回る勢いの店舗が潰れているように感じます。

しかし、今でも根強く生き残っている町ゲーセンは多く存在します。特に私の住む東京23区西部地域は、もともとベッドタウンでもあり学校も多いためか、数多くなくなりはしたものの、そこそこの数が生き残っています。しかし新規で出来る町ゲーセンの数が殆どないことを考えると、今生き残っているゲーセンってストIIの頃からでも20年、グラディウスなどの頃からするともう30年も続く長寿店舗になろうとしているのですよね。こう考えるとけっこうすごいことです。

そして私のゲーム歴においても、これらの町ゲーセンは非常に大きな影響を及ぼしています(勿論メーカー系の大きなところもですけど)。

そんなわけで、今日はそんな町ゲーセンに対して、感謝の気持ちと状況が少しでも上向きになればいいなあという希望と共に、思い出を語ってゆこうと思います。個人的な思いで語り中心ですが、まあ個人視点から見たゲーム史の一部として読んで頂ければと。
尚、書いていて思いが詰まりすぎて長くなってしまったので、2~3回に分割します。

 

 

小学生の頃、町ゲーセンに通う前の話(昭和の時代)

私の子供の頃はまだ「ゲーセンは不良のたまり場」というイメージが強く残っていた時代であり、小学生にとってはまだ入るのには壁がありました。では、どこでアーケードゲームをしていたかというと、主にスーパーのゲームコーナーやおもちゃ屋、駄菓子屋の店頭に置いてあるゲーム。

スーパーのゲームコーナーは、千川通り沿いのヨークマートに当時そこそこの大きさのゲームコーナーがあり、そこにテーブル筐体やスタンド筐体のゲームが置いてあったのです。そこに習い事の帰りに寄るのが習慣でした。スーパーのコーナーらしく像の滑り台やらピカデリーサーカスが置いてある横に置いてあったそれらアーケードゲームは、記憶しているところで『ハイパーオリンピック』『魔界村』『マイティボンジャック』『マッピー』などなど。今調べ直すと思うとやはりスーパーのゲームコーナーなので、最新のリリースからは少し遅れたものが置いてあったのですね(『パックマン』もあったしな)。それでもファミコンしか知らなかった自分にとって、当時ファミコンのスペックを凌駕していたそれらのゲームをプレイすることは非常に鮮烈な経験として残っています(同時に移植度の低いゲームに子供ながらに失望してしまったりしたものですが)。

ちなみにここで耳にした『マッピー』の音楽は子供心に非常に鮮烈であり、それが今に影響しているのかもしれません。

もうひとつはおもちゃ屋や駄菓子屋の店頭にあるゲーム機。これは「オレンジ色のスタンド筐体」と言えばピンと来る人もいるでしょう。YouTubeにそれがあったので。

これらオレンジ筐体のちょっと、じゃなくてやけにガタつくコンパネで、おもちゃ屋では『ファンタジーゾーン』や『ワンダーボーイ』、それに駄菓子屋では何年も入れっぱなしであっただろう『ペンゴ』や『ロックンロープ』などをやっていました。

余談ですが当時はゲームに対する著作権意識が低かったせいもあり、筐体に時間制のスーパーマリオやドラクエがプレイできるものがあったり(改造だね)、このテのオモチャ屋でレンタルゲームをしてるところがあったりもしました。

さて、アーケードビデオゲームの料金と言えば現在100円が主で、町ゲーセンの当時の料金は50円がメイン。それはこの時代から続いているのですね。そりゃ基板価格や物価高騰に伴ってゲーセンの経営も苦しくなるわと思います。ただ、当時は10円とか20円という単位のゲーム料金もわりとありました。小学生としてはそっちメインだったのですけどね。

 

中学生の頃、町ゲーセンに通い始めた時代(平成初期)

そんな町ゲーセン時代を経て、中学生にもなると堂々とはいかないまでもゲーセンに入るようになります。そこではスーパーなどより数多くの最新のゲームが揃っていて、ひとつのカルチャーショックでした。

しかし、ここで記憶二残っているものは何故か後世で超有名になったゲームよりも、少しだけマイナーなものが多いです。印象に残っているので有名なのは『スプラッターハウス』ですし(まあ理由はだいたいわかる)。あと『KLAX』とか『マーベルランド』『カプコンワールド』等々。ちなみにこの時はまだ現在主流のアップライト型ではなく、テーブル型筐体のほうが主流でした。

ゲームセンターで一番鮮烈だったのは、それまでにはあまりなかった大型筐体が鮮烈な印象を残しています。レースゲームもそうですが、記憶残っているのは初代ストリートファイターの感圧式筐体。これは新鮮でした。ただ、手がいたくなるんだよねこれ。あと昇竜拳とかなかなか出なかった。

さて、この頃自分の通っていたのは、ほとんど地元のゲーセン。つまりは町ゲーセン。希に池袋に行くこともありましたが、ほとんどゲームは地元でした。というのも私の生活圏内は東京都の23区西側で、主に西武池袋線、西武新宿線、中央線沿いだったのですが、それらを中高生の体力で自転車移動すれば数え切れないほどのゲーセンが存在していたので。

うろ覚えですが、桜台駅前にセガ直営、練馬周辺に2件、中村橋に2件、富士見台に2件(一瞬3件あったことも)、野方に2件、鷺宮に1件、下井草にも1件(「ヒノーズ」というスコアラー店をごく少数の人はご存じかと)、そして学生街である江古田には4件、さらに中野まで出てしまえば無数に存在します(行ったことのある店は北口ブロードウェイ&サンモール内だけですが、そこでも6店ありましたら、広げれば10超えてたかも)。あと夏のみとしまえんのタダ件が手に入る友人がいたので、その中にある大きなゲーセンに何回か行ってました。

これらの所に1時間かからずに行けてしまえていたのですから、そりゃわざわざ電車乗っていく必要はないですね。あえて言えば『ダライアス』を当時発見出来なかったのが悔やまれます(実機でプレイしたのはゲーセン巡りをするようになった数年後)。
ただ、この上で述べた数、軽く覚えておいてください。あとでまた触れることになるので。
ちなみにこの頃にはすでにゲーセンに対しての風営法が改正されており、小中学生は6時までしかゲーセンにいられなくなっていました。まあ個人的には夕飯で帰る時間なのでそんな影響はなかったのですが。

このようなゲームをしていたのですが、ほぼ同時期からゲーセンで大きな動きが起き始めます。それは町ゲーセンのみならずゲームセンター全体、いや、ゲーム業界全体に影響を与えるゲームがふたつ誕生したからです。その名は『ストリートファイターII』、そして『テトリス』という大人気ゲームの登場。

続きはまた次回。今度は平成初期から2000年代を語ろうかと思います

 

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私と町ゲーセンの思い出(その2・2D格ゲーブーム~3D格ゲーブーム)
個人的な経験からの町ゲーセンの歴史を書いた前回の続きです。未読の方は以下からお読み下さい。 前回は平成初期までを書きましたが、そこで最後に名前を挙げたゲームが『テトリス』(1989年稼働開始)と『ストリートファイターII』(1...

 

◆余談

ゲーセンのタイトル通りな視点から見た歴史については以下のエントリーで過去に触れているので読んで下さい。

「ゲーセンは終わった」と言われ続けた歴史
ネット上を見ていると「ゲームセンターは終わった」という言葉をたまに見つけることがあります。ただ、昔からゲーセン通いの人はわかるとは思いますが、この「ゲーセンは終わった」という台詞、今に始まったことではなく、昔から言われていたのですよね。それ...

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