ゲーム機の歴史の中には、客観的に見て「失敗だっただろ」と思わせるハードはいくつもあります。それは現在トップの任天堂でもそれは存在し、『バーチャルボーイ』、『サテラビュー』、そして『64DD』なんてのが有名でしょう。
自分は以前から言っているように『バーチャルボーイ』に関しては営業的には失敗しましたが、その発想は個人的には非常に高く評価しています。
■参考
あと、『サテラビュー』も、処々の事情で頓挫しましたが、放送とゲームの融合という新しい可能性を見せてくれました。
では『64DD』はどうなのかというのが今日のお話。
一応64DDについて説明すると、Nintendo64につける、ディスク媒体の拡張機器です。特徴としては「ディスク媒体」「通信モデムを備えている」といった特徴がありました。
しかし任天堂にしては発売延期を何度も繰り返し、投入されたのは64がトップシェアとなれないことがほぼ確定していた1999年。そして販売は任天堂ではなく、リクルートと共同で設立した子会社、ランドネットDDを通してのものとなっていました。
しかもこのハード、販売方法は通販のみ(後に店舗販売もあり)、しかも厳密にはハード購入ではなく、ランドネットDDというプロバイダのようなものに加入して、月々の料金を払う形、しかもクレジットカードが必要と、販売の手間も非常にかかるものでした。
■参考:64DD – Wikipedia
さて、はっきり言います。この64DD、すでに投入時からその時代のゲーム機戦争、すなわちPSなどに対する存在としては置かれなかったと考えてよいのではないでしょうか。まあ冷静に見て、PSの勢いが乗っている時代、Nintendo64の拡張ハードで、しかも通信はあるといっても28.8Kbpsのモデムで、先発のドリキャス(33.6Kbps)よりも遅いという仕様。任天堂のソフト力をもってしても、これがトップハードになるとは思えません。これをそのまま次世代機戦争に投入するのは無謀でしょう。
つまりこれは元々敗色濃厚となっていたものを、独自路線、つまりこのような凡雑ではあるけどそれ故に独自のことができる可能性があるところに持ち込んだのではないでしょうか。任天堂直販としないで会社を別に作ったのも、失敗したときのリスク(ブランド名が傷つくこと)を考えてという可能性があります。まあ、残念ながらそれも出来ませんでしたが。
私、実はこれを持っています。さて、こんな上のような事を書いておいて何故買ったか。実は「勝ちハードになる」とは買った自分でも思ってませんでした。つまり、おそらくは主流にならないと思って買ったのです。その理由は「ほかの人がもっていなさそうだから」。
1990年代中盤、失われた10年のまっただ中で不況の波はあったけど、派遣もなかったために、短期のアルバイトはかなり数多くありました(ちなみに力仕事なら日給1万も珍しくなかった)。そしてそこで稼いだお金で、PS、SS、64、DCとすべて購入しました(今より潤ってたんじゃないかなあ……)。
で、当時はゲーム雑誌なども読みあさっていたので、この64DDのニュースもよく見ていました。そして「まあ普及しないだろうなあ……」というのも感じていました。
でも買いました。それはなんというか、「夢」があったのですよね。これは前述のバーチャルボーイやサテラビューにも感じていました。しかし当時はお金がなく、そういったものに手を出す余裕はありませんでした。だけどこの時期、はじめて「無駄になるかもしれないけど」というものにお金を出せたという感じだったのです。まあそれを「ゲームマニア」と言うのかもしれませんが。
元が取れたかどうかは微妙なところです。たしかに『巨人のドシン』は遊びましたけど、はっきり言ってそれだけでしたし、肝心のネットも当時PCを購入していたので、そっちでばっかりやっていましたしね(メアドもらえたはずだけど、一回も使わなかったなあ)。
正直、ゼルダが出ていれば元は取れたでしょうけど、残念ながらほとんど壊滅でしたしね。
ただ、損をしたとは思っていません。それは前述のように覚悟をして買ったからからでしょう。ま、ある意味ゲームファンからマニアになる記念碑的存在かも。あと、最近妙にプレミアがついているのもあるかもしれません(これもマニア思考)。それに何より、今日のネタになったし。
そして、任天堂の方も、Wii成功の裏側には、こういったものから培われた意思や教訓をふまえて今があるのだなあと考えると、愛着が湧くような気もします。