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裏技ページが雑誌の売り上げを左右していた時代があった

ゲーム雑誌はファミコンの時代から存在しましたが、その頃はまだゲーム業界も黎明期であり、今のように体制が整っていなかったため各誌がかなり自由に行動していた感じがあります。それが故に、どの雑誌も非常に個性的でした(その面影を残しているのが、今のCONTINUE系統のゲーム雑誌なのだと思う)。ちなみに現ファミ通の前身でもあるファミコン通信は、その個性が強い方の雑誌でしたね。まあ今でも編集者を前面に押し出す感じとか、その形跡が見られます。
あと、今ではあまり考えられませんが、各ゲーム雑誌がとあるメーカーや他誌を批判している場合もあったりしたのですな。特に『ハイスコア』のハドソン非難、『ファミリーコンピューターMagazine』の『マル勝ファミコン』の間接的非難などが印象に残っています。

さて、そんな当時に雑誌の売り上げを左右していたものは何か、というと「裏技ページ」という話を聞いたことはあるでしょうか。

つまり「ドルアーガの塔面選択」とか「ゼビウス無敵」「スーパーマリオ無限増殖」といった裏技の類をどれだけ掲載できるかが、その雑誌の売り上げを左右していたらしいのですね。なので当時は裏技コーナーへのハガキ投稿を獲得するため、そのすばらしさによって現金や商品、ファミ通ならガバスが進呈されていました。

それについて、当時ライター経験のあった鈴木みそ氏が、『あんたっちゃぶる』で語っている回がありました。

 

『あんたっちゃぶる』3巻の「あの禁断の秘技は今」01

『あんたっちゃぶる』3巻の「あの禁断の秘技は今」(P58~61)01

これは『あんたっちゃぶる』3巻の「あの禁断の秘技は今」(P58~61)に掲載されたもの。ファミコン通信に掲載されたのは1992年で、ちょうどドラクエVが発売されたあたりらしいです。
で、読者のハガキを選定していたのがライターなのですが、かなり苦労が多かったようです。まず、当時はビデオでさえ普及していない時代でしたので、再現及び撮影はライターが行うのですが、パソコンもなく、撮影写真はカメラマンを待機させてやる。だけど再現がなかなかできないという感じ。今なら楽な画面取り込みも相当苦労されていたようです。

『あんたっちゃぶる』3巻の「あの禁断の秘技は今」02

 

また、しょうもないものが結構送られてきたそうですが(俗に言う「キンタマリオ」系のもの)、それもひとつの味になっていましたね。

あと、ちょっと有名なアイディア技が初代『ドラゴンクエスト』の「キャラクターと同じ大きさの絵をてきとうに描いて、画面の真ん中にテープで貼る」というもの。

『あんたっちゃぶる』3巻の「あの禁断の秘技は今」03

『あんたっちゃぶる』3巻の「あの禁断の秘技は今」(P58~61)03

これは当時このマンガを読んだ時から「ああなるほど」と思いましたね。

 

あと、『ゼビウス』の9229無敵技は、デバッグの外し忘れですが、当時似たようなものを雑誌に載せるとメーカーから文句が来たようです。しかしゼビウスの場合は、その無敵が発見されてからまた売れたという話も載っています。

ほかにも、メーカー勤務の子供がサンプルでしか出来ない裏技を送ってきたり(今なら送られた時点で大問題になるな)、マップを作るのが大変だったりという当時の苦労話も。

ついでに「ファミ通では禁じ手」と書かれてはいますが、『六三四の剣』のカセット入れ替え無敵技についても書かれていたり。

 

今では、というかこのマンガの掲載された時点(1990年代最初)でも、すっかり裏技の価値は低くなっていましたが(まあもともと多くはバグとか副産物ですしね)、なんだかこういうので盛り上がっていた時代は独特の味があったなあと思ってしまうわけです。

 

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