このようなエントリーが。
■不倒城: シューティングの凄さをわかっていない人が結構多い
上の不倒城さんでは「操作系」に焦点が当てられていますが、シューティングのすごさはそれだけではありません。それは演出面。おそらく不倒城さんや多くのシューターの人はすでに実感していると思いますが、せっかくなのでちょっと便乗して、いまいちなじみがない人向けに、今日はそれを語ってみようと思います。
さて、シューティングは実は「物語性」がかなり強いというのはご存じでしょうか。最近のタイトーもの(レイフォースやダライアスシリーズ、メタルブラックなど)やトレジャーシリーズ(シルバーガンや斑鳩)でのストーリーにおける世界観の奥深さは有名です。中にはそんなでもないものもありますが、わりと多くのシューティングではそのような世界観、そしてストーリーを用意しているのですよね。
これはシューティング初期の名作『ゼビウス』から存在したものです。ゼビウスはあの単純な画面で進行されるゲームなのに、本一冊ができるくらいの設定が用意されていたのですよね。
■参考:イフカルト:シューティングゲームの無駄に悲惨な設定やストーリー
本来弾を撃って進むだけのものなのに、何故ここまで深い話が用意されているのか。それはゲーム中にも連動しているからです。そう、ゲーム中でもそのストーリーを後押しするような演出がいくつもなされます。
しかしシューティングは、ほとんど文字としての情報、つまりストーリーの説明をはさみこめません。限度はボスの手前で字幕が流れるとか程度。『ティンクルスタースプライツ』や『式神の城』、東方Projectの作品では一応会話が流れますが、そんな長いものは書けません、せいぜい30秒も経たないうちに読み終わるものでしょう。これには理由があり、シューティングでは原則的に「流れ」があるので、あまりそういったものが長いと、進行を止めてしまうのですよね。特にアーケードゲームの場は顕著です。
なら、どうやってそれらのストーリーを演出するかというと、文字以外のところで。これらの演出が長い歴史で非常に考え込まれていて、ユーザーに強いインパクトを与えるのですよね。
たとえば『レイフォース』は、人類生き残りのための作戦なのですが、2面のボス前で友軍が敵に壊滅させられるのが背景に見えます。つまりここで「もう人類の希望は自分の操作しているものしかいない」という衝撃を与えられるのですよね。
それに、『エスプガルーダ』では、最初に今まで育ててくれたおじいさんが撃ち殺されるシーンで,そのうち殺した人を斬殺して飛び出すところから始まります。そしてその後戻りできない決意を刻みつけてくるのです。『ガンフロンティア』や『バトルガレッガ』では、前の面でボスだったキャラが、背景にすごくたくさん見えたりします。1機でも前の面で苦労したのに、あんなのが大量にいたら……という絶望感と、ラスボスを倒さないと解決しないという決意を与えるのです。
そのほか『メタルブラック』の最終面、『Gダライアス』の雷光で鯨が見えるシーンなど、非常に細かいところでユーザーを驚かす演出が多いのですよ。単純に右や左や上から敵が出てきて、背景がのっぺりとあるだけではないのです。
さらに音楽も。シューティングは原則強制スクロールですので、その音楽が流れる長さは決まっている上、進行に合わせることが出来ます。故にある地点で音楽のテンポを変える、なんてこともあります。『ダライアス外伝』のラストステージでは、最初音がないのにステージ途中からフェードインで鳴り始め、ちょうどラスボスとの遭遇時にサビになるという痺れる演出がありますし、『斑鳩』では、ステージ途中の面表示演出からいきなり音楽のテンポが変わったりして、驚きを与えるのです。
おそらく、ゲームにおいて文字を使わない演出となると、最高峰クラスの洗練をされているのが、シューティングではないかと思うのです。まさに「文字が使いづらい」というのを逆手にとって進化してきたものとして。
ちなみに私が思うに、これらの演出、それにボスの攻撃方法というのは影響を受けて後に語り継がれているシューティングならではの文化だと思うのですよね。最近後発の作品で「○○のパクリ」という人がいますが、そうではなくて、このシューティングのこういった細かい方法は、先人に敬意を持って継承されているものが多いのではないかということ(もちろんものによってですし、中には劣悪コピーもりますけど)。そしてその先人の遺産に加えて、新しいものを足して、STG全体が進化しているのではないかと。シルバーガンとかそんな感じですよね(全く新しい操作系だけど、実は敵ボスなどは過去のものから継承されているものがそれとわかるように出ていることが多い)。
私はこのシューティング文化が好きで、今でもプレイをし続けています。