私がゲームを始めたのは、ファミコンの登場した小学生時代です。もちろんはじめて所有したのもそれでした。そしてそこから今まで、家庭用、アーケード、PCと様々に広がってきました。
しかしながら、自分のゲームプレイ経歴を辿ってゆくと、順当にゲームの歴史と共に全てをプレイしてきたわけではないのですよね。たしかに小学生時代にセガマークIIIはすでにありましたが、これは当時ほとんどプレイしていません。というのは自分は持っておらず、友人の家でたまにやる程度だったので。つまり、あの年代にゲームを始めたからといっても、そこ時代のゲーム全部に詳しいというわけではないでしょう。これは、おそらくはすべての人に当てはまると思います。
なら、ゲームをプレイし始め、成長してからはそれは順当に広がってきたのか、というと、そういうわけでもありません。私の場合、高校受験の時にゲーム機をとりあげられて以来、高校に入ってからもゲームから離れてしまった時期があります。ですので、実はファミコン後期からスーファミ前期はリアルプレイではないのですよね。家庭用においては大学受験時も同じで、SFC後期、メガドラCD時代はすっかり抜けてしまいました(そのかわり、塾帰りのアーケードに狂ったように燃えましたが)。
このように、たとえゲーマーでも自分のゲーム経歴において、空白期間となる時代ってのは多くの人にあるのではないかと。それは理由は様々です。実生活の変化とか、ゲームをすることに抵抗を覚える中二病的なものとか。もちろんそのままゲームから離れてゆく人もいるでしょうが、それが治まり、まだ状況が変わるとゲームをするようになると。そしてその時代が私にとってはスーファミ時代だったと。
だけど、ゲームに対しての意欲が残っている場合再び始めた上、その期間を埋めるように、過去のゲームをやったりしませんか? で、ものすごく熱中すると。それは、すでにあるため、発売を待つこともなく、おもしろかったものだけを抜粋して出来るからでしょう。私がスーファミを買ったのは受験が終わった後ですが、そこで激ハマリして、家ではスーファミ(そしてそのままサターンとPSに繋がる)、外ではアーケードとゲーム三昧でした。もう時間があってもあそこまでプレイは出来ないでしょう。
昔、最近ゲームを始めた人が、ゲームをよく知る人に過去の作品(『ドンキーコング』)から順々に進められて、数日でおもしろいゲームを抜粋しつつ、ゲームの歴史を昇ってゆくという竹本泉氏のマンガがありましたが(主人公は女性なのに激ハマリして、『テトリス』時代でリアルな隙間にものを挟み込み微笑んで、友人がそれをわかるというオチ)、そんな感じ。
まあ何を言いたいかというと、ゲームを中断している人ってのは、そういう「大量に押し寄せる楽しさ」の可能性があるからうらやましいなということ。つまり、ゲームをやったことのない人に勧めるには、最近のゲームよりも、ファミコンから教えてあげたほうが、いろいろ楽しいかもしれませんね。そして、自分でもその空白の時代があったのなら、やり直してみるのもおもしろいと思います。
ただ、もちろんずっとやり続けていた場合には、ずっとやり続けていたなりの楽しさはあるのですけどね。
しかしこれ、ゲームではなくても、時間と共に経過している文化では同じことが言えそうですね。昔は見ていた、読んでいたけど、ここ数年触っていないものを改めてその中断した時代あたりからおもしろいと言われているものを見直してゆくと、急激にハマるかもしれませんね。私もアニメしばらくほとんど見てないから、見直してみるかなあ。