空気を読まない中杜カズサの『ケータイ小説大賞の「あたし彼女」の文書形式は十分評価できると思う話』において、画面サイズの話から、ちょっとゲームのウインドウのことについて触れたので、ここで書いてみようと思います。
昔から、PCゲームからコンシューマハードに移植されることは珍しいことではありません。特にPCでは、アドベンチャーゲーム(ギャルゲー)がかなり移植されてますよね。さて、ギャルゲーはほとんどの場合、画面は絵+文字という構成になります。そこで文字を表示する方法としてウインドウタイプ、ビジュアルノベルタイプとありますが、実はどちらの場合も、コンシューマに移植された際、なんだかPCの時とは違和感が生じていたことがありませんか? これの理由はすぐに気づきます。文字のフォント及びサイズが変わっていることが多いのですよね。場合によってはウインドウなどのレイアウトも変わっていることもあります。そして多くの場合、PCに比べて大きくなっていることが多いです。さて、これは何故でしょうか。
大ざっぱに言ってしまうと、これは「PCとテレビの画面の違い」です。ただ、これにも複数の要素があります。
まず、テレビ画面とパソコン画面では、ご存じの方も多いようにその表示自体が異なります。これは走査線、アスペクト比等々いろいろあるのですが(このへんちょっと弱いので大ざっぱですが)、同じ14インチサイズだったとしても、パソコンのモニターで見られる文字が必ずテレビでもその通りくっきり見られるわけではないのですよね。もちろん最新のテレビならそうでもないかもしれませんが、今、コンシューマゲームをするにあたって使われているのは、それこそ人により新旧大小さまざまです。14型モニタが現役の人も少なくはないでしょう。
さらにプレイスタイルの違いもあります。パソコンの場合、画面と目の距離は1mを超えることはあまりないでしょうが、テレビの場合、1mどころか2m以上離れてプレイすることも不自然でも何でもありません。その結果、文字は当然見にくくなります。
となると、PCでのゲーム中に認識できた文字も、そのまま移植した場合見えにくく、読みづらくなる場合が出てきてしまうのですよね。しかもPCの場合、そのゲームをするにあたっての推奨スペックに、画面サイズやグラフィックボードの環境も書いてあることがありますが、コンシューマの場合それが指定出来ないですよね。ということは、ことによると現行のPC画面以上の画面環境でプレイされている場合もあれば、PCに置き換えれば最低環境以下ってこともあるわけですよね。
これはアーケードゲームでも同じです。アーケードはだいたいモニタのサイズや出力が決まっていますが、家庭では前述の通り。
しかし、文字が見えないということは、ゲームにおいて、特にアドベンチャーゲームでは致命的要素になりかねません。となると、とりあえず大は小を兼ねるということで、14型のブラウン管テレビでも文字が見えるように、多少大きめに作り直しているのでしょうね。ただ、もちろん無制限に大きくしたら、今度はいっぺんに表示できる文字数が減り、文章自体が崩れてしまう可能性があります。つまり、移植の際の文字サイズは、見やすさとレイアウト(文書表現)の最大公約数的なところをとって、その結果やや大きめにする必要があるのではないかと。
じゃあ何で文字サイズの拡大を最初からやらないかというと、そうしたらPCでは文字が大きすぎるからでしょう。そもそも全部が全部、移植を前提としているわけではないですしね。
もうひとつ、なら何で文字のフォントサイズを変更できるようにしないのか、というと、それをしてしまうと制限がかかる上、文字のレイアウトにおいて不測の事態が生じる可能性があるからです。例えば綺麗に2行ぎりぎりでそろえたのに、文字サイズを大きくして、横の最大文字数が減ってしまったがために、文字がもう1行に押し出されてしまうと。もちろん文字サイズ「小」用のレイアウト、「中」用のレイアウト、「大」用のレイアウトと、全部を用意しなければいけないのですよね。しかしそれは莫大な手間もかかりますし、これにより画面に表示できる最大文字数が変化してしまうため、テキストを書く段階から調整しなければいけません。すると最大文字数も変わってしまい、それ自体も非常に手間がかかってしまうのですよね。故に出来ないのでしょう。
だけどウインドウに表示できる文字の数を減らしたくない場合、ウインドウ自体を大きくするなど、レイアウトを変更するってこともあるでしょうね。
というわけで、移植はただハードを移し替えただけではなく、どうしてもこういった細かい差異が生じてしまうので、そのまま移してはい終わり、という簡単なものではないのですね。文字サイズの他にも、「読み込み」「セーブポイント」なんてのもありますね。今ではだいぶ緩和されましたけど。
これはアーケードなどの移植にも言えることで、いくらマシンのスペックが上がったとはいっても、やはりアーケードのコンシューマには違いが生じてしまうのですよね。ですので、昔はもちろんのこと、今の時代でも完全移植というのはやはり細かい部分で気を遣わないといけないところが多いと思われます。別に倫理表現を修正しただけではないのですよということで。
そういった意味で、「完全移植」ってのは、ゲームの環境における細かい差異を判ってないとできないものだと思います。