今週はあちこちで横井軍平さん関連のエントリーを書いているので、ここでも当然書きます。
さて、今の学生さんにはあまりに馴染みのない話かもしれませんが、子供の時に初代ファミコンで遊んだ世代としては、印象に残っているソフトというのがあります。その中でも鮮烈な思い出として残っているのは、『スーパーマリオブラザーズ』以前のファミコンソフト。この頃は手元で操作することで、画面の中のものが動くというだけで感動でした(ちなみにスーパーマリオでその操作する楽しさが究極までいきついてしまったため、その後ちょっとファミコンソフトのあり方が変わったような気がするのは、私の気のせいかな?)。
で、当時周りで人気が有ったソフトが『バルーンファイト』。バーチャルコンソールで出ているし、ファミコンミニなどでもリメイクされているのでご存じの方も多いでしょうが、初期の名作です(ちなみに他で人気が有ったのは『アイスクライマー』と『マリオブラザーズ』)。
しかし、こうして大人になり、改めて『バルーンファイト』のことを見直してみると、かなりとんでもないソフトだったというのがわかります。
このソフトは完全オリジナルではなく、海外の「ジャウスト」というゲームをもとにしています。そのゲームを、HAL研究所が移植しようとして版権問題で中断。その代わりとしてオリジナル版として作ったのがこれです。
■参考:ジャウスト (1987 ハル研究所 / アタリ / ウイリアムズ) – ゲーム中毒 – Yahoo!ブログ
これ、よくよく考えるとすごい技術だと思われます。ゲームをすればわかりますが、キャラクターは風船で浮かぶように動き、空中で敵に当たったりすると、そのぶつかった角度や力において反発の仕方が変わるなど、かなりイレギュラーな動きをするのですよね。それがゲームの面白さになっているのですが、こういった処理はおそらくかなり難しいと思われます。なぜならその衝突の都度、反応を計算するようにプログラムを構築しなくてはいけないので。しかもゲームの場合、全く同じ物理法則ではゲームが成り立たなくなります。よってゲームに最適なように反応するプログラムを組まなくてはいけません(余談ですがスーパーマリオのジャンプは空中で向きを変えたりと明らかに物理的には間違っていますが、それがゲームとして面白いので必ずしも物理に従うことはないでしょう)。
しかしこのゲームは、不自然に感じさせず、尚かつその反発がおもしろい要素となっているのですよね。それをやってのけてしまったのはすごいです(もちろん最初にやった、『ジャウスト』の元プログラマが一番すごいですが)。
また、音楽も耳に残るもので、当時ゲームにテクノポップ調のものが使われるというのは、非常に斬新でした。曲数は少ないながらも、長年耳に残っている人は多かったのではないかと。
では、このゲームを誰が作ったか。わかっている限りでは4人がいたと言われています。そのメンバーは以下の通り。
横井軍平氏
……「ゲーム&ウォッチ」「ゲームボーイ」などの生みの親。宮本茂氏などと並んで任天堂で最も有名な開発者。
岩田聡氏
……任天堂社長。この当時はHAL研究所のプログラマー。つまりこのゲームも岩田氏がプログラミングをしたと考えられる。
坂本賀勇氏
……『ドンキーコングJr』『レッキングクルー』『光神話 パルテナの鏡』などの開発に携わった、任天堂の昔からの開発者。現在メトロイド』『メイド イン ワリオ』シリーズなどの統括。
田中宏和氏
……近藤浩治氏と並ぶ、ファミコン時代からの任天堂ゲーム音楽の代表的クリエイター。音楽のみならず、ゲームボーイなどハードの音源開発なども行っている。現在、ポケモンの開発などを行うクリーチャーズの社長だが、最近でも『大乱闘スマッシュブラザーズX』に編曲で参加。ファンを喜ばせた。
このように、今見直すととんでもないメンバーで作られていたソフトなのですよね。でも当時はそんなこと当然全く気にせず、純粋に熱中していたなあ。あの瞬間はかなり幸せだったのかも。
でも今考えるとこのバルーンファイトってかなりシュールですよね。何でトリが風船を脹らませて飛ぶとか、何でそれを割ったり割られたりするとか、空中に回転するバーが浮かんでいたりとか、魚に食われたりとか(これちょっとトラウマ)。まあそんな設定なんてどうでもいいおもしろさが『バルーンファイト』にはあったのだなあと思います。
ちなみに、このゲームあたりからHAL研究所&岩田氏と、任天堂の関わりが非常に強くなってきます。そう考えると、このソフトは現在の任天堂を形作る上において、非常に大きかったのではないでしょうか。