部屋を整理していると、古井ゲーム雑誌が出てくることがあります。まだ『あんちゃっちゃぶる』を連載している『ファミコン通信』とかね。
さて、この時代からゲーム雑誌には広告が載せられています。そういえばこの時代って、ネットがなかったのですよね。そしてこのような雑誌が、ゲームの情報を知る有力な手段でした。さて、今日はせっかくですので、このゲーム広告の移り変わりについて簡単にまとめてみようと思います。
■FC~SFC時代
この時代のゲームソフトの広告方法は、ほとんど2強だったのではないかと。それはすなわち、CMとゲーム雑誌。しかし、テレビの場合は莫大なCM料金がかかります。なので、それなりの価格のゲーム雑誌というのが、少ない選択肢のうちのひとつだったのではないでしょうか。
この時代にゲーム雑誌が続々と刊行されたのは、有力な広報手段であったゲーム広告でかなりの利益を見込めるという面があったのではないでしょうか(その後、ファミ通など有力雑誌が出てきて、どんどん廃刊してゆきましたが)。そして今でもゲーム雑誌は、ゲーム広報の手段として存在しています。同時に、そのビジネスモデルが現在、ゲーム雑誌の質的な面(メーカー情報を取り扱う広告雑誌になって、酷評がしづらい)で、足を引っ張ってしまっているところもあるかもしれません。
あと、ある特定の場所に行くことにより得られる手段として、ゲームショップの試遊台、チラシなどがありましたね。もっともこの当時の試遊台は、店側が用意しているケースも多かったみたいです。
ちなみにマイナーな広告手段としては、テレフォンサービス(電話をかけると自動音声でゲーム情報が手に入る)、FAXサービス(情報がFAXで取り出せる)、ダイレクトメールなどもありました。
■PS・SS~PS2中期時代
この時代にも相変わらずCMやゲーム雑誌の広報は有力で、特にSCEはCMを使った広い対象への広告をしかけていました。パラッパラッパーやクラッシュバンティグーなどは、それにより認知度を伸ばしたと思われます。そして『刻命館 影牢』『電車でGO!』なども有名になりましたね。後々は『せがた三四郎』シリーズも流行りましたし、ファミコン以来数年間停滞していたゲームCMが、このあたりで盛り上がったと思います。
さらに、一般向けゲーム雑誌なんてのも創刊されましたね。『寿限無』(リクルート)なんてのがその代表的なものかも。
その上、CMやゲーム雑誌以外の広告手段が生まれてきます。それはマクドナルドのトレイ紙での広告や、電車内での吊り広告など。これがC以外でライト層への認知を増やした点は大きいでしょう。
あと、この当時、バブル崩壊の中、好調なゲーム産業を象徴するように、やけに派手なゲームイベントが多かったですね。1996年、東京ゲームショウが開催され、スクウェアが10万本の体験版を配布したのをはじめ、どこもかしこも金をかけたプロモーションが展開されました。(このゲームイベントの変遷については、後日また書きます)。
あと、ゲーム各社が試遊台を店に配布するようになりました。ただ、この頃から中古問題などで、ゲームショップの体力が弱り始めていた面もあります(SCEの台が置いてあるのは、中古を扱わない特約店だったり)。
■PS2中期以降
この時代、大きな変化が現れます。それがネットの登場。それまで細々と生きていたFAXやテレフォンサービス、ダイレクトメールはネット(メールサービスも含む)に移行し(DMは個人情報保護法の問題もあり)、はてはゲーム雑誌の広告までもこちらに移り始めます。それは出版不況によりゲーム雑誌の部数が減ったためでもありますが、同時に出版不況はネットの影響が強いのもあるというデフレスパイラルだったり。
そして、ゲームイベントもさすがにかかる金のわりに広告効果への影響がなくなってきたのか、縮小となります。
ただ、店舗の力は昔から大きく成長したところがない分、意外と衰えていないのかもしれません。
■これから
今、テレビの若年層視聴低下が鮮明になっております。故に、CMの本数も減ってくる可能性はかなりあります(そもそも、ゲームユーザーとテレビユーザーは重なりにくい面があるし)。
そして雑誌も、残念ながら「今の形のままでは」という前提がつきますが、これ以上の拡大は望めないでしょう(打開策が生まれればその限りではないでしょうが)。
そしてイベントも、費用対効果の面であまり大きくはならないでしょう。
やはり、安価なわりに効果が大きいネット、それはパソコンや携帯だけではなく、各ハードが備え付けてある通信機能を使った宣伝、例えばみんなのニンテンドーチャンネルあたりの効果が、これから大きくなるでしょう。
そう考えると、ゲームの広告は20年以上かけて、やっと他の媒体(テレビ、雑誌など)に頼らない展開が出来るようになったのかもしれません。