ちょっと前、ラジオ番組『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いていて、DSiLLの話が出てきました。そこでの言葉の中で「DSiLLをやったら、もう前までのDSが出来ない。それは今まで満足してやっていたはずのゲームなのに、DSiLLの大きい画面を見てしまったことで、チャチに見えてしまうから」という主旨のものでした。
これはたしかにわかります。携帯機に限らず据置機でも、一度大きなテレビ画面でやってしまうと、今まで満足していたそれより小さい画面のテレビの映像が、なんかチャチに思えてしまい、物足りなく感じてしまったという経験を持つ人はわりといるのではないでしょうか。つまり、人間の目が上位の環境に慣れてしまうと、今までやっていた板の環境に戻れなくなる、という感じですね。もっともゲーム機だけではなく、AV機器全般にも言えますし、もっと言えば人間の生活自体そういうものですよね。たった10年前まではPCや携帯電話はなくても十分生活出来たのに、今ではそれがないといろいろ不都合が多く生じると。
そして、ここでもうひとつ出てきた携帯ゲームハードの名前が「ゲームボーイミクロ」。すでに忘れかけている方もいらっしゃるかと思いますが、初代DSと同時期に出たゲームボーイアドバンス系列ハードでしたが、任天堂ハードとしてはかなり早めに消えてゆきました。
さて、このゲームボーイミクロ、殆ど普及しなかった原因は主に同時期のDSと比べて、DSのソフトが遊べない(当然DSゲームボーイアドバンスのソフトが遊べた)が故に、そちらを買ったという見方が強いと思われますが、ならDSがなかったらゲームボーイミクロは普及していたのでしょうか。私はNOだと思います。
理由としては、まずすでにゲームボーイアドバンスのシリーズにはゲームボーイアドバンスSPがあったこと。ここでバックライトも採用され、もうミクロを買う必然性が薄かったのがひとつ。それともうひとつが最初の話と繋がります。つまり「画面が小さかった」こと。つまり、SPやアドバンスに比べて画面が小さくなってしまったことが、それまでゲームボーイアドバンスやSPでプレイしてきてそれに慣れてしまった人に対して、チャチな感じを与えてしまったのではないかと。
では何故、ゲームボーイはファミコンなどの据置機に比べて圧倒的に画面も画質も劣化しているのに普及したのかということになりますが。それは「携帯できる」という利便さが画質の悪さをはるかに超えていたからではないかと。そして同時期のほかのハードに対しても勝ったのは、値段、電池の持ち、重さやソフトの種類などで、画質以外のアドバンテージが大きかったから、画面でのマイナスを克服するプラスになったのではないかと。しかし、ゲームボーイミクロの場合は、そのマイナスを補うほどのプラスがなかった故に、売れなかったのではないかとも思えるのです。
ちなみに現在、PSPgoの初動の勢いがそれほどでもないというのを耳にすることがありますが、これもPSPと比べて画面が小さくなっているというのがひとつのマイナスポイントになっているのではないでしょうか。たしかに画質はよくなっていますし、他のメリットもかなりあるのですが、PSPを持っている人に買わせるだけのプラスがあるかとなると、躊躇する人はいるかもしれません。
このように考えると、携帯機の画面サイズが小さくなると、その分だけ大きなハンデを背負うことになるのではないかと思うのです。そしてDSがDSi、そしてDSiLLと画面サイズが大きくなってきているのは、一番目立つアピールポイントであるからではないかと。そして同時にもう画面サイズを小さくすることは、前述の理由からできないからというのもあるのではないでしょうか。
となると、気にかかるのは次世代の携帯ゲーム機です。つまり次に出る携帯新ハードは、DSiLLの4.2型を保つ、もしくは大きくなる可能性は多分にあるのではないでようか。だってそうしないと「DSよりチャチ」と思われてしまうので。これはPSPも同じで、現状のPSPサイズよりも大きくなる可能性もあると思われます。
しかし、そうなると携帯性が削がれることにもなります(実際DSiLLは、カメラとして使うとちょっと辛いような気もする)。つまり、ここで携帯性と画面サイズのジレンマが生じるのではないか、とも思われるのです。
場合によっては次の携帯機は、画面をモバイルノートみたいに大きく10インチくらいにしてくるなんてことも全くないとは言えませんよね(案外DSiLLはそのテストなのかも)。Amazon Kindleなんてものもあるのだし、そういう方向性も十分考えられると思います。