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「陽」のゲームミュージックと「陰」のゲームミュージック

私は頭を使う仕事の時、テレビやラジオどころか音楽でさえも流していないことが多いです。単純作業ならば音楽を聞きながら出来るのですが(それでもテレビはダメ)、ブログのように考えながら文章を書く場合、音楽があると意識がそっちにもってかれてしまって、集中できないのですよね。まあこのブログの場合、ゲームミュージックを扱う時はそのゲームミュージックを聴きながら書くことは多いですが。

しかし、今、『スーパーマリオギャクシー』をやった後にWiiをつけっぱなしにして、画面をWiiメニューにしたまま戻ったのですが、そこにわずかながら音(音楽というか微妙なところですが)が流れているのにもかかわらず、全然気になりませんでした。

おそらく、これはわざとそういうような音にしているのでしょうね。あの画面は常時つけているのもあり得るところですし、そこで気になるような音が出ていたらまず切るでしょうから。
さて、そこで思ったこと。これをBGMととらえた場合、その場面で要求されること、つまり無音では無いけど、気にならないように音を流すという目的にかなっているわけですよね。となると、これと同じようなシーンがゲームミュージックにもあるのではないかと。

 

ゲームミュージックに限らず、BGM、つまりバックグラウンドミュージックというのは、その場を演出する、つまり音楽によって盛り上げたり逆に落ち着かせるなどの役目を果たすものですよね。そしてそれには「陽」と「陰」の2種類があるように思えます。

「陽」とは、音楽自体が目立って、その音楽が場を支配してしまうもの。そして「陰」は、音楽は目立たないけど、確実のその場の演出に成功しているもので、前述のWiiメニューなどはこちらでしょう。もし究極の「陽」のBGMが行き着くと、それを聞いただけで場を支配してしまい、音楽だけでそのシーンを極上のものにしてしまう影響力の強いものだとしたら、究極の「陰」のBGMというのは、それが存在していることすら誰にも気付かせない、だけど明らかにその場面を極上のものに押し上げているものではないでしょうか(まあこれは使うタイミングとか演出など、いろいろな要素が重なってはじめて出来るものだと思いますが)。

でも、どちらでもアプローチは逆でもどちらもBGMの目的にかなっていることになります。

 

さて、我々ゲームミュージックが好きな人間は、単品でも聞けるものが好きですので、多くは前者を好んでいると思います。「陽」のほうは音楽単体で聴いてもかなり感動できるものでしょうから。しかし「陰」のほうはおそらくそれ単品で聞いても平凡なものである可能性は高いです。「陽」とは違いあくまで縁の下の力持ちでありるのですから。

でも、そういった「陰」のゲームミュージックもゲーム全体として考えた場合、かなり評価されるものだと思うのですね。ただ、問題はそれを見つけるのは非常に困難だということ。まず音楽単体ではなくて、ゲーム中でしか確かめられませんし。それにいいものほど縁の下の力持ちになってしまうので、隠れてしまいますし。

ですが、もしゲームで感動的なシーン、印象深いシーンがあったら、その時音楽はどういう役目をしていたか意識して聴いてみると、そう言うものを発見できるのではないかと思うのです。

 

今も、そんな「陰」のゲームミュージックが、誰にも気付かれないように眠っている可能性もあるでしょうね。まあそんなもんないという可能性もなきにしもあらずですが。

あ、でももしかしたら「陰」の性質、つまりその場を盛り上げて本編では聴いたことさえ気づかないようになっているけど(当然ゲームは名作、名演出となっている)、単品で聴いてみると「陽」のように素晴らしい音楽、なんてものもないとは言えないかも。それが究極のBGMなのかな?

 

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