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1990年前後の町のゲーセン回想

 『空気を読まない中杜カズサ』で、95年以前の体験談をインターネットで見つけるのは難しいという話を書きました。そこで思ったのですが、もしかしてゲームでも同じではないかと。
 とはいえ、ゲーム、とりわけコンシューマの場合わりとそういった過去の思い出を語っているものは多いのですよね。それはリメイク版とかが出た時に、当時の思い出を語る人などが多いからかもしれません。それと、やる気になればまだまだ旧ハードでのゲームも出来ますしね。
 じゃあ、今の若いゲームマニアが知らなさそうなものは何か、となると、やはり「当時のゲーセン」かなと。今でも町の古いゲーセンでは時間が止まっているように感じることがありますが、やはりそこでも10年前くらいの雰囲気がやっとなんですよね。
 で、残っている記憶を思い出して、80年代中~後半あたりのゲーセン、とりわけ町のゲーセンについて覚えていることを書いてみます。
★ビデオゲームはみんなテーブル筐体
 今、ビデオゲームはほとんどエアロシティのような画面が縦より少し斜めになっているものでしょう。しかし当時、町のゲーセンのほとんどはテーブル筐体、すなわちテーブル型のをのぞき込むタイプだったのですよね。
 おそらくインベーダー喫茶時代からの伝統?もあったのでしょうが、これはコンパネ(操作系)がひざに当たる、前に乗り出すようにしてプレイしないとよく見えないので腰が痛い、そして天上の光が反射するという、今思えばかなり不便なものでした。しかし『ストII』時代までは、この筐体でプレイしていたのですよね。
 ですので、エアロシティみたいなものをはじめてやった時は感動しました。
★少数のアップライト筐体
 しかし一部、アップライト筐体も存在しました。海外で流通していたようなものですね。これのおもしろいところは、操作系。今でこそレバー左のボタン右ですが、当時は真ん中にレバーがついていて、左右にボタンがあって、利き手両対応なんてのもありました(テーブルのコンパネでもありましたが)。
 ただ、大型過ぎる点、立ってやるのが辛い点などから消えてゆきました。最後に見たのがたぶん『ストリートファイター』の感圧式ボタンVer.だったかな(あれはいい運動になったなあ……)。
★女性皆無
 私のところではさすがに不良の溜まり場ではありませんでしたが(まあいたけど、喫煙以外の犯罪はなかった。地元には比較的優しい不良)、女性は皆無でしたね。プリクラ時代に女性の方が多くなったのはかなり不思議な光景でした。ま、ビデオゲームの女性不足は今も似たようなものか。
★壁に貼られている、パソ通からとった技表
 90年代初頭、格ゲーブームが起こります。しかし当時はインターネットはなく、技表はゲーメストの発行を待たなくてはいけませんでした(それも隠しがあるし)。
 しかし当時、パソ通からとってきた技表がゲーセンの壁に貼ってあったのですよね。しかし絵要素は皆無で、例えば波動拳なら「236」、昇竜拳なら「623」というように、テンキーの8方向で表示されたものでした。それでもかなり役に立ったのですけどね。
★コミュニケーションノート
 これはややゲーマーが集うところ。インターネットがなかった当時のコミュニケーション手段。マルゲ屋にもありました。ちなみに当時から「荒らし」はいました。このあたりインターネットとたいして変わりないよなあ。
★よく故障する器具
 メンテナンスがあまりよくないところは多数ありました。特にジュースでべとべとになったパネルなんてザラ。しかし一番壊れていたのは両替機。何度100円入れても50円(当時の町ゲーセンの相場は50円だった)2枚ではなく返されて、そのうち飲まれることもありました。ま、今も場所によっては大差ないかな。
★JAMMA通してなさそうなもの
 ぶっちゃけLD脱衣麻雀。つか、当時はあの程度のエロでも公衆の場にあることは衝撃的だったのですよね。つーか私が若かったからってのもあるでしょうが。
 ほかにもいろいろあるけど、今ざっと思い出してこんな感じです。あと景品と交換してくれるメダルゲームは昔からありましたね。
 まあ、たしかに懐かしいけど、テーブル筐体でやるよりはやっぱりエアロシティとかのほうがいいなあ。でも、ストリートファイターの感圧式はやりたい。

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