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ゲームのレビューは発売前評価と発売後評価を分けるべき

映画においては「最初の10分」がとても貴重だという話をよく聞きます。つまり、出だしで観客の心を掴まないと、それ以後途中で見てくれなくなるか、もしくは見てくれたとしても、最初の印象を引きずってしまい、最終的につまらない作品として判断されてしまうからと。

しかしこれは映画に限らず、ドラマでも第1回がおもしろくなければ視聴率は下降線を辿ることになるでしょうし、小説でも途中で読むのをやめてしまうでしょう。マンガなら打ち切りになる危険があります。まあ、それがすごい作家の作品とかその他の理由で期待できる要素があればその限りではないですが、そういった付加価値がない場合、たいていは後半面白くなる要素があったとしても、それが相当のものでない限り、挽回は難しいでしょう。

 

ゲームの評価の話。今、いろいろな意味でゲームで有名な評価のひとつは、ファミ通のクロスレビューなど、ゲーム雑誌やゲームサイトの発売時、もしくは発売直前評価でしょう。しかし、これにはいろいろな批判があります。それらを列挙するのはあまりにありふれている上、本エントリーとあまり関係ないのでやめておきますが、そのうちのひとつに「全部をプレイしないで評価している」というものがあります。でもこれは普通に考えて当たり前ですよね。編集者の人はその週に発売されたソフトを担当するわけですが、ほかの仕事も睡眠もあるのにそれだけをやり続けるのは不可能です。ましてやゲームによっては、60時間以上かかるものもありますし、それ1本でさえ終わらないことがあるでしょう。

しかし、この「全部をプレイしていない」ということ自体は、「全部やってから評価している」と言っているのに、実際は少しだけしかやっていないと嘘をついているのでなければ(ちょっと手元にそれについて触れている資料がが見あたらないので、そう発言しているかどうかは不明)、別に評価携帯のひとつとしてはいいのではないかと。つまり、最初に書いたもののように、一般的な最初の10分視点での評価であると定義すれば。

もちろん、ゲームの中には長時間やってはじめておもしろさがわかるものというのもありますし、そういうゲームも私は大好きです(特に『カオスシード』とか、20時間以上やってから急激にハマり始めるし)。しかし、さすがに現実的にはひとつのゲームにひとりの編集者で20時間は無理でしょうし、そこで評価できないのはわかります。なら、もうそのことを明言して、「このゲームは出だしの○時間で判断しています」としてしまった方がいいと思うのです。それは、発売前にちょっとだけ触れたユーザー的視点としての評価として間違っていないと思うのですよね。少なくとも無理をして専門的に評価をするよりは。

 

つまり、こういった「発売前のプレ評価」と「発売後のしっかりとやりこんだ評価」は、同じ評価として語ってはならず、分けるべきではないかと思うのです。

雑誌として後者の評価をやっていたのは、『Theスーパーファミコン』『Theプレイステーション』『Beep!メガドライブ』『セガサターンマガジン』などの、ソフトバンクパブリッシング系ゲーム雑誌にあった、読者レースでしたね。これは、文字通り読者が発売後にプレイしたゲームを点数をつけて投票し集計するといったものでした。特にサタマガでの『デスクリムゾン』を連続最下位にしていた伝説は、語り草となっています。

ちなみに『Theスーパーファミコン』では、『天地創造』『カオスシード』『エストポリス伝記II』が上位だったことで、私の中ではものすごく信用がありました。また『セガサターンマガジン』の中での最終上位の中にも、あまり売り上げでは結果のでなかった『サンダーフォースV』や『仙窟活龍大戦カオスシード』『蒼穹紅蓮隊』がランクインしていて、個人的にはかなり信用していました。もっともキャラゲーが多くなるのも特徴ですが、それはそれで(決して悪い作品ではなかったし、クソゲーはちゃんと低かったです)。

そして今ならそれを引き受ける先として、インターネットのサイトがあったり、別の雑誌があったりします(ゲーマガとかって、まだこういうのやってるのかな?)。もちろんファミ通などゲーム雑誌やゲームメディア媒体が、「事後評価」として、そういうものをやってもよいでしょう。そういうものはそっちに任せて、クロスレビューはあくまでも軽い発売前の評価として置いておけばいいと思うのですよね。そうすれば今ほどは批判に晒されないと思います。そして、後世に残すのは、後者のほうがよいのではないでしょうか。

 

ただ、本質的な問題はファミ通のクロスレビューそのものというよりは、ファミ通のクロスレビューを絶対視する人が多くなってしまったことにあると思います。だけど、あれはもともと雑誌の1コーナーであって、4人が発売前のものをプレイしたにすぎないのです(しかもその4人も変動するので、基準が変わる)。それをいろいろな事情により、過剰に採り上げるようになってしまったことは、ファミ通にとっても、そして多くのユーザーにとっても不幸なことだったのではないかと思います。だってもし、思うように点をつけたら、メーカーからクレームが来るのを恐れなければいけない状況になっているとしたら(実際に来るかどうかはわかりませんが)、どう考えても評価としては変だと思うのですよ。そう考えると、もう、ファミ通からその重荷を取り除いてあげるように、ユーザーが意識しないといけないのかなと思ったりします。

雑誌だけではありません。これはネットにも言えます。たとえばネットの話題としてゲームの感想がまとめらているところで、それが絶対的意見となり得るでしょうか。まずそれは「編集する人間の意図」が介在して、疏の意見に否定的なもののみ、もしくは肯定的なもものみを抽出し得ます。メディアの力で「報道しない」という力、と言うのが言われることがありますが、それはネットたりとも例外ではありません。

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総じて、メディアであろうとも、ネット媒体であろうともひとつのところが絶対的な評価を持つのは危険なので、やっぱりこういうのは複数あったほうがいいのではないかと思うのです。勿論それより大切なのは、最終的に自分で選んで自分で評価することなのでしょうけどね。

※2008年9月に書いたものを、2014年12月9日に加筆修正しました。

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