先日、とある店の中古処分セールにて、サターン&PS時代のソフトが200円~400円で売っていたので、とりあえず7枚程度買ってきました。
そして久しぶりにサターンを起動して『パンツァードラグーン ツヴァイ』(380円)をプレイしましたが、画面はさすがに今の3Dシューティングには劣るものの、なかなかいい感じでした。
さて、それとは別につい買ってしまったサターンのシューティング『スターファイター3000』というのもあるのです(同じく380円)。まあ、買った理由が、サターンマガジンの読者レースで一時期、あの『デスクリムゾン』を下回って最下位になったことがあるというインパクトからなんですけど。
……紹介して欲しいですか? まあどうしてもと言うなら嫌とは言いませんが、きっと後悔しますよ?
まあそれはおいといて、この時期のソフトには、非常にポリゴンを多用した製品が多かったです。その中には前述のように無理にポリゴン化した挙げ句……というソフトも多くありました。
さて、今日は素晴らしいソフトと同時にこんなソフトも生み出したポリゴンゲーム成立の歴史について、少し書いてみようと思います。
さて、ポリゴンがゲームで使われ始めたのは、元祖はよくわかりませんが、私の知る限りはPC-8801の『シルフィード』(1986年)でも使われていましたから、相当古くからの歴史があります。
しかし当時のマシン(PCでも家庭用でも)では、スペックがあまりにも低すぎたために、1秒に描写できる数は非常に少なく、前述『シルフィード』の秒間15枚でも早いと言われていました。(ちなみにメガドラ版でもそれくらいが限界だったようです)
そんなわけで、このころの3Dゲームというのは、ほとんどがスプライトで書かれていたもので、ポリゴンが登場する家庭用ゲームはほぼ皆無でした。そもそもハードがポリゴンを想定していなかったのですね。
その時代、まだ家庭用で使うにはスペックの壁というものが大きな障害でしたが、ゲームセンターにあるアーケードゲーム基盤ではそれらをクリアしたものが現れました。それはナムコの『ウイニングラン』(1989年)や、セガの『バーチャレーシング』といったレースゲームからでした。(ちなみにそれまでもアタリの『ハードドライビング』という3Dレースゲームはありましたが、こちらは教習所のシミュレーションに近いらしいです)
そしてこれから先レースゲームは、リッジシリーズ等の3Dが中心となり、ポリゴンがやっと本格的に使われはじめるようになります。
そしてしばらくはレースゲームの中のみで使われていましたが、ついに格闘ゲームにおいて『バーチャファイター』が登場し、ゲーム表現においてひとつの転換点になるほどの変化を迎えます。
さて、バーチャファイターリリース当時、ちょうど家庭用ゲーム機はスーパーファミコンからの世代交代の時期にさしかかります。
そしてそのマシンはスーファミやメガドラでは多用が難しかったポリゴンをわりと動かすことが出来るようになったため(特にプレステ)、ロンチタイトルである『リッジレーサー』『バーチャファイター』をはじめとして、ポリゴンのゲームが増えてゆきます……というか、ほとんどのゲームにポリゴンが使われるようになってゆきます。実例はもはや挙げるまでもありませんね。
この時困ったことに、あまりにもポリゴンゲームの人気が高くなりすぎてしまったためか、ポリゴンを使ったゲームが濫発されました。
しかしこの時は「ポリゴンを使えば面白くなる」といった理由だけではなく、別の理由も数多く存在しました。それはポリゴンにすると取ってで描くより工数が減るといった実務的なこともそうですが、「ポリゴンを使っていれば、なんとなく最新のゲームっぽい」という広報的な理由もあったような気がします。
昔、どっか(おそらく雑誌での制作者の愚痴みたいなの)で読んだ話だと、あえて昔の仕様で面白くなりそうな企画書をクライアントに持っていったら「技術力を疑われるから(ポリゴンにしないと)ダメ」とまで言われることもあったとか。
これの原因は、たしかに制作側(特に上層部)にもあると思いますが、当時の市場がそういう風潮だったというのもあるから、ある意味仕方ないのかもしれません。
しかしそれは『ファイナルファンタジーVII』や『バーチャファイター』、『鉄拳』先の『パンツァードラグーン』等、それこそその技術をハードで活用できる範囲内でフルに生かし、名作となったゲームを生む一方で、技術の蓄積があまりないのに手を出したため、今となってはプレイするのにも憚られるような出来になってしまいました。
例を挙げれば、バーチャファイターを真似たけど、動きがカクカクしまくる上に、ポリゴンズレも多発する格闘ゲーム、2Dの背景を無駄に3Dにしただけで、かえって処理を遅くしたシューティング、処理が重くて画面移動の度に読み込みが入り、歩く速度でしか移動できないRPG等々……
優良セールスをたたき出したメーカーというのは、ちゃんとどのようにポリゴンが使われれば効果的で面白く出来るかというのをきちんとわかっていたと思います。それこそ先日扱ったロード時間のものみたいに、見えないところでちゃんとしていたのですね。
しかし、一時期の新世代記バブルみたいな現象を経て、幸か不幸か安易な製品を作るメーカーは、どんどん淘汰されていきました。
そしてPSを経て、ポリゴンがもっと綺麗且つ効率的に扱えるハードの進化(PS2やDCなど)を経て、ポリゴンゲームが当たり前のようにある現在に繋がってゆきます。
そして今では、もう昔見えたようなポリポリした角でさえもがわからなくなるくらいに進歩しました。
とりあえず、おおざっぱにはこんな所でしょうか。
さて、ポリゴンってのはこの1990年代後半~2000年代前半にとって決められていた未来だったのでしょうか?もし、『バーチャファイター』や『リッジレーサー』がなかったとしたら、進化の方向がポリゴンではなく、もっと別の「何か」であった可能性もありますよね。
もしかして、何かの都合でスプライト等の技術を利用してとんでもなく面白い作品がをしていた場合、ポリゴンではなくそっちの方向製のゲームが今の市場を支配していたという可能性もなくはありません。
あと、他の技術(例えばトゥーンレンダリング等)で歴史を変えるくらい面白いソフトが出ていれば、そっちの市場が盛んになっていたかもしれません。
まあもちろん今ではあり得ないifの話なのですが。
それを思ったのは、プレステの市場が固まったときあたり(1997~8年くらい)でふと気づいたことがあったからです。
それはスーファミ時代まではほとんど全部がそれだった、ドット絵(動きで言うならスプライト)を利用したゲームがほとんどなくなっていたことでした。
さて、この時ドット絵はどうなっていたのでしょうか?
……実はこの「ドット絵」の話に触れたくてずっと書いていたのですが、比較対象にするポリゴンの話でだいぶ取ってしまったので、一度区切ります。
というわけで次回は、PS時代あたりから今に至るまでのドット絵事情について書きたいと思います。
★追記
コメントにおいて、情報をいただきました。
・Seena(1986年 システムソフト PC-8801mk-II )
・プラズマライン(1984年 テクノソフト PC-8801)
おそらく後者が日本最古。そして世界最古は、アタリのアーケードゲーム「アイ・ロボット」のようです。