4月からの長丁場仕事がやや一区切りついたために、積みゲーをつぶしにかかっています。とはいってもまだドラクエIXから脱出できませんが。で、他にやろうとしているのは『逆転検事』。このシリーズ好きなのですよ。
で、今年に入ってから社会的に裁判員制度開始のニュースが流れましたね。で、それと関連して本やマンガ、それにゲームでも裁判員制度に関するものが生まれました。例えば『有罪×無罪』なんかですね。
有罪×無罪
で、その折に逆転裁判シリーズも話題に出ることがありましたが、シリーズをやっている人はご存じだと思いますがこのシリーズは裁判員制度を抜きにしても著しく現実の裁判制度からだいぶ外れています。まあこのゲームについてはいまさらそんなところをツッコむ人はあまりおらず、「こういうフィクションの世界で行われている裁判もの」として納得しているでしょう。
で、その逆転裁判の世界を考えてみたとき、この世界は現代日本と同じかというと、いやいや実は相当なディストピア、つまり明るくない世界だと思われるのですね。今日はネタ的にその理由を書いてみます。
ちなみに逆転裁判の背景についてまとめられているページがあったので、そこを参考にさせてもらいます。
■逆転裁判Q&A Wiki @2ちゃんねる逆転裁判スレ – 逆転裁判世界の法制度
★審議期間が異常に短い上に有罪率が高い
上のリンク先に書いてある、本文の台詞より
そのため、数年前から設置された序審法廷の期間は、最長でも3日。
たいていは1日で終わってしまう。もちろん、有罪判決で、だ。
ゲームでは数日かけて、その期間で無罪にする材料が出てくるというパターンですが、その他の場合は1日で終わるということ。それも有罪で。つまり裁判がほぼ形骸化していて、起訴事実がそのまま判決となってしまうということですよね(少なくとも序審法廷においては)。まあその状況の中で無罪を勝ち取るからこそ『逆転裁判』なのですが、成歩堂に担当されない被告人はほとんどが有罪になるということですよね。しかもこの世界の検事、とんでもない悪人が混じっていたりすることがあります。そこまでとはいかなくても、自分の成績のために相手が冤罪であるかどうかを問わずに有罪にしようとします。
つまり、事実上司法制度は崩壊していて、警察、ひいては国家の権力が非常に高くなっていることが推理されます。おそらく国策捜査も行われていると考えてよいでしょう。
つまり、この司法制度によって自由は大幅に制約されているのです。まあそもそもこんな司法制度に基づく法律が通っている時点で、十分ディストピアになっていると言えるのですが。
★主観が許される裁判官(サイバンチョ)
このシリーズの裁判長(サイバンチョ)はやけに感情に左右されまくりです。女性だったら甘くなるなど。まあキャラ付けのために個性があった方がいいのですが、現実的には裁判官がこのような態度をとると、罷免されて当然になります。
あと「法廷侮辱罪」というのが出てきますが、これはゲーム内では単純に反論の禁止的に使われています。極論弁護をするとそうなる可能性まで出てくるという感じです。おそらく法廷簿辱罪にかけられた弁護士もいるのではないかと。完全に司法制度が崩壊しています。
★このような司法状況でも死刑制度存続
で、この世界にも死刑制度があります。現実の死刑制度の是非は非常に複雑なのでここでは置いておくとして、上記のような司法制度で死刑があるということは、ほとんど暗黒時代です。だって敵対する勢力に罪を被せる→そのまま有罪→死刑があり得るので。
なんつーか、今現在も世界のどっかの独裁国家で行われていることが、この世界でも行われている可能性はありますね。
あとは法廷で暴力振うなとか、そもそも法廷に武器を持ち込むなとかいろいろありますが、まあそのあたりはディストピアとは関係ないので、ゲームの演出としてスルーで。
総じて、かなり自由の制約された国家になってしまっていて、ゲームで見えないところはかなり暗黒になっていると思われます。
でも、ゲームはさも現代社会と同じ世界のように進みます。これはなんというか映画『バトルロワイヤル』の世界では、日常的な見た目は現代と変わらないように見えて、実はBR法が施行されていたり、マンガ『イキガミ』でも世界の見た目は淡々と動いていて、その中で1000人に一人、不条理に命が失われているという感じに似ているかも。
ま、逆転裁判シリーズのゲーム自体はあの通りギャグ混じりの最終的には勧善懲悪になる世界ですが、もうちょっと考えを広げればそういう暗い世界があり得るということです。でも、これを表に出してシリーズ外伝とか出たらそれはそれでおもしろいかも(案外同人とかSSなどの二次創作ではこういうのわりとあるかもしれませんね)。
ちなみに現行の裁判員制度も始まったばかりですが、これから10年や20年後、実施のされ方に気をつけないと、ここまでではなくても似たような問題が生まれるかもしれないので(感情や心情、目に見えるものが優先され、真実が無視される事態など)、注意が必要と個人的に思ったりします。