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なんでギャルゲーの主人公にはヘタレが多くなったのか

 最近、アドベンチャーゲーム、特にギャルゲーの男キャラで、やけに主体性を欠く、優柔不断な男が増えてきたと言われています。代表的なところでは、アニメでもその優柔不断の独善っぷりを見せつけ、『誠氏ね』というのが合い言葉となった、スクールデイズの誠でしょうか。そのほかのゲームでも、そういったキャラクターがわりと増えています。
 さて、何で主人公キャラはこういった優柔不断なキャラが増えたのでしょうか。それは、現代の男を反映させたものだとかいう方もいらっしゃいますが、それとゲームでそういうのが増えたのは全然違うと考えます。
 私が思うに、これ、ゲームの主人公キャラ故にこうなったと思うのですよね。実際のゲームシーンを思い浮かべてみましょう。だいたいゲームなので選択肢が生まれますが、それはギャルゲーである以上、女の子に関連するものが多いです。で、パターンとしては「好感を持たれるもの(俗に言うフラグ+1)」か「そうではないもの」という選択、もしくは女の子AかBを選ぶというものプラス「どちらでもない」という選択がありますね。で、たいていの場合、選んだ女の子のルートに入り、その過程でもう一方の切り捨てを行います。しかし、それができずにどっちつかずになると、バッドエンドとなります。
 
 で、最近生まれているヘタレ主人公というのは、この中間ばっかり選び続けた結果の主人公をそのまま形にしたものだと思ったのですよね。つまり、昔ならユーザーが中間を選んだことで出てくるような主人公像をそのままそういうキャラとしてゲームを作って、ユーザーが選んで行っていたヘタレ具合をそのままゲームのシナリオとして引き受けてしまったと。
 ということは、あのようなヘタレキャラに感情移入できないというのは当然と言えば当然です。だって、ほかのゲームで言えば、多くの人は自分で選ばない、バッドエンド直行な選択肢を選んでいるのと同じようなことですから。
 さらに、それを意図して強調されているために、もう手のつけられないほどヘタレとなっているのでしょうね。
 ちなみに最近はそんなにギャルゲーをやってないのでわかりませんが、おそらく主人公が優柔不断と言われているゲームでも、選択肢によってはそうではないルートというのも存在するのではないかと(ToHeart2あたり)。逆に、それほど気にならないゲームでも、中間選択肢ばかり選び続けて、いれば、ヘタレと感じるでしょうね(ToHeart1の友達エンドとか)。
 そういうわけで、ヘタレ主人公が生まれたのは現代的な事情ではなく、あくまでゲームシステム的な技法の延長線上だったと思います。あと、主人公をヘタレにしておけば、主人公キャラを動かさなくても女の子キャラが動いてくれるので、話が作りやすいというのもあるでしょうが。
 ちなみにキャラをオーバーにする、というところをとると、女性キャラでも同じコトが言えます。例えば「ヤンデレ」なんてのがありますが、あれも好きな人に恋人が出来て嫉妬して、暗くなる女の子をオーバーにしていった結果、ああなったものだと考えられます。「ツンデレ」もそう言われるに至ったのは、大昔からあった、生意気で素直になれない女の子を顕著化していった結果、生まれた言葉なのかなとも思います。
 となると、このキャラの性格的インフレにおけるものとなると、次に出てくるタイプのキャラクターはどんなのでしょうか? 超過保護とか、超友達タイプとかか?(なんだそれ)

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