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テトリスがゲーム業界に及ぼした数々の影響

 1980年代後半に、ソ連(当時)のアレクセイ・パジトノフ氏などにより生み出された『テトリス』は、後に日本及び世界中で大ヒットを及ぼします。
 さて、このゲーム、今思うとゲーム業界全体に今までかなりの影響を及ぼしたと思います。それはゲームのみならず、その周辺の状況などに関しても。今日はそれをちょっと書いてみようと思います。
■落ちゲーの元祖的ゲーム
 事実上、この後に続く落ちゲーの元祖となったのは言うまでもないでしょう(それまでも似たようなゲームはあったかもしれませんが)。この後、『コラムス』『ぷよぷよ』『Dr.マリオ』など、続く落ちゲーも大ヒットとなり(まあ当然消えたものも多数ありますが)、今でもハードを変えて楽しまれています。これは言うまでもないでしょう。
■メガドライブテトリス事件
 このテトリスの版権事情は非常に込み入っており、外国貿易協会(ELORG)が持っていた版権をイギリスのミラーソフトが1社経由してライセンスを取得。そこからアタリゲームスがライセンスを取得し、家庭用&業務用のテトリスを制作。そしてその子会社のテンゲンからライセンスを受けていたセガが、業務用のテトリスを開発し、販売。そして当時出たばかりのメガドライブのソフトを製造します。
 しかし、ここで任天堂がよく調べてみると、実は家庭用ゲームのライセンスはミラーソフトにはない、ということ。そこで任天堂がELORGと直接ライセンス契約を結び、家庭用ゲームの独占販売権を得ます。
 そこでアタリゲームスと裁判になるのですが、任天堂が勝訴し(ミラーソフトのライセンスはPCゲーム用のもののみとされた)、アタリはテトリスの家庭用ライセンスないものとされ、セガはメガドラテトリスを販売できなくなります。そして倉庫に長い間積まれたあげく、処分されたようです(ただし、アーケードではその後直接版権を得て『フラッシュポイント』『ブロクシード』を販売)。(参考:テトリス – Wikipedia
 まあ、これについてはアタリ(セガ)の権利調査が甘かったと後年、セガも認めていたように思いますが、当時盛り上がっていたセガファンは「メガドラテトリスを奪われた」という意識にかられて、任天堂を激しく嫌った人もかなり発生したと思われます。ここのあたりから、ある意味今でもある、ハードファン同士の敵対意識が強くなったように思えます。まあセガと任天堂の関係の歴史については、またそのうち。
 あと、、ドンキーコング裁判の件もあわせて任天堂法務部の最強説が生まれてきたように思えます。
■携帯ゲーム機の通信機能がはじめて活用される
 で、任天堂はライセンスを得ていたため、ファミコンでテトリスを販売。そしてゲームボーイでも初期のキラーソフトとして販売されます。
 さて、ゲームボーイには初代から通信コネクタがついていますが、これは開発者の横井軍平氏は付けても大して生産費用が上がらず、何か面白いゲームができるかもしれないという漠然とした理由で、深く考えずに付けたと言われています。(参考:ゲームボーイ – Wikipedia
 しかし、それがはじめて積極活用されたのが、このGBテトリスでの対戦。単純ながら、かなり燃えるものでした。
 そして、その通信機能は、後に『ポケットモンスター』へと繋がってゆきます。
■業務用海賊ゲーム基板復活
 ここでいう海賊版は、コピー基盤とは異なります。
 大昔、インベーダーの大ブームで、海賊版とよばれるものが発生しました。それは名前が同じ、もしくは築地でゲームシステムも同じというもの。(『ギャラクシアン』などオリジナル性のあるものは除く)。そこが契機となって、業務用ゲームでの権利意識も高まりましたが、そこからしばらくは、人気ゲーム(ナムコなど)の類似海賊版が出回ることがあったようです。しかし、1980年代も終わり頃になると、ゲーム(セキュリティ技術)の向上と、それで採算が取れるかという疑問、そして流通が整っていたこともあり、かなり数が減っていたようです。
 しかし、このテトリスの大ブームで需要が足りなくなったせいか、テトリスの偽基盤なるものが出現しました。そして当時、私の遊びに行っていたゲーセンの一部にもありました。
 見分け方は簡単で、業務用テトリスにいたテトリスザルがいない、あの音楽じゃない(もっともゲーセンでは聞こえにくいけど)、背景があの風景グラフィックじゃないなど。
 ただしそれを最後に、普通に見ることはなくなりました。まあ、それ以降はもう真似るのが無理なゲームばっかりだったし、権利関係も年々しっかりしてきたからでしょうが。
■携帯アプリのメイン
 現在、殆どの人が持っている携帯電話。これのアプリケーションにはかなり多くのゲームがありますが、現在でもトップクラスの人気ゲームアプリはこのテトリス系のものだそうです(もっとも、最初からついているってのも大きいでしょうが)。そう考えるとある意味、携帯アプリゲームの普及の一端を担ったとも言えます。
 こんなわけで、数々の歴史を作り、そして今も初登場から20年が経とうとしている今でも、大きな影響力を持っていると思うのです。さて、こんなゲームがもう一度、ゲーム業界に現れるのはいつでしょうか。

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