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ゲーム&ゲームミュージックへの感動は最も燃えた時代を超えられないのか

 このようなブログをやっている私ですが、知らない、聴いたことのないゲームミュージックはたくさんあります。でもこれは当たり前のことで、どんなにゲームに詳しい、マンガに詳しい、ギャルゲーに詳しいという人でも、そのジャンル全部に手をつけたことのあるという人はかなり希でしょう。しかし、私はそれでいいと思いますし、当然だと思います。
 それに、このブログも自分の持っている知識を発信するだけではなく、その過程で調べたりすることにより多くの情報を自分も得たいという気持もあり始めました。おそらくはやってはいない時よりもさらに知識を得ていると思われます。特にマイナーゲームの音楽についてはかなり知ることが出来ましたし。
 でも、もちろんそれなりに詳しいと思っているゲームミュージック内のカテゴリも当然存在します。特に詳しい、というか興味を持っているのは、家庭用ならファミコン、スーファミ時代、そしてサターンのゲーム(まあサターンには移植も多いのですが)。そしてアーケードなら80年代後半以降。こちらは過去の遺産、つまりレトロゲームのCDがわりとあったのでリバイバル的に網羅するようになりました(昔は専門店でもアニメの棚といっしょのとところから探し出したものです。でも数百円なので個人的には嬉しかったですが。あとレトロゲームを求めてさまよい、どっかの私鉄沿いの「ゲーム博物館」にも行ったなあ……)。
 もちろんそれ以外のPSとか携帯ゲーム、それに最新ハードでも好きな音楽はたくさんあります。ただ、最近は数が多いので、どうしても網羅しきれずに聞いたことのない音楽が増えてくるといった感じなんですよね。同時に個人的に学生という立場から仕事をするように変わり、ゲームをする時間がなくなったという、これも多くの人と同じ悩みをかかえています。
 逆に苦手なのはFM音源時代のもの系。PC88時代あたりのPCなど。いや、後からですが一通り知っている自負はあるのですが、ここに関してはとんでもない、それこそハードからの知識を持っている人が多いのでかなわないのです。それでも『イース』や『YU-NO』の音楽はとても好きなもののひとつです。あとはネットゲーム系や洋ゲーも苦手かな。
 これ、単純に「ゲーム&ゲームミュージックに一番燃えた時代」のものが好きなんですよね。これはおそらくほとんどのゲームミュージック好きの人はそうではないかと。逆に言えば、PC88が熱かった時代に実際に触れていれば、またネットゲーや洋ゲーにどっぷりハマっていればそれが一番好きになっていたかもしれません。
 この理論で行くと、ゲームに昔ほどは情熱がなくなっている現代では、あの時以上の衝撃を受けることは出来ないってことなのかなあ……う~ん、それは嫌だなあ……
 これはきっとゲームでも、いやすべての娯楽でも同じでしょうね。それは年齢による感受性の変化というよりは、それらの娯楽を積み重ねたことにより、自分内で要求するレベルが上がってゆき、前では感動したものでもさほどの影響をうけなくなっているという、言ってみれば「感動レベルのインフレ」状態。そう考えると、ますます難しくなってくると言えるのかも。
 それでももう感動させるのが不可能とは思いません。それは別にそれを積み重ねてゆくのではなく、別のフィールドにそれを立てることが出来れば低くても十分可能だと思うからです。例えれば、同じ格闘ゲームでも『バーチャファイター』が2Dではなく3D、そして6ボタンではなく3ボタンにすることで、全く別の感動が生まれたように。さらに例えれば、『美味しんぼ』であった話ですが、2代目が(1代目の贔屓目補正がきいている)天ぷらの腕をあげるのではなくて、漬け物の味を上げることで先代の味に勝つというように(よけいわけわからなくなったか)。
 昔、ゲーム音楽に対してそれなりの興味しかなかった時、ふと『レイフォース』や『ダライアス』が私の前に現れたように、それにも飽きかけていた時ふと『レイディアントシルバーガン』や『タクティクスオウガ』に衝撃を受けたようにまた”その瞬間”はこれから先のある時ふとやってくることも十分あり得るのだと思っています。それは年齢に関係なく。
 ま、今までどんな娯楽でも発展や盛衰、そしてまた発展してという波があったように、このゲームミュージックというジャンルも同じかもしれません。私も興味を持ったり、失ったりの山はあります。ですので、今まで好きだったものを聴きつつ新しいものを待ちたいと思います。その瞬間を待ち続けて、私は今日もゲームをして、ゲームミュージックCDを購入します。
 ではAmazonから宅配便が来たのでこれで。

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