以前、日本初のゲームサントラで、ゲーム音楽と呼べるものの本当の幕開けとなった作品『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を紹介しました。
そこでは細野晴臣氏が監修となり、ゲーム音楽の大成に多大な功績を残したことを書きました。しかし、細野氏、そして氏が所属していたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)がゲーム音楽の初期に果たした役割というのはさらに存在します。
YMOの「コンピュータ・ゲーム」と「サーカス」
YMOのデビューアルバムは1978年の『イエロー・マジック・オーケストラ』。そこには「コンピュータ・ゲーム」と名のつく2曲が収録されています。
ひとつは 5曲目の「コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ”」 (COMPUTER GAME “Theme From The Invader”)というもの。これはまさに当時大ブームであったタイトーの『スペースインベ―ダー』の音を使ったものです。
しかしもう「コンピュータ・ゲーム」はさらにもう一つあり、そちらのほうが有名です。それは1曲目に収録されている「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」(COMPUTER GAME “Theme From The Circus”)。
ここに出てくる「サーカス」は1977年に Exidy)社から発売されたブロック崩しタイプのアーケードゲーム。しかし、ここですでにナムコのゲームよりも以前に「音楽」として聴けるものの存在が確認出来ます。
特徴的なのは、ゲームスタートの時の音、そしてBOUNSを獲得したときの音楽、そしてゲームオーバー時の曲。
これらの曲をシンセサイザーで表現してリミックスしたのが「コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”」。1曲目であり、しかもその後の名曲「ファイアークラッカー」に繋がっているため、さらに印象に残る曲となっています。
この時点、1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』が出る6年前にすでに「ゲームの音楽」という概念は、YMOによって認知度を上げたと言ってよいでしょう。
葬送行進曲
ここで特徴的なものがあります。それはゲームオーバーの時に流れる曲。これは聴いてすぐ分かる人もいらっしゃるでしょうが、ショパンの「葬送行進曲」。クラシックの一節をこの時点からゲーム音楽で採用していた、ということです。ちなみにこの「葬送行進曲」については、「ゲームでのやられた時の音楽」というイメージが強くなったのか、この後もしょっちゅう使われることになります(YMOを経由しての流れなのか、「サーカス」などからのダイレクトな流れなのかは不明ですが)。テレビの効果音として使われた記憶もあります(たしか『ドレミファ・ドン』だったかな)。
ただ、調べるとこのサーカスのもっと前にも「葬送行進曲」を使ったものはあったようですが、現在、ゲーム音楽の起源を含めて調査中なので、まとまったらそのうち(とりあえず1975年まで溯った)。
このように『ビデオ・ゲーム・ミュージック』の6年も前からYMO(細野晴臣氏)はすでにゲームの音と関係が深かったわけですが、もしかしたらファン層でも重なるところがあるのかなあ。つまりYMOからの流れでゲーム&ゲーム音楽とか、その逆とか。その辺今後調べて見るとおもしろそうです。
アルファレコード
そしてもうひとつ。『ビデオ・ゲーム・ミュージック』はアルファレコードから出ましたが、そこは当時YMOが所属していたレーベルとしても有名なところ。つまりはその関係が濃かった故に出されたものと思われます。
その後、『ビデオ・ゲーム・ミュージック』の成功を皮切りに、アルファレコードからゲーム音楽のシリーズである『G.M.O.レーベル』からはナムコのみならず他のメーカーのゲームミュージックシリーズを立て続けに出してゆきます。アイレム、SNK、コナミ、カプコン、タイトー、セガ等。そこが各メーカーにとってはじめてのゲーム音楽CDリリースという例も多数ありました。
そこから独立した人が後にゲーム音楽サントラレーベルの大手であるサイトロンを設立したりいろいろ派生してゆくわけですが、そのあたりはまた別の機会に。
コンポーザーへの影響も知りたいところ
このように、YMOはゲーム音楽の歴史には欠かせない存在となっているのは間違いはないでしょう。
しかしゲームのハードや知名度、サントラ流通の部分だけではなく、その後ゲーム音楽を作るコンポーザーに対しての影響もある、というかかなり広範にわたっていると推測されます。代表例としてO.M.Y.(オリエンタル・マグネティック・イエロー) がありますし。