こんなエントリーが。
■クチコミランキングの弊害
楽天トラベルである旅館に泊まるとサービスが良かったのに、それ以外の方法で泊まるサービスが悪かった。それの原因は楽天トラベルだとその評価がサイトに書かれるので、よいクチコミを書いてもらおうとそれを使った人を優遇し、使っていない人を差別していたという話です。ちなみにここでは前に楽天で泊まったときは非常によかったが、今回一般客として泊まったら待遇が全然違った」と書かれたそうですが、接客業にとっては客を差別するというのは最悪の評価ですな。
こういった読み手がある対象物を評価するシステムというのは、何も旅館に限ったことではありませんね。Web2.0なんてよくわからない言葉が昨年辺り出されましたが、そんな言葉以前から、こういった読み手が参加することのできるシステムというのは昔から存在していたように思えます。
そしてゲーム近辺でも、こういった投票のシステムはあります。有名なところではPlayStation mk2さん等でしょうか。他にも数多くの評価サイトがありますね。
これらはさすがに上の旅館の例みたいに投票する人、しない人でメーカーが差別するなんてことはありません(というか、出来ませんね)。しかし、こういった大人数投票型のサイトにはこれとは別に問題をかかえていると思うのです。
例えば100人だけが参加しているサイトならば、たったひとりだけ自作自演や荒らしをする人がいてもたいして影響にならないでしょう。しかし同じ1%でも、1万人が集まるサイトに100人の悪意をもつものがいたら、100の悪意がそこに蔓延するわけです。さらに、多くの人が集まるということはそれだけ影響力を持つということでもあり、そういった市場で自売り上げを増やすために作自演をしようと考える人がいてもおかしくはありません(個人的には不自然なのは見抜ける人がいるし、それ以前に恥ずかしいだろ、と思うのですけどね)。
あまりにも得点が極端、もしくは高いところと低いところに別れているゲームは、「うん?」と思ってしまうことも多々あります(ちなみに低すぎる場合は「荒らし」にあっているという可能性もありますね)。
そういえば、レストラン評価サイト『ぐるなび』では一時期自作自演が増えまくったせいで、かなり投票への認証が厳しくなったそうです(『気まぐれコンセプトクロニクル』より参照)。
となると、こういった投票サイトというのは人が集まるほどサンプルが多くなるけど、同時に正確なデータを崩す悪意も増え、「数値的には」るというジレンマを抱えているのではないかと思うのです。そして最悪なケースは悪意に嫌気がさしてしまった善意の投票者、読者がそこを離れ、あとにはその悪意しか残らない場となってしまうという感じで。
とはいえ、私はこれらのサイトを全く無駄とは思っていませんし、逆に有意義なものだと思っています。ただ、私の場合は上のような理由によりつけられた得点はあまりあてにしません。得点はあくまで平均値であり、どうしても悪意の入ったものまでも計算に入れてしまうからです。
なら何をあてにするのか、というと、それは投稿されたコメント。それがただの殴り書きのようなものであれば、私はそれを信用しないでしょう。ただ、良いところ、そして悪いところをきちんと(これには文章の上手下手というよりも、どれだけそれを書こうとしているかの意思が重要)書いてあれば、その評価に、場合によってはそのレビュアーに信用を置くでしょう。そしてその人のおすすめをやってみようという気にもなると思います。
確かに数字はわかりやすいです。ですけど言葉はそこからでは読み取れない多くの情報を得ることが出来ると思うのです。
これから先の大人数投票サイトは、得点を見るより、そのコメントが適切なものか見る力が必要ではないかと思います。
ちなみに私の場合はある特定のものの評価を調べるときは、そういった大人数投票サイトの他に、ブログ検索(Ask.jpなど)で複数のブログも調べます。それを自分の中で平均化すると、ある程度のものが見えてくる気がするので。
とはいっても、結局人によって価値観は違うのですから、最終的には自分を信じるしかないのでしょうね。他人がつまらないといっても、自分が面白ければそれでいいじゃないですか。