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ゲームは「変化」してきたから面白かったのだと思う

私も10年前からインターネットをしており、2000年前後に盛り上がったものを懐かしいと思ったり、たまに保存してある昔のフラッシュを見て懐かしいと重いながら笑ったりします。たしかに今思うとなんだかそういった楽しさがありました。

しかし、もし今が昔と同じ状況だったら面白かったか、と聞かれると、それはかなり疑問に思います。何故インターネットが面白かったのか、それは「変化し続けていたから」ではないかと思うのです。gifアニメ、AA、フラッシュ、そして今の動画サイトに至る、その変化が面白かったと思えるのです。仮にひとつの技術で停滞していたら、それは飽きられていたでしょう。しかし変化を続けてきたが故に今のおもしろさがあるのです。過去が面白かったと感じるのは、今の状態とほど遠い(変化している)からかもしれません。
おそらく動画サイトも数年できっと飽きられて、他のものに変わる時がやってくると思います。もちろん昔、動画サイトの存在を思いつかなかったように、未来に何が生まれるのかは、今からではわかりませんが。
さて、ゲームでも似たようなことが言えるのではないでしょうか。
近年、昔のゲームが面白かったと思うことがあります。私もよく思います。ただ、その時代でもし技術やアイディアが止まっていたら、それはきっと飽きられていたでしょう。変化をし続けたが故の今なのではないかと。
さてこの変化、ゲームで目立つのは技術的な変化でしょう。それは多くのことが出来るようになり、ゲームの可能性を広げました。しかし同時に、システムやアイディアの面でも進化を遂げてきたのではないかと思います。それは技術によって可能になったもの、そうではないものも含めて。
さて、近年ではその変化において何を重視するかでハードの方針が分かれました。よく言われていることはPS3やX-BOX360は技術的進歩、そしてWiiはそれとは別の変化を求めていくと言われています。それは方法論が違うだけで、「変化」という楽しさを求める上ではどちらも間違ってはいないでしょう(とはいえ、PS3や360も別の意味での遊びの変化を否定してはいないでしょうし、任天堂も技術の進歩を否定してはいないでしょう。あのリモコンも技術の進歩あってのものだし)。
ただ、技術進歩的路線が可視化できる技術の頂点に達し、今後大きく伸びることは難しいとも言えますが、じゃあその他の変化路線が伸びる可能性があるかといったら、それもかなり困難だと思われます。というのは、現状任天堂のやろうとしていることは、すでにあらゆる遊びが生まれたトランプで、さらに新しい遊びを生み出すようなものなのですから。
数年後には、それぞれの方面でネタを出し尽くして、SONYやMSが進歩とは別の変化を、そして任天堂が技術的変化を求めていくという全く逆の立ち位置になっているという可能性も全くないとはいえないでしょう。
何が言いたいかというと、ゲームが生まれてから今までのかなりの変化を遂げてきたが故に、どのような形でも変化が減速してきたのではないかと思うのです。いや、今までが早すぎたと言うべきか。SFならば、『火の鳥 未来編』みたいに人間の進化の頂点を過ぎて、衰退するだけの状況になるんじゃないか……そんなこともたまに思えます。
もちろん、そんな予想を打ち崩して、どのような方面でもいいのでさらに「変化」してゆくことをゲームには期待したい、そんなふうに思うのです。

 

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