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ゲームは賞に向いていないかもという話

先日、東京ゲームショウが行われました。そこでは毎年『日本ゲーム大賞』なるものをやっているのをご存じの方も多いでしょう。

しかし、こんなエントリーが。

日本ゲーム大賞の「フューチャー部門」の選考過程が気持ち悪い | N-Styles

 


日本ゲーム大賞、及びそのフューチャー賞の問題点などは上のエントリーを見ていただいた方がわかりやすいのでここでは割愛します。

じゃあそれらの問題点がなくなれば公正なゲームの賞が出来るのかというと、どうもそうは思えないんですよね。そもそも、『ゲームというものは、こういった賞を制定するのには向かないのではないか』とも思えてきました。

 

さて、「賞」のある娯楽として思いつくのは小説、映画、音楽あたりが主でしょうか。あとクローズドな感じはしますが、マンガにもありますね(小学館漫画賞、講談社漫画賞など)。それらの中にも新人賞、読者投票、関係者選考などがありますが、一番メジャーなのは関係者選考でしょう(その前段階に読者推薦投票が入ることもありますが)。小説で言うところの芥川賞、直木賞、映画で言うところのアカデミーやカンヌみたいなものですね。

しかし、これら小説、映画、音楽とゲームでは、その審査において大きく違うところがあります。それはゲームの場合、「選考する人が同じように同じ時間、同じゲームをプレイしていないこと」です。

音楽の場合、その曲が判断するためには、まずそれを聴かなければお話になりません。そしてその対象(たとえばその年に出たCDとか)もなるべく全部聴くことを要求されます。映画も同じです。映画の批評家はその年に出た映画を全部見るくらいの勢いだと聞きますし、少なくとも対象作(○○映画祭出典とか)は絶対全部見るでしょう。

小説の場合は、さすがにその年の全部、というわけにはいかないでしょうが、それでも対象作を全部読むことは必須でしょう。

 

しかし、ゲームですが、その年に出たゲームを全てクリアまでプレイしている人は、はたして日本に何人いるのでしょうか?それだけではなく、リンク先の例で言えば、フューチャー賞は286作品から選考委員による受賞作選考で受賞11作品に絞られるらしいですが、その286作品をクリアまで全部やった方は、選考委員のうちに一人でもいらっしゃるのでしょうか。

別に選考委員の方がゲームをしていないことを責めているのではありません。実際、ほかに仕事を持っている人ならば、その286作品をクリアすることはほぼ不可能です。いや、選考期間内ならば、1回プレイすること自体難しいかもしれません。

ゲームというのはそういうものなのです。音楽ならば1曲数分、映画ならば2時間程度、小説でも読む速さによって違いますが、文庫本1冊程度なら数時間~数日あれば読めるでしょう。 しかし映画や音楽とは違い、1日にいくつもこなせるものではないのです。

 

というわけで、こういったプレイ時間、すなわち選考時間がかかって前夫プレイできない以上、映画や小説の賞と同列の方法でゲームの賞を置くというのは、事実上不可能ではないか、と思うのです。

現在の選考方法は、おそらく売り上げや広報、もしくはプレイヤーの圧倒的な支持(初代『ガンパレードマーチ』みたいなもの)で一定基準をつけて足きりを行っていると推測されます。しかし、この方法だと面白いけど目立たなかったゲームというのは、賞どころか注目さえされないでしょう。しかしこれだと、それが売り上げの上下ではなくて面白さの上下を基準としているものであれば、賞としての存在意義に反しているのではないでしょうか。

ですので、ゲームの賞をそれでも制定したいのであれば、また独自の選考方法が必要なのではないかと思います。少なくとも審査する人には最終候補作の数作くらいはプレイしてもらいたいですね。じゃないと、大メーカーと中小メーカーの差がついている昨今、「賞がメーカーの力関係だけで決まっている」なんていうレッテルがついてしまいそうですから。

 

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