スポンサーリンク

伝説の人、宮路武氏の早すぎる死を悼む

 

※2014年7月2日、加筆修正(記事は2011年8月1日のものです)。

 

ネット巡回していたら、非常に驚きのニュースが。

ジー・モード宮路社長が急逝 「グランディア」など手がける – ITmedia ニュース

SF小説の巨人、小松左京氏が亡くなった驚きが冷めないうちに、今度はゲーム業界で偉大な功績を残してきた人が亡くなったというニュースに驚きを隠せません。

PC-88で活躍

古くからのゲーマーは、宮路武氏と関わりが深いゲームハードといえば、主に二つのキーワードが思い浮かぶと思います。それは「PC88」と「セガハード(メガドライブ、セガサターン、ドリームキャスト)」。

宮路武氏はまだ日本にパソコンが全然普及していない頃からアスキーなどの専門誌で活動をしており、そのうち兄の宮路洋一氏と共に1985年、ゲーム会社ゲームアーツを設立します。当時はまだファミコンも発売したてで、パソコンといえば8ビット機のPC-88などが主流の時代でした。そしてゲームアーツはPC-8801mkIISRでアクションシューティング「テグザー」を発売。

 

この作品はPCゲーム黎明期、PC-88というハードにおいてのゲーム人気を高めることとなります。
そのPC-88、そして8ビットパソコンゲーム市場におけるゲームアーツの名前を一層高めたのが、翌年発売された『シルフィード』。

この作品はシューティングなのですが、ポリゴンを使っての立体表現や、当時の音源を駆使しての疑似ボイス再生など、当時としては非常に斬新なものが組み込まれ、ユーザーを驚かせました。

 

そして、これらのゲームで技術統括をしていたのが宮路武氏。
本人のプログラムの腕も当時からゲーム業界では相当有名であったみたいで、多くの人がそのすごさを語っているのを過去何度か目にしました。ちなみにだいぶ前(たぶん5~6年前)ですが、遠藤雅伸氏が2ちゃんねるに降臨したときに、以下のような書き込みをされていました。

>>233 女王様と鞭の夜(byタンポポ)
既に遠藤の中では、誰も追いつけないレベルにあるのが、プログ
ラムの師匠だった故深谷正一氏ですね。源平討魔伝で「神」と比
喩されている方です。というわけで、逆の「悪魔」と喩えられている
黒須氏、他にはウェイブマスターの磯田氏、チュンソフトの大森田
氏、元ゲームアーツの宮路(弟)氏、そのあたりが遠藤では敵わな
いと思ったプログラマの方々です。

■参考:プログラマー遠藤雅伸氏が答えるスレ – う゛ぁるす (リンク切れ)
■参考:『源平討魔伝』の隠れた開発者メッセージ | GMDISC.com~ゲームミュージックなブログ~

 

こうしてゲームアーツは、8ビットパソコン時代、日本テレネット、テクノソフト、日本ファルコム等と共に、大きな功績を果たすことになります。

ゲームアーツの舞台はセガハードに

そしてゲームは専用の家庭用ゲーム機、すなわちファミコンやセガマークIIIなどに集まってきて、ゲームアーツもそちらに活動の場を移すことになります。主たる作品発表の場としたのが、メガドライブ、セガサターン、そしてドリームキャストといったセガハード。
ゲームアーツは16ビット機時代にはメガドライブで「天下布武」「ゆみみみっくす」「LUNAR」シリーズなどを出して人気を博し、そのままセガサターンでもソフトをリリースします。

ゲームアーツ作品としても有名な作品はいろいろありますが、とりわけ人気があるのが宮路武氏がディレクターを務めた「ガングリフォン」、そして総監督を務めた「グランディア」。

どちらも当時まだCD媒体の次世代機に移行したてのゲーム業界でノウハウもなく、且つ今に比べればいろいろと貧弱な環境で、セガサターンの性能を最大限に引き出し、且つ技術だけに頼らずゲームとしての面白さも十分兼ね備えたそれらの作品は、サターンファンを驚喜させました。今では普通の処理でも、当時「グランディア」でやってのけた戦闘中のリアル拡大縮小とか、ほとんどノーシーク(読み込み)での画面切り替えというのは当時としては非常にレベルの高いものでした。

この頃、正直なところセガはスーファミやプレステに押されて永遠の2番手に甘んじていましたが、それでも熱烈なファンをつけたのは、セガ本体と同時に、ゲームアーツの功績も非常に大きいと思います。

 

ちなみに当時、ゲームアーツは中小ソフトハウスの互助&資金調達を目的としてESPを立ち上げるのですが、その時に参加したのはゲームアーツの他、クインテット(『天地創造』『アクトレイーザー』等)、トレジャー(『レイディアントシルバーガン』『ガーディアンヒーローズ』等)、スティング(『バロック』等)といった小さいけど非常に面白い作品を作っていたソフトハウスで非常にワクワクしたのを覚えています(サターン専門誌では、よく宮路洋一氏が出てましたね)。

■参考:昔、GD-NET(ESP)というものに寄せていた期待 – ゲームミュージックなブログ

しかし、サターンが下火になってくると、それまで家庭用ではセガハードオンリーだったゲームアーツもPSで発売されるようになります。それでもドリームキャストでは「グランディアII」をリリースしていましたが、ドリームキャストが撤退するとゲームアーツ独自のリリースも減り、LUNARシリーズやグランディアシリーズも他社からのリリースとなります。会社自体もガンホー・オンライン・エンターテイメントの子会社となり、ネットゲームが中心となります。

 

iモード普及前から携帯ゲーム開発会社、ジー・モードを設立

さて、宮路武氏はドリームキャスト撤退以前の2000年に退社し(ちなみに兄の洋一氏もその後退社)、携帯電話向けゲーム開発会社「ジー・モード」を設立。iモードのサービス開始が1999年ですので、これはまだ携帯電話でゲームをするとう概念がほとんど存在しない時代から、それ向けの会社を立ち上げていたということになります。ソーシャルゲームなど今の携帯におけるゲームの普及を考えると、非常に先見の明があったと思われます。実際今では有力な携帯向けゲーム開発会社のひとつとなっています。

また、この名前、携帯電話のゲーム以外でも見たことがある人が多いでしょう。それはバーチャルコンソールやゲームアーカイブスなどで、倒産したメーカーの変わりに発売元となっているので(主にデータイースト)。それはこの会社が権利を管理して、そういったところに配信しているからなのですね。

■関連:ジー・モード代表取締役社長 宮路武氏インタビュー

 

このように、大昔から最近まで、ゲーム業界に非常に貢献されてきた宮路武氏。それだけに、まだ40代での急逝というのは非常に惜しまれます。

「グランディア」等数々のゲームで楽しませてくれたことを感謝し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

■関連:追悼・宮路武|遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」

 

◇2014/7/2追記

ジーモードが宮路氏追悼に発表したムービーが見つかったので。


 

タイトルとURLをコピーしました