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音楽にとってに新旧の概念なんてものは意味がないのかもしれない

突然思ったこと。
よくファミコンなど昔の音源を古いとかチープとか否定的な意味で使う人がいます。
じゃあ何で、昔からある和太鼓の音を、古いとかチープと言う人はあまりいないのでしょうか。
そもそも、音というものに古いとか新しい何でものはあるのでしょうか。
音なんていうものは突き詰めれば空気の振動がどう人間に聞こえるかの違いです。その現象は人間が再生できるようになった時が最近か昔かというだけです。まあ音楽は人間が主観なので、それに対して新しいとか古いというのを名付けることは出来るでしょう。しかし、だからといって古いことがその非難の対象になるとは思えません。マイナスイメージで譲歩しても、せいぜい「飽きた」程度でしょう(ただこれもバイオリンの音が何百年単位で聞かれるつけているのですから、違うと思います)。
それと同じことが、ゲームの音源にも言えると思ったのです。
ゲーム音楽において今と昔の違うところは、種類が多くなって組み合わせられる数が増えたこと。たしかに製作可能な範囲には広がったと思います。しかし、ギター1本、ドラムひとつでも素晴らしい演奏があるのにも対して、オーケストラでもそれほどでもないのもあるように、音の数と幅がすべてを決めるわけではありません。
なのに何で、ゲーム音楽には新しいと言われるものと、古いと言われるものが存在するのでしょうか。やはりこれは、上記の音数の違いのほかに、それの属していたハードにその時間の意識が付属してしまっているではないでしょうか。これはポピュラーミュージックの流行と同じで、音楽自体には別に新しいとか古いという概念は本来ないはずなのに、流行した年代と結びついてしまうが故に、その曲を古いと感じてしまうという。でも、仮に松田聖子のようなアイドル曲が今までに存在せず、倖田來未が今歌ったら、これがニューミュージックと名付けられたのかもしれません(想像するとちょっとおもしろかったけど)。
まあ、それは仕方のないことなのかもしれません。同じような音源、音楽ばかりではやはり飽きが来るのは必然ですから。ただ、古いということを非難の材料として使うのは間違っているような気がしました。
前述のように、時間のイメージがくっついてきてしまっているので今ゲームで昔の曲を使うと不自然に感じてしまうかもしれませんが、サントラとかでその音楽を聴く分には、古いというのは全く否定の材料にならないと思います。
マリオやゼルダ、イースなどのファミコン時代の音楽がいいと思えるのはノスタルジーだけではなくて、それが単体の音楽自体もよかったからではないか、なんてことを、今日秋葉原を歩いていて、『スーパーマリオブラザーズ』のファミコン版の音楽が聞こえてきた時に思ったことを書いてみました。
なんかまとまってなくて垂れ流しな文章になってしまいましてすみません。

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