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ゲーム内の「お約束」の功罪

非常に興味深いエントリーがありました。
■ゲーム人生で最も恐怖した質問。(情報元:ふぇいばりっとでいずさん)
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070905/p1
このエントリーの興味深い点は、現実の「はい/いいえ」問題(勧誘行為の実体験)にもあるのですが、ここではゲームのほうに着目してみたいと思います。それは『ゲームにおけるお約束の存在』。
「いいえ」を選んだ時に「はい」が出るまで繰り返される永久ループというのは、一番有名なものでは『ドラゴンクエスト』のローラ姫ですね。ちなみに当時はそんなお約束は一般的ではなかったので、何十回もやれば違う道が開ける!と本当に「いいえ」を選び続けた人は多かったと思います。つーか私がやってました。『ゼビウス』のバキュラにジョイボール使って256発撃ち込んだ世代ですし。ちなみに『京都龍の寺殺人事件』というゲームでは、「ぶぶ漬け食べていきなはれ」で永久ループが起こって、仕方なく「はい」を選ぶと「礼儀を知らん奴」と怒られるという不条理が。
ですが、次第にこのパターンでは「何回繰り返しても永久ループ」というのが「お約束」となってしまいました。
しかし、そこで前述の永久ループではないゲームである『ソウル&ソード』の宗教団体。これを見て、ユーザーはどう思うでしょうか?おそらく多くの人は感心させられる前に、「不条理だ」と怒ったのではないでしょうか。
だけどこういった不条理パターンって、大昔のアドベンチャーではそれなりにあったんですよね。クリアとは関係ないところですけどFFシリーズにもあったみたいですし。
ですが現在、これが無くなってしまった理由は、永久ループは終わらないということが「お約束」となってしまったからではないかと。そしてゲームをやる上で、この永久ループは面倒くさいだけで、ゲームを進行するにあたっては必要ない、との考えで最適化されて、それが「お約束」となったかと。
この「お約束」パターンというのはゲームにいくらでも存在します。最近ではアイテムを取り忘れても永久クリア不可能なんてゲームはまずありませんし(というかあったらバグと見なされる)、RPGで言えば「序盤~中盤に出てくるHPがやけに高い敵は、倒されるのが当たり前」とか。それにアクションゲームにおける「ジャンプはAボタンか方向上」とかもそうですね。
もちろん「お約束」となっていたものを打破したソフトもあります。例えばシューティングでは少しでも弾がかすればミスだったのに、『グリッドシーカー』というゲームでは逆に弾を自機に集めるのがメインだったり、『ナイトストライカー』では、実は弾を一発も撃たない方が高い得点が入ったり(パシフィストボーナス)。あと『ディスガイア』シリーズではそれまで出来るだけ味方ユニットを倒さないほうがよかったのに、逆に倒さないと全部のエンディングは見れないとかもそうかな?
うちのブログ的に音楽に関してもそれはあり、『F/A』『リッジレーサー』『ダライアス』シリーズ(特に外伝以降)なんていうのものは、それまでのそのジャンルの音楽の「お約束」を突き破っているとも言えるでしょう。
ただ、同時に固定化してしまい、それでないと怒られる「お約束」も数多く存在します。それが前述ジャンプはAボタンだったり、永久ループだったり。
この「お約束」、様々な試行錯誤の上に一番いい形で「最適化」されたものということですし、それはそれでいいと思います。だけどそれ故に問題も背負ってしまったような気がするのです。それは「お約束」から抜け出せなくなってしまい、それ以上の発展の可能性まで阻害されてしまう可能性があることです。
つまり、「お約束に囚われるあまりマイナスにはならずに1はとれても、その部分に関して2や3や10にすることがなくなってしまったのではないか」ということです。
もしかしたら、RPGにはお約束となっているウインドウ式のインターフェイスの他に画期的なインターフェイスがあったかもしれませんし、ギャルゲーも絵表示+文字表示インターフェイスの他に何か画期的な表現方法があったかもしれないのに、マイナスを恐れるあまり、それを封じてしまった可能性というのがあるのですね。
たしかにマイナスを取らないということはゲームを楽しませる上で大事ですが、それ故にプラスも取れなくなっているかもしれないってことです。
特にこれは日本産のゲームで多い傾向のように思えます。洋ゲーでは「なにこれ?」っていうものがありますからね。だけどたま~にそれならの中から新機軸が出てくるという。
これがいいか悪いか、ってのは分かりません。マイナスを取らないもの大事ですし。だけど、そんな主要な部分でなければ、お約束を少しずつ崩していった方が面白いとも思うのですね。
ちなみにとある物書きの人が言っていたことですが、推理小説ではトリックを読み手に「あ、やっぱりな」と思わせたら△、だけど「ああ、なるほどこうくるのか」と思わせれば◎というものです。これは当然ですね。しかしこれには続きがあって、「ええええええっ?!」と思わせたら×というものです。つまり、前述の「なるほど」は複線が成立していてユーザーに「その可能性もあったけど、一番上手いところをとったな」と感心させているのに対し、後者の方は「そんな無茶な」と感じさせる、つまり複線が上手に張れてなくて突拍子もない展開ということなのですね。ちなみにこの「えええっ?!」のイメージは、漫☆画太郎絵の驚いている人を思い浮かべればぴったりでしょう。ですので、いくら推理小説は読者の予想を裏切らなければいけないといっても、それはあさっての方向に裏切ってはいけない、ということです。まああさっての方向に裏切ってそれでも名作を作れば、その人は巨匠になれるでしょうけどね。
このようにたしかにあまりにとっぴょうしもないものは問題外としても、この◎になる可能性までも封じてしまう「お約束」は打破しなければいけないような気がします。
私はいろいろ何はあるけどWiiリモコンの志は評価しています。それは、このように「お約束」の範疇に凝り固まってしまったコントローラー(しかも原型を作ったのはファミコン)を、打破して新しい可能性を探っているというところがあるからです。ですので、Wiiには今までのコントローラでは出来なかった楽しさを、新しく提供してもらいたいと期待しています。

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