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アーケードゲームブーム3年周期説

 

コンシューマ機のゲームハードには、「5年周期説」なるものがあります。有名なのでご存じの方も多いでしょうが、これは「だいたい5年周期で据置機における新ハードのリリースが大量に行われ、次世代機戦争が起きる」というものです。

実例を挙げてみますと、

・1985年周辺
ファミリーコンピュータ(任天堂・1983年) 、スーパーカセットビジョン (エポック社・1984年) 、セガ・マークIII(セガ・1985年)
・1990年周辺
メガドライブ(セガ・1988年)、スーパーファミコン(任天堂・1990年)、ネオジオ(SNK・1990年)
・1995年周辺
3DO(3DO・1994年)、セガサターン(セガ・1994年)、プレイステーション(SCE・1994年)、NINTENDO64(任天堂・1996年)
・2000年周辺
ドリームキャスト(セガ・1998年)、プレイステーション2(SCE・2000年)、ゲームキューブ(任天堂・2001年)、Xbox(マイクロソフト・2002年)
・2005年周辺
Xbox 360(マイクロソフト・2005年)、プレイステーション3(SCE・2006年)、Wii(任天堂・2006年)

……といった感じで、まあ多少バラツキはありますけどだいたい集中してますね。特にトップシェアのハードはそこに集中しています。(そう考えるとドリキャスがそのど真ん中だったのは……)
しかし今日のエントリーは、そんなコンシューマ機の話ではなくて、こことPCゲームの他に昔から独自の発展を遂げてきたゲーム市場である「アーケードゲーム」について語りたいと思います。

アーケードゲーム市場は、空前絶後の大ブームとなった「スペースインベーダー」以降、発展を遂げてきました。そして1980年代は今と違って家庭用ゲームのスペックはアーケードのゲームのそれに及ばなかったために、ハイスペックなゲームを求める人がゲーセンにも足を運んでいました。コンシューマゲーム機のゲームでも、アーケードからの移植されたソフトが多くありましたね。まあそのうちいくつかは、移植という言葉を使って欲しくないほど別物になっていましたが。

 

で、それらの時代にはスペースインベーダーには及ばないものの、いくつかのヒット作は出ていました。古くは『ドルアーガの塔』『ゼビウス』『パックマン』、『グラディウス』とかですね。
で、1988年には『テトリス』が登場します。これもかなりのブームになり、ゲーセンに普段来ない人までもこれに夢中になった人はいたでしょう。残念ながらいろいろあって、その勢いがそのままアーケードで続くことはなかったですが。(まあ『ぷよぷよ』など、様々な落ち物の名作は生み出しましたけどね)
さて、その頃はゲーセンは主に一人で黙々とビデオゲームをするというのが主流でした。しかし、テトリスの3年後である1991年に『ストリートファイターII』が登場します。

 

このゲームの「対戦格闘」は、今までの一人で黙々とプレイをするというゲーセンでのスタイルを変えてしまいます。多くの店では筐体を2台向かい合わせにした「対戦型筐体」として、それまでになかった(もしくは存在が1人プレイより希薄だった)「対戦」というスタイルがゲーセンの主流になりました。
これは何時間もプレイされるゲームより、数分で決着がついてどんどんインカムが溜まってゆくスタイルであったために、店側にも歓迎されました。そしてSNKの『侍スピリッツ』など、一連の格闘ゲームも増加し、ゲーセンの中心は対戦格闘型のものとなりました。
そしてやや2D格闘も安定期に入った1994年、それまで一部で話題となっていた3D格闘ゲーム『バーチャファイター』の続編である『バーチャファイター2』が登場し、これが爆発的なブームとなります。
この頃になると、一人用のビデオゲームがかなり隅に追いやられていて、シューティングやアクション好きだった自分はちょっと悲しかったのを覚えています。おまけに1995年に『プリント倶楽部』が誕生すると、それにスペースを奪われて、ますますそういったゲームがなくなっていったのですよね……
しかし、1997年ごろになると、その格闘ゲームもだんだん飽きられてきます。(というか、腕の差が明確になって、勝てる人しか残らないようになったというのもあると思いますが)故に、ゲーセンに来る人口もどんどん減ってきてしまい、なんとなく「やばいんじゃないか?」的空気がアーケード業界に流れます。

 

だけど、そこで登場したのがコナミの『beatmania』。これがDDR、その他様々な「音ゲー」の火付け役となり、ゲーセンには再び活気が戻ります。(ちなみに実際のブームは1998年の2nd以降と思います)
さて、ここまで年代を挙げてきましたのでお気づきの方も多いと思いますが、これってだいたい3年周期なんですよね。

・1988年…『テトリス』
・1991年…『ストリートファイターII』
・1994年…『バーチャファイター2』
・1997年…『beatmania』

つまり、アーケードゲーム市場にも、3年ごとにブームが起きるという法則みたいなものがあると思ったのです。

 

ただ、多く出過ぎたが故にシェア戦争となるコンシューマハードと性質はまるで違い、前のブームが飽きられてから、市場の全滅を食い止めるための「救世主」が出るか、というかなり末期的な状態だったりするのですが。
では、次の3年後、2000年には何が起こったか……というと、実は特に取り上げるほどのものがないのですよ。まあもちろんバーチャ4とか音ゲーの新作はありましたが、それは続編であり、前述のようなアーケード市場を救うものとは言えませんでした。
さらに悪いことに、このあたりでちょうど「PS2」が発売され、ますますアーケード市場への視線が薄れていったのですね。(そういえばロンチがドラムマニアだったなあ)
しっかしこの頃のゲーセンはひどかったですね。当時離れていたゲーセンに寄ったことがあるのですが、ビデオゲーム機がほぼ全滅(申し訳程度に「鉄拳」と「バーチャ」シリーズが1ずつあるだけ)、ほとんどはUFOキャッチャーやプリクラで埋もれてた、なんてところもありましたからね。
それに町のゲーセンは(経営者が同じ場合?)パチンコ屋に鞍替えなんてのも多かったです。
正直、私もこの頃にはアーケード市場はプリクラとUFOキャッチャー以外死ぬかも、と思いましたが、どうやら「救世主」は1回休んだだけでちゃんと復活したようです。
それは2003年あたりからの、『MJ』や『クイズマジックアカデミー』『三国志大戦』に代表されるような、通信機能を持った特殊筐体。
これらは通信で競わせるだけではなく、個人用のカードを作って成績を残せたり、トレカを集められたりと様々なアーケードならではな利点を生み出しました。
まあ、データ保存の発想は媒体がメモカにせよカードにせよ2003年以前にもあったので(「鉄拳」や「バーチャ」とか)、それが成熟したのが今回かなと。
ちなみにこの時期は特定の一つのゲームというのではないのですが(セガもコナミもナムコも代表的なゲームがあるので)、これらの流れがアーケードゲーム市場を救ったのは確かだと思います。
しかし、それらの「救世主」も完全ではありません。資金力やスペースのないゲーセンは、ビーマニ以降それらの大型筐体を導入できずに、やむなく閉鎖してしてしまうところは数多くありました。
さらに、ビーマニであった廉価筐体でさえ性質上導入できなくなった今回のブームは、中規模な店までも導入できないところが増えるでしょう。そうなった時、ゲーセンが市街地だけにある、特別なものになってしまわないかが心配です。それはまたアーケードの規模を縮小させることに繋がらないとも言えないので。

しかし、わたしの住んでいるところの周辺地区には、ビーマニ廉価版がせいぜいなビデオゲームばっかのゲーセンが、何故か4つも生き残っているのですよね。そう考えると、もしかしたら生き残るのも不可能ではないかも。おそらく会計学的には莫大な収入が得られなくても支出を抑えれば儲けは出るみたいですし。あと、別に商品が出ない(あってもその店のゲームが出来るメダルくらい)のパチスロも、わりとやっている人がいるんですよねえ。
ちなみにそういったゲーセンは、シューティングがわりと置いてあるので個人的には好きです。というか、私みたいな人がわりといて、こういったところも支えているのかな?とか思ったりします。

 

 

さて、ここまで書いておいて何ですけど、問題は去年2006年の「救世主」は何だったのかということです。やはり2003年からの流れがまだ飽きられていないと思うべきでしょうかね。
まあ、今の勢いを見る限り「衰退している」ってことはないと思いますが……

 

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