任天堂文脈でのアタリショックと史実のアタリショック

このようなエントリーがありました。

ソーシャルゲーム業界は「アタリショック」のように崩壊するのか? – デマこいてんじゃねえ!

さて、「アタリショック」という言葉は最近ではゲーム業界のみならず広く使われるようになり、個人のみならずメディアでも使われるようになりました。

しかし、総じてこの「アタリショック」という言葉が使われる時には、「いや、その意味でのアタリショックは間違っているから」とツッコミが入ることも数多くあります。しかしゲーム史に詳しくない人は、それがどういうことはイマイチ分からない方も多いと思われます。

かつてアタリについて記事で扱った際、それに触れたこともあったのですが、まとめたものがなかなかなかったので、ここで自分なりの見解として一度「アタリショック」の意味について触れさせていただこうと思います。


Atari 2600 / moparx

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任天堂(山内社長)文脈における「アタリショック」

さて、アタリショックと言って広く使われるのは、「ゲーム市場がソフトの粗製濫造において何の歯止めをしなかったばかりにクソゲーが蔓延し、そのゲーム市場がユーザーから飽きられることでそっぽを向かれ、市場が崩壊すること」を指していると思います。最近ではゲーム業界のみならず経済系の記事でも引用されるようになり、「○○業界版アタリショック」と言われたりもします。しかしこれには諸説あり、前述のように疑問視をする声が高くなっています。

そもそも何故、このような意味での「アタリショック」が広まったのか。これも諸説あるのですが、主な理由は、今年お亡くなりになった、任天堂を世界的大企業とした山内社長がこの表現を使われて、任天堂の方針(粗製濫造を防ぐ)を語ったことが大きいと推測されます。任天堂山内社長はファミコンの成功の理由を講演会などで語る時に、よく粗製濫造を防止し、市場の確保に勤めたことを語られていたようです。

■参考:ホコタテブログ: 任天堂 山内語録

■参考:任天堂の歴史

この粗製濫造防止方針は任天堂として長い間一貫しており、それは任天堂がファミコン時代にサードパーティに課したソフト本数の制限(からのナムコとの揉め事など)や、Nintendo64での方針にも表れています。

ただ、直接的に「アタリショック」というものを最初から認識していたかはソースが不明瞭で、伝聞による一人歩きで任天堂のとった粗製濫造の防止を「アタリショック」として認識しているとなってしまった可能性もあり得ます。

実際のアメリカゲーム市場におけるアタリショック

では、史実におけるアタリショックとはどのようなものだったのか。

結論から言ってしまいますと「ゲーム市場の崩壊は、クソゲーの粗製濫造によって飽きられたのは一因ではあるけど、それが全てではない」と見ています。

ここで、ファミコン以前のアメリカゲーム史を語る必要があるので、簡単に書いてゆきます。

まず、アメリカでは家庭用ゲーム機の1977年の発売以来、アタリの家庭用ゲーム機「Atari 2600(Atari VCS)」が黎明期の家庭用ゲーム機として君臨しておりました。これはそれまでとは異なるロムカードリッジ方式だったこと、また1980年に日本でも社会現象となる「スペースインベーダー」を移植したことなどもあり大きく販売台数を伸ばしました。

しかし、1982年のクリスマス商戦、このAtari VCSおよびそのソフトが売れず、一気に辺り派業績を悪化、大幅な営業赤字、ひいては親会社のワーナー含めた企業内のなどゴタゴタも重なり、1985年に分割、そして売却など業界の盟主の座から陥落することになります。アタリについては以前書いたので、詳しくはこちらを。

■参考:ゲーム会社の「アタリ」はそれからどうなったのか : Timesteps


Atari 2600 / moparx

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アタリの戦略ミスの側面が大きい史実の「アタリショック」

さて、この部分が前で説明した任天堂的文脈での「アタリショック」とされるところなのでしょうが、実は、必ずしもこれがクソゲーの氾濫による粗製濫造でユーザー離れが起きた、とも限らないのです。

たしかに、この年にアタリがキラーソフトとして売り出した「E.T.」は、今なおアメリカの投票などで史上最低のクソゲーとされることが多いくらいで気の悪いもので、それまでもアタリがワーナー傘下になって(且つ創業者の天才ブッシュネルを追い出して以降)映画の版権ものが売れると質の低いゲームを出しまくっていたという後世の評があるくらいですが、それが一因ではあれ、市場を崩壊させ、アタリを追い込んだ全てではないようです。

まず、海賊版の存在。当時はそう言ったものへの対策がまるでできていたなかったので、これがメーカーに入る売り上げを減らしたのが一因。

そして何より、1982年冬に「E.T.」が600万本の製造に対して、100万本しか(といってもすごい数字ですが)売れなかったこと。ここで日本と違うのは、アメリカのゲームは返品制度があったので、この500万本そっくりアタリに返ってきてしまい、それが大打撃となったわけですね。一説ではとある日大きなトラックがアタリから出て行き、砂漠に売れ残りのカードリッジを埋めていた、という都市伝説も出たくらいです。

さらに、Atari VCS自体もう発売から5年経っており、純粋に時期経過により飽きられたという見方のほうが強いです。ちなみにこれもよく言われますが、VCS以降たしかにアメリカにおいて家庭用ゲーム機市場はそれまでの隆盛はすっかりなくなりましたが、そのかわりにホームコンピュータが登場し、NES登場まで家でのゲームプレイ機としての役割を担っていたことも付け加えておきます。

■参考:2004-05-14 – Classic 8-bit/16-bit Topics

■参考:知ったかぶりほどアタリショックという言葉を使いたがる & Atari 2600のスペック – 人生に疲れた男のblog

■参考:アタリショックの真実(1)「それは暴落から始まった」 – 東京のはじっこで愛を叫ぶ

■参考:アタリショック – Wikipedia

総じて、結論からすると、たしかに粗製濫造の影響、それとユーザーに飽きられたというのは嘘ではないけどそれは一因でしかなく、アタリショックと呼ばれる市場崩壊は、主にはアタリの経営方針やハードメーカーとしての市場コントロールの失敗というグダグダのせい、加えてハードの寿命というのが私の見方です(特にアタリにおいては、解任された社長のインサーダー取引問題まで出てくる始末だったようで)。まあそれを反省点としているとしたら、任天堂の方針は確かに叶ったものだったでしょう。

二つの意味の違いを認識した上で使用されたし

このように、アタリショックという言葉が使われる際には、二通りの意味合いが存在(混在)しています。昔のネットではよく、前者での意味合いを使うとそれを間違いだと指摘する人も多かったのですが、むしろ前者の意味合いのほうがよく使われ定着してしまった感じな上、方針に基づいた任天堂の急成長にゲーム史においてひとつの意味を持ってしまった感じなので、今から後者を否定するのは難しいようにも思えます。故に私は書いて来たように、「任天堂文脈でのアタリショック」と「史実のアタリショック」というふたつの意味合いをふまえて、使いわけることにしています。なんというか、歴史における史実と、その伝聞を受けて起こったもうひとつの史実みたいなものですね。

ただまあ、アタリショックという言葉を使う時(たいていは後者のゲームが飽きられることによる市場崩壊)には、片方だけではなく、史実はこうであった、という知識を前提とする必要はあると思います。最近だと新聞や経済専門記事まで使われるようになっているので尚更。故にこのへん広く知って欲しいと思い、今日まとめてみました(これでもわかりやすさを重視してけっこう大まかなので、それぞれのソフトの評価なども含めて詳しくはアタリに詳しい人に聞いてもらえればと)。

そろそろこういったゲーム史は史料が時間と共に消えてしまう前にまとめたいところですね。

■参考文献

それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち
それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち