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1990年代後半の任天堂とスクウェアの確執の話

『大乱闘スマッシュブラザーズ』の3DS・WiiUにおいて『ファイナルファンタジーⅦ』の主人公キャラであるクラウドが参戦するというムービーが公開され、話題となっております。

なんとなく『エアガイツ』(1998年のアーケード&PSの格闘ゲーム。クラウドやティファがゲスト出演する)を思い出します。

今までも同シリーズでは、任天堂の人気キャラはもちろん、他のメーカーのキャラクターも参戦してきました。たとえばセガではソニック、ナムコからはパックマン、カプコンからはリュウ、前作のスマブラXではコナミからスネークといった感じで。

しかし、今回多くの人を驚かせたのは何もスクウェアエニックスのキャラが出てきたということではなく、『ファイナルファンタジーⅦ』の主人公であるクラウドが出てきたことにあります。

というのは、1990年代後半のスクウェア(エニックスと合併前なのでこの名前)と任天堂の間にあった複雑な事情の象徴が、このFFⅦだったからです。

リアルタイムの人にはわりと有名ですが、もう20年近く経っていることもあり、特に若い人にはそのあたりわかりにくいと思われますので、ゲーム史の一部分として語ってみようと思います。

 

ファミコン・スーファミ期のスクウェアと任天堂の蜜月時代

スクウェアエニックスとなる前の合併前のスクウェアは、最初期はPC88等のゲームを作っておりましたが、1985年にファミコン市場に参入。そして1987年の『ファイナルファンタジー』がヒットを飛ばすとそのシリーズもエニックスの『ドラゴンクエスト』と並ぶファミコンRPGの代表的存在となります。

そしてスーファミ&ゲームボーイ時代に移ってもスクウェアの快進撃は続き、ファイナルファンタジーシリーズはキラーソフトとなり、同時にゲームボーイの『魔界塔士Sa・Ga』や『政権聖剣伝説』※、スーファミの『ロマンシングサ・ガ』『聖剣伝説2』『クロノトリガー』なども人気を集めました。さらに1996年には、スクウェアと任天堂が共同開発をして『スーパーマリオRPG』という作品も生まれます。(※誤字修正:出た当時55年体制が崩壊したのを背景にしたゲーム、ではありません)

この頃にはスクウェアはほとんど任天堂ハードに注力しており、それだけ蜜月関係だったと言えるでしょう。

 

スクウェアが任天堂ハードから離脱しプレイステーションに

しかし1994年末にSCEからプレイステーションが販売されると、その1年後、『トバルNo.1』にてそこに参入。そしてすでに超有名シリーズとなっていた『ファイナルファンタジー』シリーズの最新作『ファイナルファンタジーⅦ』(以下FFⅦ)をプレイステーションで発売されることが発表されます。

このFFⅦの広報展開や注目度はすさまじく、1996年に初めて開催された東京ゲームショウでは大ブースで数万枚の体験版を配り、さらに『トバルNo.1』にも体験版をつけて注目を浴びました(そのせいでトバルが「FFⅦ体験版に格ゲーがついていると揶揄されたことも」)。

そして1997年に発売されたFFⅦは、国内300万本越え(後で出たインターナショナル版を加えるとさらに上)、世界的には900万本を超えるという史上空前の大ヒットとなります。

ちなみに当時はスクウェアはRPGのみならずソフト開発の多方面化を行っており、今までになかった『アインハンダー』などのシューティングや『武蔵伝』などのアクション、『牌神』など麻雀ソフトなども出すようになりました。同時に当時のスクウェアは開発者の引き抜きが激しく、それの影響(それで出来たソフトや、引他者の引き抜き防止策など)が各所に見られました。

 

任天堂とスクウェアの確執

一方任天堂は、ファミコン時代からスクウェアのソフトを独占的に出していたにもかからず、スクウェアは1996年発売のニンテンドー64以来ソフトを出さなくなり、且つライバルハードでキラーソフトを出されてしまったことになります。それ以後の言動もあったらしく任天堂とスクウェアの関係が悪化し、数年間絶縁状態となります(この言動は発言主や内容についてネットでいろいろ書かれていますがどれも噂レベルであり確定出来ないというのを書き添えておきます)。ただ(これも噂ですが)スクウェアのソフト供給の問題のみならず、当時スクウェアが新しく設立した子会社「デジキューブ」の存在がより逆鱗に触れたとも言われています。

■参考

初心会流通などかつてのゲーム流通について語ってみる
ゲーム歴がそれなりに長い人ならば「初心会」というものを耳にしたことがあると思われます。これは、かつて存在した任天堂製品を扱う流通会社の組織であり、ファミコン、スーファミ時代に任天堂ハードの流通を取り扱う中心的存在となったものです。しかし、ど...

 

そしてその後(当時は別会社の)エニックスもキラーシリーズである『ドラゴンクエスト』をPSに提供することで、任天堂ハードはプレイステーションに少なくともシェアの面ではトップの座を譲り渡してしまうことになります。ちなみにエニックスはナンバリングドラクエ以外はテリーのワンダーランドシリーズなど任天堂ハードでもリリースを続けます。

ちなみに当時の社長は、任天堂の大成者である山内溥氏でありました。

 

携帯ゲーム機の市場拡大

そしてプレイステーションはセガサターン、そしてニンテンドー64とのハード競争に勝ち、天下を握ります。スクウェアもハードで中心的な地位を築き、『ファイナルファンタジータクティクス』『ゼノギアス』『ファイナルファンタジーⅧ』『サガフロンティア』『クロノクロス』など多数のヒットを生み出します。

さらに2000年に発売されたプレイステーション2においてもキラーコンテンツを出すメーカーとして注目が集まり、やはり『ファイナルファンタジーⅩ』は初期の大作として相当の注目を浴びます。

しかし1990年代末には、携帯ゲーム機市場が『ポケットモンスター』を基軸として大きなシェアを誇るようになります。しかしその頃関係が悪化していたスクウェアはゲームボーイやゲームボーイカラー、そして後続のゲームボーイアドバンスからは出せない状態であり、バンダイの『ワンダースワン』にソフトを提供することになり、そこから『ファイナルファンタジー』などを出しましたが、ワンダースワンはゲームボーイに対抗出来ず、そのシェアは微々たるものでありました

 

スクウェアの経営難

そして2000年代になると順風満帆に思われたスクウェアに経営難が襲いかかります。

ひとつは2001年に制作した映画『ファイナルファンタジー』の興行的大失敗。これによって100億を超える特別損失を計上するに至ります。

さらに1996年以降、スクウェアの流通子会社デジキューブの経営が悪化したことがあります。原因はコンビニ流通の不全、データ配信コンビニ端末の不振などいろいろありますが、長くなるのでここでは割愛。

スクウェアはそうなる前からゲームボーイカラーやアドバンスソフトの供給、及びデジキューブにおける任天堂ハードのソフト取り扱いを要請したようですが、交渉は門前払いだった模様。その影響が思い切りのしかかる感じになります。

 

スクウェア→スクウェア・エニックスに

ただ、ちょうど2002年に任天堂の山内溥氏が岩田聡氏に社長職を譲った以降、任天堂の態度が軟化した感じになり、2002年にはゲームボーイアドバンスソフト『チョコボランド』にて、任天堂ハードへ復帰しています。

しかし経営難は響き、その影響もあり2002年にはエニックスとの合併を発表し、2003年に合併、スクウェアエニックスとなります。

そしてデジキューブは2003年に会社更生手続きなしで破産しました。ちなみにゲームミュージック的には、この時の破産でここから出ていたサントラが廃盤になり、その後スクエニから復刻されるまでプレミア価格がついている状態になっていました。

 

そして今、クラウドがスマブラに参戦

それからはゲームキューブ、Wii、DS、3DSなど任天堂ハードにおいて普通にスクウェアエニックスからソフトが供給されています。

そして2006年にはDSソフトとして『マリオバスケ 3ON3』という、FFキャラが登場するゲームも出ています。

ただ、今回最初に書いた1990年代中盤の次世代機戦争における中心となったFFⅦの主役であるクラウドが参戦するということになったのは、やはり当時を知る人から見ると衝撃が大きいでしょう。ある意味、マリオとソニックが初めて共演した時以来かもしれません。

まあそれだけスマブラの抱擁力がやけに大きいということと、時代が変わったということでしょうね。振り返れば音ゲーで訴訟合戦までしてたコナミとナムコたちが天下一音ゲ祭で一緒にイベントやるくらいですし。

■参考

音ゲー訴訟はあれからどうなったのか : Timesteps
2000年あたりでコナミやジャレコ、ナムコなどが争っていた音ゲーの特許訴訟はそれからどうなったのか。

今絶対にありそうもない企業同士のコラボも、数年経つとあり得るかもしれないですね。

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