整理していたら、こんなものが出て来ました。
これ、何だかわかりますか? まあでっかく『M3』の文字があるからわかりやすいでしょうが。
実はこれ、同人音楽即売会として有名な存在である『M3』のカタログです。ただし2002年のもの、つまり10年前のカタログですね。(はじめて行ったのはこれより前なので、探せばもうちょっと古いのもあるとは思いますが、とりあえずこれが出て来たので)
というわけでせっかくですので、現在では同人音楽イベントとしてすっかり巨大な存在になったM3の、約10年前の話をしてみようと思います。
ちなみにこのゲーム音楽界隈、その頃から行ってるどころか参加してる方も多いと思われますが、今日書きますのは一参加者から見た、感じたことってことで、ご容赦願えればと。
浅草橋の小さな会場で行われていたM3
開催場所は秋葉原から数駅離れたところにある、五月人形の会社が多い浅草橋の東京卸商センター。現在主に行われている東京流通センターや大田区産業プラザPioよりもはるかに小さく、地区公民館くらいの大きさですが、それでも試聴コーナー、映像上映コーナー、休憩スペースがあってもかなり余裕があるくらいでした。
サークル数はスペース数から数えて164。しかしほぼ同一サークルなところの2スペもあるので、実際はもっと少ないです。この2ページで全部ですし。
参考までに2012年春のM3は応募数1150、参加数1040サークルだったそうですので、10倍規模に膨れあがったことになります。
この頃から他のイベントと同時に行われることもあったのですが(主にコミティア)、昼過ぎに来て、且つ全部のサークルを試聴しつつ回っても余裕のあるくらいだったと記憶してます。
当時の媒体とかジャンルとか
今でこそ、プレスCDを頼むのも手軽になりましたが、当時の主流はCD-Rを自分で焼いて、ジャケットも自家製のものが主流でした。しかもそのCD-Rでさえまだギリギリ普及したくらいかな? という時代で、初参加したもうちょっと前は、CD-R自体高価でした。しかもドライブの性能がそこまでよくなかったのでメーカー選び(ドライブはパイオニアのDVRシリーズ&メディアは太陽誘電CD-R大人気)とか、焼いてる最中は振動立てるヤツ部屋から出てけ!とか、そんな時代でした。
ちなみにそれより前だと、フロッピーディスクでmidi音源データを売っていたところもあったような。
ジャンルはこの頃からけっこうありましたが、初音ミクは影形もない時代でした(ボーカロイドは数年後ってところ)。多かったのはオリジナルほかコンシューマやPCゲーアレンジ。制作方法はおそらく当時主流と思われるローランドの88-Proシリーズを利用したDTMや、FM音源など独自音源を駆使したもの、もちろん生演奏や生歌唱もありました。
ちなみに私が同人音楽を聴くようになったのは、当時、同人ではLeaf、Keyブームというのがありまして今の東方のように多くの二次創作同人が生み出されたのですが、当時がちょうど盛り上がっていた時期でもあります(とはいえその盛り上がり自体同人音楽が小規模だったのもあり、今の初音ミクなどと比べるとわずかなものなのですけど)。
これは、作品人気はもちろんですが当時の音楽発表の背景が理由の一つとしてあります。
現在、けっこう気兼ねなくニコニコやYouTubeでMAD作品とかが作られては公表されていますが、当時はけっこうそれらの作品はアングラ的な要素が強く、表だって扱うのがかなり慎重になるくらい音楽系では著作権に対してピリピリしていたのですよね。このあたりで「midiショック」があったのも大きいでしょう。
しかし、これらの美少女系ゲームメーカーは音楽含め二次創作には比較的寛容で、「趣味の範囲内であれば」OKという明言がなされていたのですね。しかも良質の音楽が多かったため、安心してそれらの二次創作が作られる土壌となったのですね。その辺りからプロになった人も数多くいたりします。
まあその周辺の話は昔ざっと書いたので、以下でも。
■関連:2000年前後、Leaf・Keyのゲームがインターネットに及ぼした影響 : Timesteps
で、このあたりの作曲陣がオリジナルを出して、そこで歌い手が出て来て、その人達がゲームの商業作品でも歌って……というように繋がりもあったり。
ちなみに今では多い同人委託ですが、当時同人音楽の取り扱いはあまり多くありませんでした。Rはあまり扱ってくれなかったでしょうし、オリジナルはそこまで強くなったので。ただ、秋葉原あきばおーだけ同人音楽&同人ソフトがやけに多く、ここが当時同人デジタルもののメッカでしたね。ただ基本はほとんどないものでした。
見返して気づいた有名サークルなど
M3に戻り当時のカタログを見てみると、有名どころとしてはまずスィープレコード(トルバドールレコード)があります。
言わずと知れた細江慎治さん中心のサークル。M3にも最も初期の頃から出ている有名サークルでもあります(O.M.Yとかまにきゅあ団とか同人音楽黎明期の存在の話もそのうち)。
今ではプロのゲーム作曲家関係の人が趣味で同人音楽イベントに出ているケースはとても多くなりましたが、当時としては非常に異例だったのですね。しかもビッグネームですから参加していること自体驚いたものです。
あと、有名どころとしてはここかな。
プロデビューもしている「Sound Horizon」ですが、当初はこのようにM3も出ていました。現在はストーリー性を持つ歌唱曲は多くなりましたが、当時はかなり斬新でしたね。まだボーカル曲自体少ない時代でしたし。
ただ、これらのサークルどころか当時はどのサークルも列など出来ることは(知る限りでは)なく、いつ行っても試聴もして、まったり買えるような状態でした。全部回ることも。オリジナル同人誌即売会のコミティア同様まったりの代名詞的存在でした。それは会場が大田区産業会館Pioの1階に移っても「こんな広いのかー」と思ったくらいですし。
本当はこの間(2005年あたり)の歴史も書きたいのですけど、整理できてないのとあまりに長くなりすぎるので今日は割愛します(ここらへんでサークル出してた歌い手が、現在ゲーム音楽での歌い手として活躍しているケースが多いので、いずれ書かないといけないとは思いますが)。
M3及び同人音楽の急激な拡大
ですが、2000年代後半に入ると、ニコニコ動画などにおいて、オリジナルの歌い手や初音ミクなどを利用した作り手の作品が発表され、その人達も参加するようになりました。すると一気に一般参加者が増えてゆきます。正直、会場前にかなりの列が出来ていたときには「え? ここM3? 会場間違えた?」と本気で思いました。
そして流通センター駅(渡り廊下の天井低くて頭ぶつけそうになるので有名)の東京流通センターで開催となった今回に繋がります。
まとめ
ま、こんなM3の一面もあったということで書いてみました。
でも、今も参加してて思うのは、今なお初期にあったジャンルが存在しているということ。それは歌唱だったり演奏だったりチップチューンだったり。むしろレトロ音源系、サークル多くなった分絶対数では増えてね? って感じさえも。これが音楽創作ならではの、音源において流行廃りがほぼないという特性かなと。たぶん10年後にも表現の拡大はあれど、どの音源での同人音楽も現役じゃないかと思います。