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初心会流通などかつてのゲーム流通について語ってみる

ゲーム歴がそれなりに長い人ならば「初心会」というものを耳にしたことがあると思われます。これは、かつて存在した任天堂製品を扱う流通会社の組織であり、ファミコン、スーファミ時代に任天堂ハードの流通を取り扱う中心的存在となったものです。しかし、どうも歴代のゲームに関する本(当時のマニア系ゲーム雑誌など)を見ていてこの組織の名前が出てくる時は、あまり肯定的な面で語られることは少ないです。というかそもそも流通は裏方であったために、あまりこれらについて語られた資料がないのですが。

ともあれ、語られている範囲でこれらがどういうものであったのか、ちょっと調べつつ書いてみることにします。

ゲームボーイ初代

 

まず、初心会の前身は玩具流通会社の集合体「ダイヤ会」というものらしく、もともと玩具メーカーであった任天堂はそれらと密接な関係があったようでした。そしてその団体が一次問屋の親睦団体「初心会」となります。それらは大手50社以上の大流通組織として形成されていたということです。

■参考:任天堂の歴史Philosophy of Nintendoさん)

ファミコンなどの任天堂製品は、ほぼ全てがここを通して出荷されたと言われています。そしてファミコン全盛期には「家庭用ゲーム機の販売はピーク時には玩具問屋の総売上の70%にも達した」ということですから、任天堂及びそれらの団体がゲームのみならず玩具流通において非常に力を持っていたと言えます。

 

しかし、この初心会流通というものは数少ない当時書かれたものを見ると、あまりいい場所として語られることがありません。では何故、この初心会が否定的側面で語られることが多いのか。それはおそらくこの初心会流通が持ってしまった力に加え、当時の流通体制があまり整っていなかったからというのがあると思います。

今でもそうですが、実は小売店が発注した本数通りに必ず届くというこわけではなく、人気ソフトなどは発注数に対して少数しか割り当てられないことがわりとあります。これは生産数に対して売れないとメーカーが損をしたり、たとえ小売りまで届いても余らせるとブランドイメージに傷がつくなどの事情で出荷数を絞るためです。これ自体はメーカー側にも言い分があるのですが、このソフトの配分が初心会との関係が強い店と弱い店とでだいぶ違っていた、ということが言われています。しかも当時は媒体はROMでありましたが、これは一度出荷すると売り切れても再出荷に数週間を要してしまいます。よって「初回の入荷」が非常に重要だったため、それを決められる流通が力を持ったと言えます。

ちなみに子供の頃、ドラクエを予約している店があまりなかったのは、単純に「予約してもその本数が入ってくるかわからない」からだったのですよね。よってあのように混乱して警察の指導を受けかねないのがわかっていても、行列を作らせるしかなかったと。

 

あと、「ゲーム批評」で書かれていた記事には、スーファミ後期に展開したクーポン券制度の体勢が整っていなかったために、小売りに負担をかけさせたという話が載っていましたね(これはどっちかというと初心会ではなくて、任天堂の流通におけるミスのような気もしますが)。また、これは噂レベルでしかないですが、売れ線ソフトを多く入荷する代わりに、売れていないソフトを一緒につけられるといったことが行われていたらしいです。その結果、小売りはその在庫不良ソフトの損切りでワゴン行きにしたり、評判の悪い「抱き合わせ販売」等が行われたとも言われています。

ひとことで言ってしまえば、立場上力を持ってしまった組織の被害を受ける小売りが多かったということですね。ちなみに、昔からそれらの流通とつきあいのあるおもちゃ屋の方が強く、ゲームソフト専門の新参ゲームショップは結びつきが弱かったため、そっちからの文句だったかもしれません。

ただ、あえて流通の立場で言えば、ある程度市場を統制しないとゲームの値段、そして価値がどんどん下がってゆき、せっかく構築したゲーム市場を破壊してしまうために、こうせざるを得なかったという見方も出来ます。あと分配の件も、こうしないと小さいおもちゃ屋が大きい量販店に駆逐されてしまうため、統制を行わざるを得なかったということも言えなくもないです。

■参考:俺とおもちゃ屋とゲーム屋の話 – セタレナ

 

しかし、これらが大きな転換点を迎えるのが、PSの登場です。PSではその登場時に、流通の改革も提唱されていました。これは今までは任天堂と小売りとの間に入っていた流通(つまり初心会)を通しての扱いではなく、SCEの流通部門と直接やりとりをすることで、SCEと特約契約を結んだ未成に出荷制限などをなくすと言われました。また、CD媒体によるリピート生産体制により、品切れ状態をなくすという利点も提唱されていました。それまでの流通に不満を持っていた小売りを引きつける一因となったのは否定できないでしょう。
ただ、その後はソフトの価値を保つための統制がいきすぎてしまい、特約店に対して中古禁止や価格の統制などで縛り、結果として中古裁判での敗訴や独占禁止法の適用をされるようになってしまったのは皮肉です。

でも実は同じようなことをセガもやっていたということですし、前述の任天堂流通も含めて問題は会社だけではなく、こうしないと統制がとれなかった発展期&混迷機のゲーム業界全体の体質と言えるかもしれません。

■参考:ゲーム事件簿#2趣味の研究室・知的財産権篇さん)

とはいえ、初心会は流通のほかにも、イベントの開催も行っていました。昔開催され、今も形を変えて受け継がれている任天堂のイベントは、初心会の行ったイベントが前身とされています。インターネットがなかった時代、重要な発表はこういった場でなされました(今のE3みたいなものですね)。ちなみにSCEもセガも同じように展示会は度々開催していました。


任天堂スペースワールド – Wikipedia

 

というわけで、ゲームの歴史の裏にはこういった裏方の事情もあったということで。

ちなみに最近の事情はどうなっているのかわかりませんが、だいぶ整備はされてきたと思います。それは発注体勢や流通体制が整ってきたのがあるかもしれません。つか、ハードメーカーだけじゃなくて、大きなソフトメーカーは自社流通持つようになりましたしね。

ただ、現在でも特典付きや限定版などで、同じように注文に対する回答数が少ないということが起きることがあります。これは今まで流通における問題をクリアしてきたように、これも皆が納得いく形にしてゆくことが今後の課題かもしれません。

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