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PCソフトの大パッケージは販売にとってプラスかマイナスか

部屋の大掃除をやっていて、ここ数年いろいろなものの下に埋もれていたものがいろいろと出て来ました。

で、棚も設置したのでそこに本なりCDなりを並べたりして床の見える面積を少しでも増やすように努力しているのですが、ちょっと困りものになっているものがひとつ。それがPCソフトの箱。

PCソフトの箱と言ってもピンとこない人は、下の写真で。

atok2011

つまり、昔ながらの紙製のでっかい箱ですね。「エロゲの一般的な箱ね」と思った人も正解です。私の部屋のスペースを占めるそれがどうかは言及を避けさせて頂くとして。

いくつかあったこれが、かなーりスペースをとることを改めて認識したのですよね。

 

 

かなり昔から存在するこの大きさのPCソフト箱

このPCソフト箱のサイズ、もうPC-88やPC-98の時代、つまるところ販売媒体がCDどころかまだフロッピーディスク(それも3.5インチ以前の5インチフロッピーの時代からかもしれない)から存在しておりました。今ではPケース(普通の音楽CD収納サイズ)や、DVDケースなどでの販売も増えてきてはおり、実際映画やアニメなどの映像ソフトはほとんどこれですが、ことPCソフトに限ってはいまだにこれが多く流通し、店頭で売られている状態です。

昔、PCソフトのサイズがこの箱の大きさになった理由としては、

  • 非常にデリケートで、ちょっとしたショックでも壊れやすく、厳重に保護する必要があった。
  • 媒体が今と比べて非常に高価であったので、ケースもそれに見合うようにしていた(保護含む)。
  • 容量増加に伴い、フロッピーディスクの枚数が劇的に増えたので、大きな箱じゃないと入らなくなった(90年代半ばのPC-98ソフトは、ゲームで10枚以上、OSとかだと50枚単位で必要だった)。

などということが言われています(ほかにもメーカー毎などの事情が多数あったと思いますが)。

 

なぜPCソフトではこの大きさの箱が今でも残り続けているのか

さて、現代となっては殆どのソフトはDVD数枚に入る容量となっていて、多くのソフトは前述のPケースやDVDケースに収納可能となっています。実際最近のPCソフトを買うと、大きな箱の真ん中にDVDが一枚だけ入っているということもよくあります。なのにどうしてこのような大きな箱のまま販売が行われているのか。

これとしても、いくつかのことが言われています。

  • 大きなパッケージの方が店頭で目立つため(特に絵が購買要因として強いエロゲなどは)。
  • パッケージを大きくした方が高級感がある。逆に小さくすると廉価版みたいに見えてしまう。
  • 流通の都合(もしくは流通会社的都合)。昔からの流通がこのパッケージで動いているため、それ以外のサイズの方がイレギュラーになってしまっているなど。
  • マニュアルなど、添付物があるので結局DVDサイズでは収まりきらないから。

などなど。また自分には分からない細かい事情もあるかもしれませんが(それこそ流通会社的事情の場合)。

ともあれ、大きな紙ケースがいまだにPCソフト(とりわけエロゲはじめとしたゲーム)では幅を効かせているのは、それなりに営業上の理由があるようです。

 

この大きさが売り上げの阻害となっていないか

ただ、先ほどの片付けなどを経て思い返すと、はたして本当に今でもこの大きな紙のケースでPCソフトを販売することは、現代においてもソフト販売面におけるメリットとなり得るのか、という疑問が湧いてきます。

前述のように、大きな箱は店頭で目立つほかに、購入した人にとってもその大きな存在がPCソフトとうそれなりの値段を出して買ったもの、という満足感を与えるという場合も多いでしょう。ただし、全ての人にとってプラスとは限りません。

ちょっと前の話なのですが、エロゲーに興味があるけど買わない、と言う人がいました。それの理由を聞いてみると「あのデカイ箱が邪魔だから」というのです。たしかに思ってみれば、開封して以来殆ど手に取ることもない箱なのに、それだけでCD数枚分のスペースをとってしまっていて、収納的には非常に邪魔な存在ですね。でも、捨てるに捨てられない。たとえ中古に出す気がなくても、なんとなく。一番最初に写真を出したATOK2011のパッケージも、その理由で捨てられずにいます(まあでも月払いの2013にしたので、さすがにもう捨てますが)。

このスペースの問題というのは、限られたスペースしか持てない人(おそらく日本人の多く)にとってはかなり重要と思われます。私の場合PCソフトよりもマンガとか雑誌ですね。もう溜まりに溜まって、購入するときには値段よりも置く場所のことを考えるくらい。故に自炊ってのは次の本を買うための重要な手段なのですが。

■ 関連:自炊が広まったほうが電子書籍は売れるようになるんじゃないかと思った話 – 空気を読まない中杜カズサ

 

更にそことは別の話なのですが、エロゲーの場合家族がいて自分の家にそういったものを持ち込みにくいし、見つかると面倒という人もいます。そういう人にとっては、むしろ目につくパッケージの方が面倒な存在となると。実際、昔はエロゲを買って途中でパッケージだけ捨てて持って帰るなんてひともいたそうです。またエロに限らなくても、ゲームを買うのに家族(配偶者など)が厳しい家庭というのはあるようですし。今はそういった層は大人ならきっとDLサイトからの購入になっているのでしょうね。

 

これからもPCソフトの販売はこの箱の大きさのままなのか

こう考えると、今まで続いてきた大きなPCソフトパッケージは、現在では逆に買う側にとってマイナスとなっている場合もあるのではないでしょうか。

フロッピー、CD、DVDときて、今はブルーレイやUSBメモリー等での販売となっています。そして何より媒体自体が存在しないダウンロード販売がそれら以上に急速な浸透を見せています。分野によってはすでにDLしかないところもあります(PCとはちょっと異なるけどスマホアプリとかまさにそれ)。もちろんダウンロードでは味気ないということでパッケージを購入する層もまだまだ多いと思います。しかし、スペースの都合で購入を控えているという層の存在も否定できないのではないでしょうか。

 

これはPCソフトだけではなく、コンシューマソフト、ひいては音楽販売や映像ソフトにも言えることでしょう。溜め込む人にとってパッケージのスペースはかなりの問題です。ただ、パッケージじゃないと購入したりコレクションしている感じを得られないと思ってる人も多いでしょう。そのようなものを含めて、配給側はどのように考え、今後のゲーム、ひいてはコンテンツの販売はどのような形になってゆくのか、そういう点も興味深いです。

 

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