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ゲーム制作では成果に対して報酬以外のもので応えなくてはいけないという話

ゲーム系企業における成果主義の是非は、結構前から話題になってますね。

簡単に説明すると、
ゲーム業界でも成果主義導入

→大作は売れるけど、意欲作は評価は高くても大作よりは売れない

→大作に所属していたメンバーばかりが給与が上がり、意欲作に所属していたメンバーは下がる

→それによって、みんなが大作のチームに行きたがる、もしくは大作を作るチームになりたがる。それに所属できないメンバーは意欲が下がり、退社してゆく。

→結果、出来たのは大作の続編ばかりで、意欲作が消滅。新しいものを生み出す土壌が失われてしまった

……という感じ。

 

問題はこれが起きたことではなくて、数年前から言われていたのに(合併した)今でもこの状態が続いていたとしたら、そのほうがまずいのでは? ということですが、さすがにそのへんは改善されていることを祈りたいです。

しかし、成果主義の失敗というのはあちこちでも言われていますが、それは風土(業務の体質)に合ってないものを無理矢理不完全な形のまま持ち込んだからというのが主たる原因と思います。そしてそれはゲーム業界の場合も。

さて、これについて昔、どこから聞いたかは忘れたのですが(もしかしたらどっかで読んだ話かも)、とあるゲーム業界の人からこの業界に成果主義を導入するとしたら、どうすればいいかという話を聞いたことがあります。その人曰く、「たとえとあるゲーム制作チームが結果を出したとしても、その成果に金銭で応えてはいけない」ということ。理由は上の通りになってしまうから。つまりゲームが売れる、売れないというのは、現在のゲーム業界において、その単体の出来だけではもう比較できないのですよね。たとえば良作と呼ばれるゲームでも、駄作、地雷と呼ばれるゲームより売り上げが低い場合があります。そういう場合前者はだいたいオリジナルの1作目、そして後者はシリーズもので名前が知れ渡っているもの、もしくは大作だったりする場合がよくあります。つまり、ゲームはネームバリューで売れてしまうところがあるので、売り上げでは出来を比較することは出来ないと。それを他の業界と同じように売り上げを成果として比較するから(まあ他に明確な指標がないのもあるのですが)、ちぐはぐな成果主義となり、結果、悪い方向に行ってしまうと。

 

でも、何らかの形でそのゲームを制作した個人なりチームなりには報酬を与えなければいけません。ではどうするか。それは「主たる報酬を金銭以外のもので応える」ということ。

ひとつは「時間」。これは単純に休暇というものあるでしょう。しかしそうではなく、「次の製品を作るための猶予期間」というものも含まれます。つまり、次の製品までは多少研究期間をあげるから、ゆっくり作っていいよというお墨付きを与えるのですね。それによりゲーム開発者は心の余裕が生まれますし、経営側は次のゲームの売り上げにつなげることも出来ると。

それともうひとつは、そのゲーム外車内での「権利」を与えるということ。

ゲーム開発者は、おそらく多くの場合「自分が作りたい」というゲームがあると思います(そうじゃなければこんな効率の悪い業界にいないでしょうし)。だから、もし売れたゲームを作って、その会社の売り上げに貢献すれば、その褒美として、次のゲームを自分の自由に作るための権利を大幅に与えるというもの。それによって、今まではやや売れそうにないと思われ、経営に蹴られていたような意欲作も出せるようになります。たしかに売れた前作より数字は下がることになるかもしれませんが、ことによると未来の大ヒット作を売り出す種になることもあり得ますから、経営側にとっても悪いことではないでしょう。

そして、これらの一番の利点は、金銭での成果主義のよりもずっと不公平感が生まれにくいということ。そして大作寄りにならないで、多様性が生み出せるということですね(もちろん細かいところでは、そこにあった調整が必要だと思いますが)。

一応言っておきますが、上の二つがあれば金銭が低くてもいいというわけではないので。あくまで成果は金銭重視でないほうがいいってことで。

 

そんなわけで、ゲーム業界でも成果主義を導入するなら、その場にあった形のものでないと、全くの逆効果になるよということで。

まあ、結局は評価をする人が、ちゃんとした判断を下せる素質があるかどうかが一番重要でしょうけど。つまり「成果を見る人の成果主義」のほうが大切だろ(ちなみにアメリカではそれを判断するのが「株主」だと思う)と、少し皮肉をこめて書きつつ今日はこれまで。

 

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