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『ゼビウス』と細野晴臣とゲームサントラの誕生

先日の2月16日、人気番組『アメトーーク』において、「ゲームセンター芸人」という回がありました。そして今日ネットを見ていたら、その番組内においての『ゼビウス』とY.M.O.の細野晴臣氏について言及したところへの指摘が出ていました。

アメトーークでの「ゼビウスのBGMにYMO細野晴臣氏が関わっていた」という間違い
2017年2月16日放送分マスコミも矜持があるなら後日にでも訂正していただきたいですね

私は番組を見ていなかったのでどのような文脈で語られたのかはわかりませんが、どうやらこれを見ると「YMO細野さんがBGMを監修」とあるので、ゼビウスの本編、つまりゲームにおいて音楽を監修したとされていた模様です。

しかしながらこちらは上記リンク先でも指摘されているように、その通りに受け取ると正確ではありません。結論から言ってしまうと「細野晴臣氏は『ゼビウス』リリース後に出た国内初のゲームサントラ『ビデオ・ゲーム・ミュージック 』というアルバム及びシングル『スーパーゼビウス』において、アレンジ・監修を務められた。ゲーム『ゼビウス』の作曲は当時ナムコの慶野由利子さん」となります。

さて、このあたりはゲーム音楽史に深く関わってくる部分であるので、せっかくの機会ですのでこのあたりについて軽く書いてみようと思います。

ビデオ・ゲーム・ミュージック ナムコ

 

ナムコのアーケードゲームが圧倒的大人気だった1980年代前半

1980年代前半、ファミコンが登場する前、ゲームの主流といえばゲームセンターのアーケードゲームでした。そこで人気のゲームを次々とリリースして注目を浴びていたのが、先日亡くなられた中村雅哉氏が創業した中村製作所を前身とするナムコ。そこから出されたゲームは、当時のゲームファンを虜にしました。代表的なものとしては、世界的大ヒット作になった『パックマン』(1980年)、『ギャラガ』(1981年)、『ボスコニアン』(1981年)、『リブルラブル』(1983年)、『マッピー』(1983年)、『ドルアーガの塔』(1984年)など。

ポケモンの開発者である田尻智氏が当時これらのゲーマーであり、攻略同人誌『ゲームフリー―ク』を発行していたことは有名です。

「ゼビウス」がなければ「ポケモン」は生まれなかった!?———遠藤雅伸、田尻智、杉森建がその魅力を鼎談。ゲームの歴史を紐解く連載シリーズ「ゲームの企画書」第一回
不朽の名作『ゼビウス』はどのように企画されたのか!? 当時、”異質”といえるクオリティの『ゼビウス』にゲーマーたちは熱狂した。『ゼビウス』を愛し、ゲームクリエイターとなった株式会社ゲームフリークの田尻智氏と杉森建氏を迎え、制作者の遠藤雅伸氏...

 

『ゼビウス』からゲーム音楽アルバム制作の流れに

そのナムコから1983年に出た、縦スクロールシューティングが『ゼビウス』。これが大ヒットとなり、今なおシューティングゲームの大成作品として語り継がれています。開発に関わった人は複数ですが、プログラムやマップ以外のグラフィックなどが遠藤雅伸氏、音楽が慶野由利子氏、システムプログラムに『源平討魔伝』で追悼の名前が出てくる有名プログラマの深谷正一氏等。

しかし、当時は「ゲーム音楽」というものが音楽として認知されておらず、いうなれば効果音の連続的な扱いのようなものでした。もちろんそれに音楽性を見いだす人は出て来ましたが、それが形としてまとめられることはありませんでした。

そんな時、Y.M.O.のメンバーとして、またヒット曲の作曲者として知名度が高かった細野晴臣氏が『ゼビウス』のファンで、ナムコに来社されて開発者の遠藤雅伸氏と会われて話されることになります(ネットの情報だとPC雑誌『ログイン』の野々村文宏氏の仲介とある)。その際にゲーム音楽をレコードとしてリリースする話が盛り上がり、音楽プロデューサーの近藤氏もいたことから話が進み、当時Y.M.O.や細野晴臣氏の曲をリリースしていたレーベル、「アルファレコード」でやろうという話になります。(以上資料:『スーパーゼビウス』2001年復刻版ライナーノーツより)。

 

初のゲームサントラ『ビデオ・ゲーム・ミュージック』

その後アルバムの制作がはじまり、収録のみならず細野氏の提案でアレンジも収録することになり、2曲アレンジが入ることになります。そしてアルファレコードから1984年4月25日にリリースされたのが、『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(下の写真はCD復刻版)。

ビデオ・ゲーム・ミュージック ナムコ

当時の媒体はアナログレコード。収録ゲームは『ゼビウス』ほか、『ボスコニアン』『パックマン』『フォゾン』『マッピー』『リブルラブル』『ポールポジション』『ニューラリーX』『ディグダグ』『ギャラガ』。

これは確認出来る限り、日本で最初の(おそらく世界でも)ゲーム音楽のサウンドトラック、というものになります。初の試みにしては、売り上げもかなり良好だったようです。

 

ここまでの経緯から『ゼビウス』においての作曲は慶野由利子氏であり、細野晴臣氏は後から『ゼビウス』ほかナムコのゲーム音楽を収録した初の「ゲーム音楽のアルバム」を監修したとする表現が適切となると思われます。

 

『スーパーゼビウス』ナムコ

ちなみにその後、同じくアルファレコード(ただしレーベルは¥ENレーベル)より同じく細野晴臣氏監修の『スーパーゼビウス』が1984年8月29日にリリースされます。ちなみにファミコンの『スーパーゼビウス ガンプの謎』とは別物です。

こちらはシングル的なもので、全編アレンジとなっています。ちなみに『ギャプラス』や『ドルアーガの塔』のそれも入ってます。この前出した同人誌『GAME SOUNDTRACK REPORT Vol.5 ナムコのゲームサントラ PART1』にあったので、そのページを以下に。

 

ゲーム音楽レーベルG.M.O.レーベルの誕生

この後アルファレコードでは「G.M.O.レーベル」が設立され、ナムコだけではなく数々のメーカーのレーベルのゲーム音楽サントラがリリースされます。たとえば『セガ・ゲームミュージック Vol.1』『コナミ・ゲーム・ミュージック Vol.1』『カプコン・ゲーム・ミュージック』『タイトー・ゲームミュージック』など。そこからサイトロンレーベルに繋がったりで、ゲーム音楽サントラ黎明期の流れとなり、今に繋がることになります。

 

このへんをまとめたい

というわけで、テレビでのことからゲーム音楽黎明期の話になってしまいましたが、いい機会だったと思います。しかしもう30年以上前なのだなあ……。このあたりの流れ(これ以前の源流も含む)は、これから少しずつまとめていきたいと思っています。早く調べないと経年でそういったものを記している資料がなくなりそうなのもあるので。

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