現在、ゲームが発売されるとほぼ数日で完全な攻略がネット上のまとめサイト(複数)で公開されます。それ自体はつまった時に便利だしいいのですが、たまに思うことがあります。ああ、もう絶対に自力で解くしかないという制約は、失われてしまったのだと。
昔、インターネットがほとんど普及してなかった時代、とあるゲームがクリアできないで困っていた場合の手段は、雑誌(攻略本)での紹介を待つ、友人に聞くなどでした。ごく一部、パソ通をやっていた人はいましたが、それも当時は敷居が高く、また内部ですぐに攻略をしてくれる人もあまりいませんでした。ただ、格闘ゲーム全盛時代新しく発売されたゲームの技研究が盛んで、パソ通からプリントアウトしたと思われる技表がゲーセンによく貼ってありましたっけ(昇竜拳コマンドが623って書いてあるやつね)。
しかしインターネットが普及してきて、ゲームの攻略を手に入れるのがそんなに難しくなくなってきます。それこそ初期(1997年くらい)はまとめサイトがそんなにはありませんでしたから、掲示板(セガBBSとかね)でわからないところを聞く、という感じでしたが、そのうちまとめサイトが出てきましたね。で、FF9の頃には、制作側から攻略自粛要請などがあって、話題となりました
ちなみに当時、ReadMe!ランキングのベスト10には、だいたいその当時の人気ゲーム(主にDQ・FF)の攻略サイトが入っていたような。
たしかに、こういった攻略が簡単に手に入るようになったのは、非常に便利だし、よいと思います。ただ、そういう満たされた状態故に思うのは、同時に知ることが出来なかった故、できたことというのも失われてしまったのかなと。
では、知ることが出来なかった故の制約とは、どういうものか。個人では、「自力で最後まで解く満足感」というのがあるでしょう。まあこれは個人の満足感だけなら、今でも見ないと誓えば出来なくはないでしょう。
ほかには、自力でクリアしたことに対する他人への優越感。つまり攻略なしで、自分だけの力で解いたというのを他人への顕示欲としたもの。すごく大昔だと、『ドルアーガの塔』のクリア方法を知っているだけで尊敬の眼で見られた時代があったように。
そういえば、早く解いた人用のキャンペーンってのもありましたね。『かまいたちの夜』とか、『タクティクスオウガ』のファイアクレストとか(余談。PS版でもファイアクレストキャンペーンやってたみたいだけど、途中セーブがあるPS版なら、死者の宮殿そんな難しくないような)。
別にこれでゲームがつまらなくなったというつもりは毛頭ありません。それにより得たもの(飽きるまでに隅から隅まで楽しめるとかね)しかし人間贅沢なもので、得たものがあれば、同時に失われた制約も懐かしんでしまうわけですよ。もう、事実上取り戻せない分、特に。まあ、それでも十分ゲームは楽しいのですが。
あ、でもネットゲームみたいに一斉配信みたいな形で、そういった平等条件的なゲームがあって(長さは問わない)、競うのを楽しむなんてことが、現代では逆に出来るのかも。まあ、時代によってそのゲームの周辺も代わるのだから、新しく得たものが面白ければそれでいいのかなと。
※今日は何となくまとまりのない文章ですみません。