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ゲームハードのロンチタイトルとその当時の状況(1983~1990年)

現在、Nintendo Switchで発売されたロンチタイトル『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』がかなりのセールスを記録したというのが話題になっています。特にアメリカでは、Nintendo Switch本体よりゼルダの売り上げのほうが多かったとか(ただこれは統計の取り方の詳細がわからないのでどのくらいの信憑性か不明ですが、限定版と通常版のトータルならあり得ない話でもないのかなと)。

Nintendo Switch、3月の米国での売り上げは90万6000台。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は本体よりも売れる - AUTOMATON
ニンテンドー・オブ・アメリカは、プレスリリースを通じて3月のアメリカでのNintendo Switchの売上が90万6000台であること発表した。

ロンチタイトル、すなわち本体の発売と同時に発売されるタイトルは、その後のハードの勢いを見る大きな指標となります。その意味で今回のゼルダの好セールスはNintendo Switchにとって非常に良いスタートを切ったと言ってよいでしょう。

さてこのロンチタイトル、過去のハードのそれを見返してみると、いろいろ面白いことが読み取れます。それはその当時のゲーム業界における情勢とか、その後に与えた影響など。
せっかくなので、ファミコン以来のロンチタイトルを見返してみて、それについて書いてゆくことにします。
今回は第3世代、第4世代と言われる、1983年~1990年までに発売されたものになります。

スーパーファミコン

 

ファミリーコンピュータのロンチタイトル

1983年7月15日発売。ロンチタイトルは3本。

・ドンキーコング(任天堂)
・ドンキーコングJR(任天堂)
・ポパイ(任天堂)

もともとファミリーコンピュータの開発が、アーケードの『ドンキーコング』の移植を出来るようにとの目標があったということなので、それがあるのが当然と言えます。ちなみに以後の任天堂では考えられませんが、3作とも同社アーケードゲームの移植。この当時のゲーム市場がアーケード中心だった証明です。しかしファミコンのブームと共に任天堂はアーケードから撤退することになります。
この後も移植、オリジナル共に良質なソフトを出し、且つアーケードの雄であったナムコの参入もあり、1986年の『スーパーマリオ』までの時期を盛り上げます。

尚、同日発売されたセガSG-1000のロンチタイトルは手元の資料では判明せず、省略しました(ソフト発売年は書いてあるのだけど、月日まで書いてある資料がなかった)。

 

セガ・マークIIIのロンチタイトル

1985年10月20日発売。ロンチタイトルは2本。

・ハングオン(セガ)
・テディーボーイブルース(セガ)

これらもやはりアーケードの移植。さすがにこの頃のアーケードと家庭用ゲーム機の性能差はどうしようもないくらい離れていた上、そもそもハングオンは大型筐体ゲームでしたが、かなり頑張っていたと思います。当時としては、アーケードゲームが多少の劣化はあってもく家でできるというだけで非常に訴求力の高くなるものでした。まあそのせいでかなり無理のある移植も行われたりしていましたが。
ちなみにハングオンはSG-1000にもハングオンIIという名前で存在。

 

PCエンジンのロンチタイトル

1987年10月30日発売。ロンチタイトルは2タイトル。

・上海(ハドソン)
・ビックリマンワールド(ハドソン)

PCエンジンはもともとハドソンとNEC-HEの共同開発だったために、2本ともハドソン。この後ほぼ1年はハドソンとナムコのみからソフトがリリースされることになります。ナムコが参入していたのは、任天堂といろいろあったためとも言われていますが、それでも任天堂ハードに供給を止めることはなく、メガドラ含めマルチリリース展開となります。ハドソンも同様で、その後も任天堂ハードからもリリースが続きます。
ソフトのビックリマンワールドは、「ワンダーボーイ モンスターランド」のキャラ入れ換え版。当時ビックリマンは社会現象になるほど小学生の間で人気があったのです。

 

メガドライブのロンチタイトル

1988年10月29日発売。ロンチタイトルは2本。

・スーパーサンダーブレード(セガ)
・スペースハリアーII(セガ)

やはりセガのアーケードゲーム移植。だけどこの頃セガはアーケードでもかなり大きな存在となっており、「セガのアーケードゲームが家で出来る」というのは、アーケードゲーマーにとってはかなり魅力だったのです。特にスペースハリアーはその人気故に、別会社からのライセンスでライバルハードに移植されたり、明らかにスペック的に劣るPC-6001移植なんてのもあったり

 

ゲームボーイのロンチタイトル

1989年4月21日発売。

・スーパーマリオランド(任天堂)
・アレイウェイ(任天堂)
・ベースボール(任天堂)
・役満(任天堂)

ソフト交換式携帯ゲーム機の大成者となるゲームボーイは任天堂オンリー。画面は白黒だったものの、当時は「ソフトの交換出来るゲームが、マリオが外で遊べる」というのが非常に衝撃的でした。やはり当時人気を集めていたマリオのゲームが人気でしたが、6月に『テトリス』が発売されると、通信ケーブルの活用含めてそちらの人気も爆発することになります。

 

NEO・GEOのロンチタイトル

1990年4月26日。100メガショックのCMのインパクトが強かったです。ロンチタイトルは4本。

・NAM-1975(SNK)
・ベースボールスターズプロフェッショナル(SNK)
・麻雀狂列伝 -西日本編-(SNK)
・マジシャンロード(アルファ電子)

後にNEO-GEOの代名詞ともなる格闘ゲームがないありません。そりゃ当然で、2D格闘ブームの火付け役となった『ストリートファイターⅡ』が登場したのが翌年の1991年、そして同社の『餓狼伝説』の登場がその年末だったので。
当初は価格の高さ(だいたい2万円以上)もあり家庭用ハードとしてはほとんど存在感がありませんでしたが、2D格闘ゲームブームにより家で『餓狼伝説』や『KOF』が遊べるということで、普及してゆくという珍しいパターンです。

 

ゲームギアのロンチタイトル

1990年10月6日発売。ロンチタイトルは2本。

・コラムス(セガ)
・スーパーモナコGP(セガ)
・ペンゴ(セガ)

ここで注目したいのはコラムス。この前年にかの有名なセガテトリス事件が起こっています。

テトリス~そのシンプルなゲームの深い歴史 : Timesteps
世界的に有名なゲームテトリス、その複雑な歴史。

ゲームボーイでは当時『テトリス』が大人気になっていましたので(そもそもゲームボーイでの核とするために独占契約を結んだという話があるくらいなので)、それがなけれがメガドラテトリスと共に、ここでテトリスが出ていたという可能性もあるでしょう。まあその場合、コラムスが生まれていたかという話にもなりますが。

 

スーパーファミコンのロンチタイトル

1990年11月21日発売。ロンチタイトルは2本。

・スーパーマリオワールド(任天堂)
・F-ZERO(任天堂)

その当時でもなお大人気であったマリオとと、後にシリーズ化もされる名作F-ZERO。
けっこう驚いたのが、2本しかなかったのかということ。少ないと言われたNintendo64の3本よりも少ないものでした。しかりマリオの注目度は高く、それを感じさせなかったように思います。
あとこの時期でもまだファミコンは現役であり、急いで買う人がそこまではいなかったのでそれも目立たなかったのかもしれません。実際私の子供の頃でしたが、発売日に買った人って周りにいませんでしたし。


この第4世代が終了すると、メガCDやPCエンジンCD-ROM2、サテラビューといった拡張的なものは出ますが、全くの新規ハードは1994年の次世代機戦争まで間が開くことになります。

次回はその1994年以降、すなわちセガサターンやプレイステーション、Nintendo64などについて書いてゆきます。

ゲームハードのロンチタイトルとその当時の状況(1994~1996年)
前回は1990年に発売されたスーパーファミコンまでのロンチタイトルとその当時の状況について書いてきました。 この後日本ではスーパーファミコンが大流行、さらに海外ではそれに加えてジェネシス(メガドライブ)も流行するなどします。 その後4年間目...
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