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サードパーティーがゲームハードの運命を左右した歴史

 

ここ数年の任天堂ハード、すなわちWiiやDSにおいては、任天堂製のソフトがサードパーティに比べ圧倒的に強い状態ということがよく言われます。しかし、これは今に始まったことではなく、任天堂は自社の発売するハードにおいてハードメーカーであるのと同時に、マリオシリーズ、ゼルダシリーズなど発売の度に注目を浴びるソフトを大量に抱える有力なソフトメーカーでもありました。

しかし、ファミコンの時代からこれら任天堂が出すソフトに勝るとも劣らないくらい、いや、もしかしたらそれ以上に注目されている会社(サードパーティー)がありました。そのサードパーティーや、それにまつわる話の思い出を今日は少し。

 

ファミコンのカセット
ファミコンのカセット / june29

 

ファミリーコンピュータとナムコ(ゼビウス、ドルアーガの塔など)

ファミリーコンピュータ、略称ファミコンは1983年に誕生し、その後は家庭用ゲーム機の代名詞になるくらいの大ヒットとなりますが、発売までの評判は(それまでの実績や価格で多少注目はされていたものの)、『光速船』『カセットビジョン』『SC-3000』などと同様、多数あるメーカーから出ているゲーム機の一つでしかありませんでした。
しかしファミコンの注目を集めた大きなものが、当時ゲームの主流といってもよかったアーケードゲームをかなり忠実に移植できたこと。自社のソフトとしては『ドンキーコング』を当時では考えられないくらい忠実に移植し、注目を集めました。そしてそれ以上に注目されたのが、当時アーケードのトップメーカーだったナムコのソフトが出たこと。そしてそれは『ドンキーコング』にも劣らないレベルでかなり忠実な形で移植されました。当時のゲーマーにとって、このレベルで『ギャラクシアン』や『パックマン』、『ゼビウス』、『マッピー』、『ディグダグ』、『ギャラガ』、そして『ドルアーガの塔』といったゲームが出来るというのは、夢のようなものでした。これらナムコのソフトがファミコン最初期の注目度と売上げを伸ばし、他にハードに差をつけてゆくこととなります。

 

ちなみにこの後ナムコは、4500円以上が普通だったファミコンソフトにおいてはじめて3900円のシリーズを出したりしていましたが、ライセンス問題(ナムコは優先的ライセンスが認められていたので、女神転生(アトラス)、スーパーチャイニーズ(カルチャーブレーン)、バーガータイム、カルノフ(データイースト)など、自社ブランドで他社のソフトを売ったこと)などでいろいろ任天堂と揉めるようになったと言われています。

■関連:ファミコン時代にナムコブランドとして出された他社制作のソフト – ゲームミュージックなブログ

 

プレイステーションとナムコ(リッジレーサーなど)

ファミコンがブームとなり、それを継いだスーパーファミコンもまたメガドライブ、PCエンジンを押しのけ、家庭用ゲーム機としての確たる位置を勝ち取ります(メガドラの海外版ジェネシスはアメリカなどでは海外版スーファミであるSNESと互角の勝負をしていたようですが)。

1994年、32bitゲーム機時代の次世代機戦争がスタート。Nintendo64に先駆けて、3DO、プレイステーション、セガサターンが発売されます。当初はそれまでのゲーム業界を牽引してきて、多数のソフト資源を持っている任天堂、もしくはセガが有利だという声が高かったですが、プレイステーションの販売元であるSCEは、その当時でもアーケード、コンシューマともに人気ソフトを多く抱えるナムコを参入させます。これは前述の任天堂との関係が影響している、とも言われています(ちなみにナムコはスーファミ時代にもPCエンジンやメガドライブでソフトをリリースしていました)。

そしてナムコはハードの発売と同時に、アーケードで人気を博した『リッジレーサー』を高い完成度でリリース。『リッジレーサー』の読み込み時間の間に『ギャラクシアン』がプレイできるという仕様は、多くの人にインパクトを与えました。
その後もアーケードの人気作やコンシューマオリジナルの作品を多く販売し、プレステがソフト資源を大量に持つセガのサターンに負けない大きな力となります。

 

話が脇道にそれますが、実はナムコ、サターンでも一応ライセンス契約はしていたようです。ただし当時のアーケード覇権を争うメーカー同士というのもあり、結局1本も出る事はありませんでした。それでも当時のセガマニアはかつてメガドライブで出たようなナムコの名作を待ち続けていたのですが、ナムコのゲームがセガハードで出るのは、ドリームキャストの『ソウルキャリバー』まで待つことになります。

 

0713 08 videoGames / cloneofsnake

 

プレイステーションとスクウェア(ファイナルファンタジーVII)

次世代ハードの争いにおいては、3DOやPC-FXは脱落したものの、Nintendo64が出て来るあたりまではセガサターンとプレイステーションはほぼ互角の戦いをしていました。しかしプレイステーションがリードするきっかけとなったのは、スクウェアから人気RPGシリーズのナンバリングタイトル『ファイナルファンタジーVII』と発表されたこと。当時のスクウェアの人気、規模ともものすごいもので、1996年の第一回東京ゲームショウでは、10万枚のFFVII体験版を配布してアピールしていました。

さて、これで驚いたのはセガファンだけではありません。それまでファイナルファンタジーはじめ殆どのゲームを任天堂ハードで出していたスクウェアがPSに移籍したことは、任天堂ファンにも衝撃を与えました。

 

プレイステーションとエニックス(ドラゴンクエスト7)

スクウェアの参入で注目度を他ハードより大きく上げたPSですが、その後『ドラゴンクエスト』シリーズという最強のサードパーティー製ソフトを擁するエニックスが、『ドラゴンクエスト』をPSで発売すると発表。これが決め手になり、PSは大きく伸ばし、他ハードは伸び悩むこととなってしまいます。まあもっともPSの勝因についてはナムコやスクウェア、エニックスだけではなく、他の多くのサードパーティーがPSに集まってきていたのもあります。それはNintendo64が少数精鋭主義で、サードパーティーに対してのリリース要件が厳しかったことや、サターンの開発の難しさや流通上の問題があり、結果としてPSに多くのサードパーティーが集まることとなったからです(もちろん途中からは一番普及しているのがPSだから、というのもありましたが、中盤まではPS版とSS版、両方出されたりしていましたね)。

ちなみにエニックスも、ドラゴンクエストシリーズのナンバリングはプレイステーションということでしたが、Nintendo64でも『ワンダープロジェクト』など、セガサターンでも『七ツ風の島物語』を出しています(とりわけワンダープロジェクトは名作だと思う)。
その後、PSの後PSを継いだハード、PS2においてもFFシリーズ、ドラクエシリーズはPS2でリリースされますが、まあこれは多くの人にとって予想通りだったので、昔ほどのインパクトはありませんでしたが、もちろんハードの売上げに貢献していると思います。

 

閑話休題・任天堂とスクウェアとゲームボーイアドバンス

さて、先程任天堂ハードを離脱したスクウェアの話をしましたが、2000年代になると、据置機のほかに携帯機、当時ならゲームボーイアドバンスのシェアが、ハードの向上と『ポケットモンスター』など人気ソフトのリリースで市場が広がってきて、ゲームを語る上で欠かせないようになります。
当時、スクウェアは映画の失敗などで負債を抱えていたのもあり、そこに再度参入したく、任天堂に依頼したら、すっぱり断られた、という話があります。ゲーム雑誌の記事などで信憑性はそれなりですが、実際スクウェアがゲームボーイやゲームキューブに参入するのは、任天堂の体勢が山内社長体制から岩田社長体制に代わることが判明してからだったので、あの時の遺恨が残っていた可能性はあるでしょう。

 

DSとスクウェアエニックス(ドラゴンクエスト9)

そして時代はWii、PS3、X360、そして携帯機のPSPとNintendo DSという時代になります。

その時もドラゴンクエストシリーズは有名タイトルの名を保ち続けており、どのハードから出されるかは注目されていました。
しかし、選ばれたのは据置機ではなく携帯機であるニンテンドーDS。まあこの頃はもうどのハードも独自の立場を築きつつあり(どれも現在でも現役で生き残っているのがその証拠)、この発表でハードが発展、衰退するということはありませんでした。ただ、ゲームハードの中心が据置機から携帯機へ移っているということを象徴するものではあったと思います。

 

時代はめぐる

そんなわけで、過去サードパーティーの動向がハードの運命を左右した(と思われる)歴史を書いてみました。

ここまで書くと、何故あのサードパーティーの名前が出てこないんだ、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。特にアーケードの大メーカーは。しかしそれには理由があります。

セガは言うまでもないでしょう。ドリームキャスト時代まで自社でハードを持っているので、サードパーティーではなく、ハードメーカーそのものであり、どんなキラーソフトも自社ハードに投入していました。SNKも基本ハードメーカーでコンシューマはNEOGEOのみだったのですが(出たとしても他者経由で。これはセガでもあり)、経営が苦しかったのか、そのうちセガサターンなどに移植を行なうようになりましたね。

あと、コナミカプコンといったこれもアーケードの雄ですが(あと自分がアーケードではここで育ったとも言えるタイトーも入れておきますか)、こちらは昔からどのハードにもまんべんなくソフトを供給している感じです。たとえばPSとSSが競争している時代も、SS版、PS版と両方でソフトが出ることは珍しくありませんでした(そして結果的にどっちがどういうゲームに向いているかが判明する感じになった)。 『ときめきメモリアル』がPCエンジンから始まりPS,SSはおろかスーファミやゲームボーイカラーなどあらゆるハードから出てましたしね。

また、結果として外れハードになってしまった3DOでも「スーパーストリートファイターIIX」が出ましたし、発売中止にはなったものの、メタルギアIIIもここから出る予定だったようです。あと、サードパーティーがほとんどなくなった後期のNintendo64でも最後まで提供していたのはコナミでしたし。よって、大サードパーティーであり、出すソフトはハードの購買に繋がったものは多いと思われますが(最近ならモンスターハンターかな)、会社としてはハード情勢への影響はあまりなかったと見ています。

 

これからですがおそらくサードの動向でハードが左右されるということはあまりないと思われます。もちろんドラクエやポケモンクラスのとんでもない大人気ゲームがサードパーティーから生まれ、且つひとつのメーカーだけにリリースすれば話は別ですが、この時代にひとつに絞るようなリスクを犯すとも思えませんし(まだ買収されてセカンドパーティーになるほうがあり得るかなと)。

そもそも2014年になった今、もうハードの性能差がはっきりと分かれてきているので、政治的なとりあいという感じではなく、ゲームがもっとも合うハードを選ぶというのを優先するようになっているのではないかと。でもそれはとても本来の形であり、とても自然に思えます。

個人的には、あまりこういった有力ゲームの動向で片方のハードが負け、そして負けた方のハードはいいゲームが揃っているのに埋もれてしまう現象を見て来て非常にもったいなかったと思うので(特にサターンの時の『グランディア』などゲームアーツ作品や『カオスシード』などにそれを感じた)、こういった情勢に流されず、面白いゲームはどんなメーカーでも評価されるようになっているのであれば、それが一番よいのではと感じます。

まあ現状でも広報力の違いで面白いゲームが埋もれることも多々あるので(むしろアプリなどは数の増加で増えているのかも)、ハードの力関係における歴史とは別に、その問題解決も今後の課題でしょう。少なくとも面白さよりも、ネットでアレなブログなどで、おもしろさとは無関係にスキャンダルな騒がれ方をしたほうが得、というような風潮はないようにしたいですな。

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