長い間休んでいてスミマセン。仕事はまだ続行中ですが、デスマーチは終わったので徐々に更新頻度を高めてゆきます。
で、最初は昨日思いついたことからでも。
このようなエントリーを見ました。
■みぐぞうの後ろ向き日記 個人的に経験したレトロゲームにおける理不尽な難易度について語ってみる
ここでは昔のゲームにあった不条理にも思える難易度のゲームについて書かれています。そういえばあったなあとしみじみ。
さて、これら程理不尽ではなくても、よく昔のゲームは今に比べて難しかったということは言われます。例えばアクションにしても、昔は『ロックマン』みたいな子供向けのものでも何回も頑張らないとクリアできなかったのに、現代のゲームってのはわりとストレートにクリアできるという感じのものが多くなってきています。
さて、これは偶然ではなく、実は必然的な理由があるように思われるのです。
まず、よく言われているのは「ライトユーザーが増えたから」ということ。つまりゲームの裾野が広くなって、ライトユーザーが増えたために、その難易度に合わせる必要が出てきたと。そうしないと「難しすぎるゲーム」ということで買ってもらえないからということで。ただ、これだけではないと思えます。
その原因として実は一番と思われるのは、ズバリ「現代のゲーム及びそれ以外の娯楽に対する所要時間の差」。
昔、とりわけファミコン時代は、ゲームのリリース本数自体少ない上に、ソフトをそう容易くたくさん買える状況ではなかったでしょう(これはメインユーザーが今よりも子供ばっかりだったというのもあると思います)。なので1本のゲームを1ヶ月とか2ヶ月遊ぶような状況でした。あと友達どうして交換したり。つまり、一本のゲームにかける所要時間が多かった上、多い必要があったのですよね。
そのためにとられた方法のひとつが「難易度の上昇」だったのではないかと。つまり難易度を上昇させて、なかなかクリアできないようにすると。逆に昔に今の難易度のゲームを持っていったら「簡単すぎてすぐ終わってつまらないゲーム」とされていたのではないかと。
しかし、現代においてはそのゲームひとつあたりにかける時間が減ってきました。それはゲームの本数が増えたことや、他の娯楽が増えたこともあるでしょう。このような状態の場合はゲーム一つにかける時間が難易度の上昇により増えてしまう状態は、逆に好まれず、「難しいゲーム」として捨てられてしまう可能性が高いです(ちなみに昔の場合は難しくて捨てられるより、飽きる方が先だったのかも)。
つまりは、難易度はその時代のちょうどいいプレイ時間と密接に関係しているのではないかと思われるのです。
最初の理不尽な難易度というのも、昔はその理不尽を楽しませるだけの時間的余裕があったのだと思うのですよね。ぶっちゃけ『グラディウス』において、とんでもないところで死ぬと復活が無理というのも理不尽と言えば理不尽でしたが、そこから「復活パターン構築」というものが生まれましたが、あれは当時の環境だったからこそ(そして『グラディウス』が名作だったからこそ)できたもので、今だったら「一度死んだら終わりゲー」というレッテルを貼られていたと思います。
まあ総じて、その時代の大多数のプレイヤーの希望に合わせて作られている、ってことなんでしょうね。
そう考えると、今はもうこういった理不尽な難易度どころか、解きがいのあるような難しさのものも出にくくなっているのかもしれません。だとしたら、あの難しいところをクリアして得た達成感がなくなるので、ちょいと寂しいような。でも、そこまでゲームをしている時間がないってのもたしかなんですよね……。
しかし、シューティングってのは逆に難しくなるほうの歴史を辿っていますよね。今は必ずしもそうではないけど、少なくとも簡単にはなっていないと(まあ東亜を平然とクリアしたトップシューターにしてみればそうではないかもしれないけど)。そう考えるとある意味シューティングの歴史というのはゲームの中で特殊な進化を遂げている(もしくは止まっている)のかもしれません。