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「しょぼんのアクション」が教えてくれたこと

ニコニコ動画でちょっと有名な動画があります。ランキング入りもしているので、見たことのある方も多いでしょう。

1~4まであります。
そして、これのプレイ可能版が出たみたいです。DL版とブラウザで出来るJavaアプレット版があります。
■しょぼんのアクション(レ イ ン ボ ー ロードさん内)
http://www.geocities.jp/z_gundam_tanosii/home/Main.html

 

さて、実際にやってみれば分かりますが、これは初代スーパーマリオのパロディーですね。ただ、ステージ構成だけ似ているだけで、キャラはAAキャラだし、パワーアップもありません(コインも無駄)。
そして何よりこのゲームは「スーパーマリオのお約束」のほとんど全てを逆手に取っています。土管に入る→死ぬ、アイテムを取る→死ぬ、はては普通に歩いていただけでも思わぬところから敵が出てきて死ぬこともよくあります。
このゲーム、もし本当にあったら「クソゲー」と叩かれるでしょう。それは何故か、あまりにもよく死ぬから。では何故よく死ぬのか、それはマリオの常識で考えられないところで死ぬ要素が出てくるから。
ですが、よく考えてみてください。ゲームは別にどう作ろうが自由です。そしてこれはアクションゲームとして成立しています。ただ、外れているのは、過去の巨大な存在「スーパーマリオ」をことごとく裏切っているというところ。それは悪いことでしょうか?
たしかにマリオのシステムはアクションゲームとしてはシンプル且つ完璧です。方向キーでの移動、加速、ジャンプ。それらは後の多くのアクションゲームにおける基準にもなりました。実際Bボタンでジャンプってゲームはそれから先、かなり少数になったでしょう。それはユーザーにとっていちいちゲーム毎に全く別の操作をしなくていいので負担を減らしたことになるでしょう。
しかし、その反面、「全く別の可能性」というものをなくしてしまったのではないのかとも思うのです。つまり平均的なマリオに従って、標準化したのはいいとしても、それは逆から見ればそれ以上のものを生み出す可能性をなくしてしまったとも言えます。
ゲームは自由ですから、別に敵が思わぬところに隠れていてもいいはず、そして思わぬところで死んでもいいはず。それによって多様性が生まれますから。ですが、その可能性を切り捨ててしまったのが今ではないかと思うのです。
でも、標準化がされずにそういうソフトばっかりでいいのか、と聞かれると、私自身もやっぱり標準化はされたほうがよかったと思っています。ただ、それでも予想に反するものが全く出てこなくなったのは寂しいのです。たしかに今、こんなゲームをやれば怒るかもしれません。ですけど、全部が全部同じだと、なんか「これでいいのか?」と思うときもあるのですよね。これは私だけでしょうか?
思い返してみれば、昔のアドベンチャーゲームって、こういう「ちょっと間違えただけで即死」っていうのありましたよね。ファミコンだと「ミシシッピー殺人事件」かな? ああいったゲームはたしかに難しいのであまり好まれませんでした。その結果の積み重ねが今でしょう。ですが、別の方向に逸れたゲームがあったからこそ、プラスでもマイナスでも未来にそれが生きたと思うのです。でも、逸れたゲームがなくなってしまうということは、それ以上の成長も望めなくなる可能性も高いのです。
今ではどのジャンルでもあらゆるものが成長の過程で築かれた「お約束」で知らず知らずのうちに固められています。もちろんそれを全部崩せとは言いません(それこそクソゲーを作るものだし)。便利だと思う物はもちろん残してもいいと思います。ですが、改良の余地が少しでもあるところは、たと過去のお約束でもちょっと崩して、そこに新しい物を再構築すれば、ゲームはまだまだ進歩する。そんなふうに思うのです。そしてそれは何よりユーザーが過去のお約束に囚われずに評価しないといけないと思います。
上のゲームも、ネタかと思いきや、意外と「敵に自分を投げさせる」「敵にアイテムを食わせる」など、かなり面白いアイディアが盛り込まれています。別にマリオに組み込めとはいいませんが、そういった発想は王道ではないからということで捨てるのではなく、行かす方向に持って行ければいいななんてことを思いました。
だけどこのゲーム、今まで一度もマリオをやったことのない人にやらせて、どういうプレイをするか見てみたい気がします。

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