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ゲームの供給過多における弱肉強食は面白さでなく広報力の差になっていないか

『愛情の反対は憎しみではなく無関心な事』(マザー=テレサ)

いきなり偉人の言葉から始まってしまいましたが、今日は以前「ゲームのというか娯楽の相対的価値は昔より下がっているのかもという話」のエントリーでちょっと触れた、娯楽の供給過多による弱肉強食について書いていこうと思います。
さて、前述のエントリーで、現在は娯楽の供給過多で娯楽の価値が下がってはいるものの、供給を減らすわけにはいかないので弱肉強食になっている、ということを書きました。しかしこの弱肉強食というのは、何においての弱肉強食なのでしょうか?
これが「面白さ」であれば単純明快で、そりゃ負けたソフトは面白くないんだから喰われても仕方がない、と思えます。しかし、現実は「面白さ」だけで強弱に分けることは出来ないと思います。
現在、その月に出ている全てのゲーム、もしくは全てのマンガを言える、知っている、チェックしている人はいるでしょうか。おそらくそんな人はかなりの少数だと思います。となると、すでに「面白いと判断する候補」の時点で切り捨てられてしまっているソフトも存在しているのです。つまりたとえかなり面白いソフト(マンガ)でも判断のスタートラインにさえ立てない、なんてことになってしまうのですね。
さて、スタートラインに立つ手段は何か、といえばそれが「広報」でしょう。ゲームで言えば、なんとかそのソフトを多くの人の目に止まらせて購買させ、スタートラインに持って行く、というものです。
目に止まるようにする技が「広報」とするならば、「続編」とか「有名人起用」「ブランド力」なんていうのも「広報(術)」のひとつでしょう。
ただ、広報には当然金がかかります。よってこういった面ではやはり資本力のあるところが有利となるのは明らか。ということで、資本があるところがスタートラインを他のものより前にしていると考えられます。
さて、それを全く逆から考えると「広報力のない作品は、評価のスタートラインにさえ立てない」ということにならないでしょうか。
たしかに、一部のプレイヤーが評価してくれるとは思いますが、よほど強烈な売りがない限りは、つまりは良作~佳作程度では埋もれてしまう、なんてこともあると思うのです。
そして数年後に「隠れた名作」となって、一部で好まれると。しかしあくまで名作といえどそれは「隠れた」ものです。隠れてしまったものは、酷評を受けたゲームよりも売り上げ的にはマイナスです。
最初のマザー=テレサの言葉を出したのは、やはり企業にとって見れば、どんなにソフトについて酷評を受けようと、それはプレイした故でのものであり、無関心、つまりプレイされてない状態よりはまし、ということなのです。
ちなみにここでいう広報力のない作品というのは、ある意味「続編ではない」「新規メーカー製」なんていうのもそっちに入ってしまう用件となり得るでしょう。
たしかに「続編」や「ブランド(作者)」なんてものは、その前の作品を担保にしてあるので、広報でアドバンテージがあるのは当然だと思います。しかしだからといって、それがないから除外、だと、閉鎖された空間の中でしか世界は回らなくなり、衰退していくように思えるのです。
私は一応それなりに注目されているものと、全然注目されていないもの両方にちょっとずつ携わったことがあります。(あくまで中心とかえらい立場ではなかったので念のため)それについてもちろんいい評価をもらいたいというのは当然ですが、たとえ芳しくないを受けるよりも(その評が根拠のないものやミスリードならまた話は別ですが)、評が出ない、少ないほうが自分も周りもショックでした。少なくともプレイして感想を書く、ということは、関心をもってもらって、なおかつそれに対して気にしてもらっているが故の厳しい評価とも言えるわけですので。
ただ、最近ではネットの普及により「口コミ」における売り上げの増加なんてのも増えたような気がします。最初は目立たなかった『デトロイト・メタル・シティー』が注目されたのも、ネットの力が大きいのではないかと思います。
ただ、ゲームの場合は面白さを伝えるのがマンガより難しいので、マンガのようにうまくいくとは思いませんし、よしんば説明できても初回注文主義的な現状も問題があると思いますけど、もしネットの評判で長期にわたって売れるように市場全体がなってくればまた流通も変わると思いますし、なんとか広報力の差「だけ」でゲームの価値が決まらないようになって欲しいなと願う次第です。
とりあえずは自分のアンテナも少し伸ばしてみるとよいかなという気がします。自分の好きなジャンルのものだけは全部チェックするとか。(私ならシューティングゲームですね)

 

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